魔女と半魔 Ⅵ
それの、いや、その男の長話に、私はこの男、おかしいんじゃないか、って思った。だって、それが本当なら、こいつは絶望しなきゃいけない筈だ。少なくても、魔女、魔女? になっちゃった私に一生知らないでいてもらうか、そもそも、こうやって私を待たず、付き合わず、名も告げず、痕跡も残さず、消えればよかったんじゃないかって。
でも、そうしなかった。
それどころか、全て明かした。
そうして、私はその男の顔を初めて直視した。
美しくない。格好よくもない。何というか、泥臭い。粘り強さというか、ねっとりとした感じを空気から感じる。
「貴方……、馬鹿なの……?」
「……。ふっ、はは! 莫迦か、莫迦……。そうかも知れんな。世間知らず過ぎて、そんなことすら知らなんだ! こう見えても俺はな、少し前まで寝たきりだった。そういう体質だったんだ。強すぎる魔力に、身体が耐えきれなかった上、その本質が、これだった」
そう、男は私の顔の前に右手を、人差し指を向けて差し出して――
ぽとっ。ぽとっ。
黒い泥。
男の右腕が、翳した人差し指から、溶けるように、黒い泥の液に変わって、垂れてゆく。
私はそれを見て青褪めた……。
「だから、謝…―」
「だ、大丈夫なの! ねぇ、大丈夫なの!」
気づけば、私は、その男の両肩を掴んでさすっていた。だって、それは、とても痛ましく見えてしまったから……。
「ごめんない、ごめんなさい……!」
私はもう、全自動頭下げ機になっていた。
だって、それしかできないから……。
「謝るかどうかは、最後まで来てから決めてくれ。俺は逃げるつもりはない、ということ位は伝わったろう?」
男がさっき言おうとしたのはこれだと分かった。自分の早とちりだったようだ。
しょんぼりと、力が抜ける。
「君の相手をした、ということについて。この周囲を見て、どう思う? 少なくとも、君が正気を失う前と、異なる光景の筈だ。恐らく、場所は変わっていないと思うが、どうか?」
そう言われて、ぞっとして、はっとした。
ぞっとしたのは、皆が跡形もないって思ったから。はっとしたのは、多分この男が何とかしてくれたんだなって、察したから。
「っ! みんなは?」
「無事だよ無事。何せ――」
と、その男は、二人に増えた。
「「俺は俺で、何人にでもなれて、須らく俺である」」
そして、片方が、片方に黒い泥となって吸収されて消えた。
「俺たちで運んで、俺たちに介抱させて、俺たちに話をさせて、宥めている。現在進行形でな。君が言う皆は、砂の河の終点にいる。話が済んだら連れていこう」
「ま、まあ、それなら……」
ちょっと疑ってしまったことに後悔と罪悪感。自分が心底嫌な女だと思った。あの女の実の娘だけのことはあると、心の中で毒づいた。
「君の魔法、恐らくだが、掌握、だよな?」
「……」
「隠さなくていい。そもそも、俺の場合、体質もあって、その手のものは効かない。全くとは言わないが、極めて効きにくい。せいせい、思い込み程度の補正しかない。例えば、風呂の前にトイレに入るか、風呂の後にトイレに入るかが、風呂の前に固定される程度の」
「何その例……?」
「人に慣れていないのだ。許せ。そもそも、俺の喋り方、変、だろう?」
「そんなこと急に言われても……困るわ……」
「後で俺の事情を話す前振りだと思って、付き合ってくれ」
「まあ、それなら……。変、かしら、ね……? 言うて、知れてるわよ。だって、魔法使いって、誰も彼も変な奴ばっかりじゃないの。一癖も二癖もある。騎士の皆さん方を見習いなさいって言いたくなるわ」
「あぁ、ウィル・オ・ライトか」
「私を置いていった兄様の名前よ……」
「何か約束でもしたか?」
「何も……。うん、肯定してあげる。貴方、変だわ」
「その通り。俺は変だ。何故なら、生の人間関係は家の中の自室に籠っていて接触できる範疇に限られる。家族と、一部の召使い。その程度。僅か数人。何せ、起き上がるだけで身体が崩れる。一歩たりとも自らの足で前に進めない。廊下を、スライムの如く、泥となって這え、とでも? そんな惨めな真似は御免だった……」
「何……その話……?」
「前振りさ」
「じゃあ、要らないじゃないの!」
「要るさ。必須だ。前提条件だからだ。結論だけ話しても、あり得無さ過ぎて、頭が受け付けない。家の者たちでもそうだった。まだ出逢ったばかりの君なら、猶更な」
「ある日を境にそれは変わった。できぬと分かっていても、諦めきれるものではない。朝起きる度に、最低一度は試していた。最初から足が無い訳ではないのだ。それが、支えとしての役割どころか、固形の状態を保てなくとも。……。立てたのだ。この足で立てた。目を疑ったよ。だが、それと同時に思った。そんな単純なことか、これは? と」
「それで、庭に出た。説明の前に確信が欲しかったからな。俺は、大地に溶けた。泥となって、染み渡った。向かった先は、この世界の中心。人間様が決めたそれではない、正真正銘の、世界の中心へ。知っているか? 世界は如何にして、世界足り得るか? 【世界法則】である。世界毎に固有なそれによって、この世界はこの世界、あちらの世界はあちらの世界、とそれぞれの世界が、別の法則で動いている。それは、宙から降ってくる。空、じゃあない。宙だ。それにも名が付いている。【上位世界】【下位世界】【同位世界、若しくは、並行世界】。この世に生きているどこのどいつも知らないだろうよ。俺以外に知らない。見る方法が、知る方法が、無いからだ。存在の所在、概念の在りかも、宙から来たと言われている。そして、この場合の宙は明らかである。【始まりの園】、この世界から見た、【上位世界】よ」
「???」
「あぁ、ついてこれなかったか……」
「無茶言わないで……。荒唐無稽なのに、魔力ごり押しで説得力付与するのやめてよ……」
「俺ではない。概念とは力そのものである。故に、それ自体が発する力が、実在、本物を、証明しているのだよ。否応なく、受け入れざるを得ない。【上位世界】【下位世界】なんて概念は特にな。素質か耐性が無いと、知ると狂う」
「……。試したの?」
「盗み聞かれた……。賊だったよ……。そういう固有魔法を持っていたようだ。詳細は知らんよ。死体は俺が回収する猶予すらなく、一片も残さず、灰となりて流された後だったよ」
「それって、死体さえ残っていたら、知れた、ってこと……?」
「そういうことだ。俺は泥。全てを飲み込む、底なしの泥だ。それでいて、溶けだしたものを我が身の一滴とする。溶けたものは返ってこない。泥沼とは、そういうものだ」
「……」
「怖気、付かないのだな」
「私に怖がられることを恐れている貴方を、どうして私が恐れるのよ? そんなの嫌よ。そんな顔させたくない。私の前でそんな顔しないで」
「……。何か、ややこしい恋人みたいなことを言うなぁ……」
「そ。だめ?」
「……好きにしろ。話を戻すぞ。俺が君と如何にしてやりあったかだ。戦闘の話だ。それだけで切り上げるぞ?」
「……。聞いてから決める……」
「分かった……。君は真っ白だった。その褐色の肌も、赤と黒の混ざった左右の髪束も。俺が二度目に見たら、もう無かった」
「二度目?」
「あぁ、そこからか。俺は君らが闘うのを見ていたのだ。泥となってな。ここは前から目星をつけていた、目的地へ誰にも見られず気づかれず、到達するための秘密の隠れ道だった。天然の水脈ならぬ、大流砂。それも川の如く、一方向に流れる、本当に天然物か疑ってしまう類のな」
「……。そこのとこ、どうなのよ……」
「分からん……。奴らには痕跡が無さ過ぎる。生物として、あまりに無生物寄り過ぎる。痕跡のの残らなさなんて特にな。それでいて、一部の個体は人間の真似事。何なんだろうな、一体……」
「ぇぇぇ……」
「話を戻すぞ。予想外だった。化生共の仮拠点だったのだよ、ここは。放棄されていて再建したのか、偶々、都合いい場所があったから砦を築いたのはは分からんが。死ぬ程厄介だな、と思ったよ。こんな面倒事御免だってな。俺は商人になるつもりで、ここから旅立とうとしていたというのに。これを見て見ぬ振りして、それが後にばれたなら、商人としてやっていける訳がない……」
「いやいやいや! ばれなかったでしょ! 貴方は、泥どころか、土そのものも操れるでしょ? 痕跡なんて、全部煙に巻ける。どうとでもなったでしょうに」
「俺にできることを、他の奴ができないなんて保証はどこにも無い。いるかも知れぬではないか。俺のような存在。家に捨てられて、死ねず生きながらえてた、だなんて、実にありそうではないか。お偉い家において、そういうのはあるあるだぞ?」
「……。貴方、お偉いお家の出なのね……」
「あっ……。…………」
「これだけは言えるわ。貴方、商人、向いてないわ」
「……。そ、そうか……」




