地底と砂の大河 Ⅸ
ぬるり。
粘性のある、黒茶色の泥の噴き出しが、そこに現れる。
立っているのは一人。丁度、正面に。
あの化生たちはおらず。
三手に分かれて倒れた者たち。近くに左右に分かれ二つ、右の、崩れた先に一つ。誰も彼もが、気絶している。そうなる寸前に、恐らく吐いている。
あてられたか。
しかし――真白なものだ。
色を持たない。影を持たない。褐色は見えず、白が覆っている。これは、色か? 否。光だ。
判断に迷う。この質、この密度。制御無しで力を振るったなら、この程度では済まなった筈だ。砦の一部が崩れているだけなのだから。
そして、彼女は動かない。正確には――動いているかもしれない。覆われているのならば。それが繭か殻だというのならば、その中で彼女は必死に抑えているかもしれない。
それか、慣れぬ力を何とか制御しての、立ったまま、維持したままでの気絶か?
そう思って、人の形を象りながら、その手を伸ばす――俺の右手の手首から先は、彼女にどう見たって届いてすらいないというのに、消し飛んだ。
そして――
「ァァアアアアアアアアアアアアアアアア”ア”ア”ア”ア”ア”―――――!」
それは、そんな小さな身体から出るとは思えないような、高くも、大きく、だというのに、絞り出すような声だった。
弾き飛ばされた、のだと分かる。
音も無く、痛みも無く、この砦の奥へ続く道の真上の壁に、ぶつかり、崩れた。脆いこの身は耐えきれず、臓物の破裂に耐えきれず、弾け飛んで、手足は残り、頭も残り、されど、胴は、破裂したかのように。
そうして、撒き散らした液体ごと、泥に還る。
ここは、地下。我が領分。我が領域。それに、咀嚼し、変換し終えて貯蔵し終えた魔力は、山のようにある。封印や封鎖といった手を取られない限り、俺が敗れることはない。
とはいえ。どうやって、勝つ?
また、見えなかった。カタチになりながら、地面を真っ直ぐ走る槍の如く、魔力を走らせたというのに、それごと真正面から、俺は、光の塊、いや、太ましい白の極大なる光線で消し飛ばされた。
泥の一滴としても見えなくくらい、徹底的にバラバラに、飛散、蒸発、したのである。それでも、俺は死にはしない。俺のような脆い存在、収束し、形を再びとるためのコストは鼻くそ一粒より安い。それに、慣れている。慣れ過ぎている。想起することすらなく、もう、反射の如く発動する上、その途中で、段階を止めたり、速度を上げたり、泥と身体の変換に俺はあまりに慣れ過ぎている。
できているから、俺は、世界の法則が塗り替わるまで、生きていられた。存在していたれた。俺という俺を保てた。できなきゃ死ぬだけ。それが、俺自身のどうしようもない欠陥という理由だった今までから解放されたと思ったら、今度は、偶々遭遇したトンデモ相手と。
喧嘩すらしたことはない。殺しすらも。俺が啜ったのは須らく死体。……。あの化生共は? 特に、奥のあれらは人間染みていたが……。別に、中に、人間なんて入っていなかったぞ?
それよりも、目の前のコレだ。
出が、見えん……。
俺じゃあなきゃ、死んでいるぞ? これでは、精霊や幽霊や幻想混じりの類であっても、一発で滅んだことだろう。何せ、避けられん。見えるのは、放ち終わった後だ。食らっている状態で見えたのは、この俺であるからこそだ。
無茶苦茶だぞ……。
こんなもの、人間のそれではない。それに、あんなの打って、消耗したようにも見えん……。
どっから打った? どう打った? 意思を以って撃っているのか?
正面からやり合っていては、情報すら取れんなぁ。無力化するか、口を開いて貰って会話になる状態にまで落ち着いて貰うか、たったそれだけでいいというのに。
こんなことならそのまま、真っ直ぐ実家に戻って情報提供しておけばよかった……。
だが、こうやって見てしまった以上、放っておく訳にもいかん。今この世界は一応のところ非常事態なのだという。家族以外と関わり合いの無い俺には、実感の湧きようがないが……。
……。
何なんだ? この妙な待機時間、なのか? この域に至っているなら、泥状態の俺を補足できない訳が無いだろう? どうして、先程の叫びの如く、暴れない?
まるで、辛うじて意思を以って、振るっているようだ。
意思持ってるなら、化生ではない、同じ人間様に何してやがるのだ、となるが、……。もしかして俺、奴らだと思われている……?
あ、あり得る……。奴ら自体が、ある意味そういう反応をしていたのから。
それに俺は、奴らを喰い、変換し、その身に魔力として……。
ど、どうすれば……? 今更、奴ら色か奴ら臭のついた魔力の全てを吐き出すように捨てたとて、そんなことしても、かえって怪しいだけだ。裏切り者だとか、内通者だとか思われるのがオチだ。
一旦退…―
っ……。
見た。明らかに、見たぞ。俺を、見た。泥となって偏在した俺の、意識の存在位置である、崩れた奥への道の土砂を明らかに、見た。
逃げ……れるか? 逃して、くれるか……? 出力は万全のそれであろうが、全身全霊な全力には見えない。
余力ありありだ。
逃げても、追いつかれたら意味がない。
光、だというのなら、認識され続ける限り、逃げることなんてできはしない。
ん……?
俺は気づいた。
彼女は気づかない。
どうしてだ? 俺何ぞより、そちらが気づくべきだろう? お仲間だぞ?
砦の崩れた丸太木の先、最も遠くで転がっている一人が、意識を取り戻し? 取り戻している……? なんか、血混じりに、唾? 唾か? 吐き散らし、垂らしながら、頭と、片腕だけ、あげて、いる?
何だ? 何かするのか?
人間経験を他人の経験としてしか知らない、実感の湧かない知識としてしか所詮知らないこの俺には、恐らく、予想できるのは二パターン程度だぞ?
一つ。この女の名を呼ぶ。正気に戻ってくれという、願いを込めて。
二つ。半錯乱。されど、発狂するかのように声をあげるのも、じたばた暴れまわるのも、物理的にできるだけの体力が残っていない。
三つ? 強い意思か使命感。何なんだこいつ? 従者か何かか? だが、彼女もこいつも魔法使いだよなぁ?
一パターン増えたか……。まあいい。
さて、どれだ?
「に、げ……、ろぉぁおおおおおっご…―」
どれでも、なかった。
そして俺はもう、しゃきんとやる、覚悟を決める他、なかった。
それは、未だ試していない――
俺は、俺のまま、偏在した。泥とはそういうものだ。泥沼には逸話がある。人間を複製した、という逸話が。そして、それはもう、ひとたびできてしまえば、どちらが元で、どちらが複製か分からない。
俺は――俺だ。
俺は、泥と人を行き交う者。
俺は、俺だ。俺の形をしていたら、当然俺だ。飛び散っても俺だ。泥から生えても、無数に象っても、俺は俺だ。強固な意志だけは、全てに跨り、一つに定まって存在する。
息をする以上に、習熟していると自負している。
次々に――消し飛ばされてゆく。無数の俺が、消し飛ぶ。大穴が空く。縦断されて、断面から消し飛ぶ。蜂の巣にされる。手足が根本から、迸る線に切断される。駆ける俺が、胴から横に真っ二つ、張られていた光の糸のような線で。
ちらつくように、真っ白な髪が見えた。輪郭の境界の無さが、白光な白塗りが揺らいだ。
瞬発力、若しくは、連続。それらの継続力に乏しい、か。
殖えてゆく俺は、左右の、この女のお仲間たちに到達する。
雨の如く降り注いだ光は――悉く逸れた。
曲げたのは、彼女。左手で、右手の前腕を握り、抑えたかの如く。
隙あり、と思った。だが、覆いかぶさるように泥になろうとしたその俺は、咄嗟のところで、踵を翻し、90度横に、倒れるように、泥となった。
危ない危ない。制御を喪わせて、フレンドリーファイヤーさせちまったら、何やってんだってなる。
その間も、お仲間たちを抱え上げた、俺は、俺らは、そのまま、砂の大河へと――泥となって、集まって、覆って、彼らごと流れてゆく。
お前の御蔭だぞ? と心の声を呟きながら。
その明らかに俺を把握して、俺を慮ったその男を、俺らは覆い、同じように、流す。流れてゆく。
「はぁ……。これで、あんたを鎮静できなかったら、俺はかえって恨みを買う訳だ」
と、大河側に現れて、収束して、一人の俺となった俺は、彼女の数歩前で立ち、無数の光の細い線に撃ち抜かれ、蜂の巣にされながらも。
結局は泥な俺は、声を発するために、人間としての厳密な構造を必要としないのである。




