⑦空を見上げる人
堀の濁った水の縁だけが、薄く白く固まっている。
その上に、小さな鳥。
カッ、カッ、カッ。
氷の上をつついてしばらくそこで動いていたが、次の瞬間、羽ばたいた。
氷の上から切り離されるように体が持ち上がって、バサ、と音がして、鳥は低く弧を描いて、ときどき蛇行しながら灰色の空へ消えていく。
その空の下に、金属の網状のフェンスが続いている。
同じ間隔で組まれた線が、大地の高低に合わせて高くなったり、低くなったりしながら、まっすぐに伸びる。
その途中に、骨組みだけの簡素な細い塔がいくつか立っていて、上部には囲いがあり、人がひとり、動かずに収まっている。
視線だけを少し先に落として、じっとしている。
フェンスの向こう側には、数台の車が並んでいる。
どれも同じ向きで止まり、間隔も正確に保たれている。
扉は閉じられたままで動く気配はないし、スモークガラスの窓は暗く、内部の様子は見えない。
並ぶフェンスの中程に、灰色の建物がある。
角ばったコンクリートの四角い塊が、いくつも重なるように組まれたような建物。
壁面の継ぎ目には、苔が生えていて、緑色に筋が入っているし、足元には草が揺れている。
コンクリートの壁の高いところに、開いているのか閉じているのか判別できないような小さな窓が並んでいる。
建物の一部は、フェンスに寄り添うように張り出していて、そこに出入り口がある。
建物の手前に集会用の大きなテントが二つ。
その中に、机が並んでいる。
天板の上には紙が重ねられ、端を押さえる重りが置かれていた。
ひとりの男の人が、机の前に立つ。
隣には、まだ若い男の人。
机の向こうの人が、二人を順に見る。
一度だけ、紙に視線を落とし、すぐに戻して、少しだけ言葉を交わし、横に座っている別の人が、何かを書き込む。
隣のテントでも、同じように机の前に立つおじいさん。
隣に、若い女の人と子供。
机の向こうの人の視線が、その三人に止まって、紙に目を落とし、また戻す。
書類に何か書いている人の手が、止まる。
隣のテントから人が来て、視線を三人に送っていた人が小さくうなずいて、すぐに、椅子に座っている人が何か書く。
隣のテントからきた人が戻ると、こちらのテントの三人が先へ進み、その流れから、あちらのテントの二人が外れる。
次の人たちが、テントに入る。
ズッ、ズッ、ズッ。
流れは止まらない。
それぞれのテントに向かう、二つの人の列。
不規則な列は、二人だったり、一人だったり、三人だったりするけど、列と列の間には人一人分の間が空いていて、その距離は、監視する人がいるわけでもないのに、最後尾まで続いている。
言葉は少ない。
口が開いても、途中で閉じる。
続きは音にならず、列を進む次の一歩に押しつぶされる。
視線は、前にも横にも長くは留まらなくて、互いを見ているのに、見ていない形で外されていく。
子供だけが列を乱して、掴んだ裾が何度か強く握られる。
握ったまま、すぐに離される。
一つの列が一歩分だけ進むと、同じだけもう一つの列も進む。
ズッ、ズッ、ズッ。
流れは同じ速さでゆっくり続く。
列の最後尾から少し離れたところに、ひとつの家族がいる。
子供と、女の人と、おばあさんに、男の人。
おばあさんが、小さく折りたたまれた紙を取り出す。
一度、その紙を胸に抱いて、それを男の人に渡した。
男の人が受け取ったそれを開くと、そこには、家族全員が写っている。
おじいさんと、おばあさんと、男の人と、女の人と、子供。
笑っている顔の中で、男の人の頬だけが少しだけ歪んでいる。
男の人は写真を胸に当てる。
それから、ゆっくりと目を閉じた。
子供が男の人の太腿に顔を押し付ける。
その頭に、男は手を置いた。
撫でる。
同じ場所を、何度も撫でる。
目を開けた男の人がうなずくと、女の人も小さくうなずく。
おばあさんはうつむいたまま。
子供が顔をしかめた。
男が空を見上げる。
灰色の空には、何もない。




