地底と砂の大河 Ⅶ
それは――言葉を発しない。
それは――瞳を持たないのに、私たちを見ている。見つめている。灰砂の椅子に座って。ふんぞり返って。頬杖をついて。
灰色の砂の身体の癖に。他と見掛けの区別なんて無い癖に。だというのに、明らかに、これまで見た連中と比べて、それは異質であった。
くっきりと。はっきりと。それには、意思がある風にしかどうしても見えなかった。
だからこそ。
この丸太木を立てて、覆った、臨時の陣若しくは砦。そこに、いる筈のとは、別の個体だとは思う。けれども、直接見たからか、こいつこそが危険、と私の勘は警報を鳴らしていた。
そして。
取るに足らない、雑兵か、と思った、そいつの座る地面の前から聳え立つように生えてきた五体。灰砂の兵隊五体である。
私の契り放った二つのツインテールの刃は、その進路上にいたそれぞれ一体に、掴まれ、砕かれ、否、吸収された。奴らの身体に溶けたのだ。
掌握の為に割いていた魔力が、吸収されて形を失くしてゆくツインテール越しに、吸い取られたのを感じた。そうして残るのは、ショートなおろし髪。その毛先が、脱色してゆくのを感じた。
「こいつら、雑魚じゃないわ!」
そう、今の結果を見ていたら、誰だって分かることを、叫ぶ私はきっと、取り乱している。これでは、ブーメランとして放つことも、斬撃として飛ばすこともできはしない。
力の抜けていき具合からして、髪は当分戻らない。それどころか、魔力が、もう吸われている訳ではないというのに、抜けてゆく。
中央の一体が、振りかざしてきた。
剣、である。黒く濃い、光沢のある、きっとそういう風に、練り固められて、鋭さすら持った、そいつ自身体の身を返じさせた、剣である。
そして、そのための燃料は、分かる。……。それからは、明らかな圧を感じる。それは、魔力だ。魔力を固化に、糊に使った、それ故に副産物として、魔法の掛かった一撃となった、斬撃である。
私には、分からない……。それは斬撃に留まるのか。その域から逸脱した結果を齎そうとしているのか。こいつらの武芸の練度を私は知らない。こいつらの魔法の練度を私は知らない。
両方が乗ったそれは、私たちの世界ですら、あり得ないものの筈。
私のやるような、真似事の偽物がせいせいの筈。
私は、後ろ回し蹴りをしながら、左へ、避けた。大きく。大きく。
蹴り飛ばされた、シュターレンの嘔吐く声が聞こえた。
私が想定したのは、最悪。
私の観測したことのある、最悪ならば、嘗て見た、焦がれるような一撃。斬撃が――飛んだ。
丸太な壁面が、一角、断絶し、崩れた。
足は止めなかった。
吹っ飛んだシュターレン以外の残った四人は二人ずつで、両端のをそれぞれ一体ずつ、何とか相手してて。
中央の一体が私を相手と定め、その左右の一体と一体が、私の方を見て、他に加勢しないでいる。私が採りたいであろう選択肢、すり抜けて、座に伏す者への襲撃を許さない。
シュターレンを蹴り飛ばしたのが悪手とは思わない。偶々、シュターレンだっただけだ。私は、こいつらを見て余裕なんて無くなってしまったからだ。掌握の手が離れたのである。
そりゃ、皆、圧される。補正が消えたのだから。そして、もう、私には掛け直す余裕なんて無い。魔力の大半は奪われた。
これまで、こんな素振り、こいつらは見えなかったというのに。そんな言い訳が、心の中を埋めつくしていき、私を焦燥に溺れさせようとしてくる。
このままじゃあ、負ける……。
私は、懐から、それを取り出した。
小さな小さな、手鏡である。硝子ではない。それと同様の役割を持つ、鉱物塊を磨き上げられて造られた、曇りなき鏡面である。酷い面である。今にも泣きだしそうに、目の端が紅くなっているし、睫毛も眉すらも、白く色抜け終えつつある。
これは、禁じ手だ。
たった一回。自身の力の制御の練習の為、と私はやらかした。
正気に戻ったときの感覚で分かった。これは、どれだけ修練しようと、どれだけ習熟しようと、この力を完全に掌握しようとも、使いこなせるものではない。
これはもう、そういうのものなのだ。
私は声をあげた。
「撤退ぃぃぃぃっっっっ!」
皆、戸惑いを見せる。隙を作ってしまう。敵の兵が、長槍、両手槌を形成し、それぞれが、こちら側のそれぞれを、倒しにかかったのが見えた。
間に……合わない……。
瞳が、紅く染まる。視界が、紅色に染まり上がる。正気が、息が、薄れてゆく。私は、目を開いて立ったまま、自らの意識という当然の掌握を、手放した。
椅子から立ち上がり、背を向けようとしているのが、途切れる前の最後の記憶――
逃げる……なぁぁ…―
胃の中はとうに空っぽになったのに、まだ嘔吐き、横たわり、まだ、立ち上がりきれないでいるシュターレンは、眩む視界の中、上体だけをなんとか起こせた状態で、這うように、動くが、その度に、炸裂したような痛みが迸る。
シュターレンは思う。
こりゃ、胃が裂けたな、と。どうしてか血が混ざっていないのは、不幸中の幸いか、と。
と、自身の心配なんて、すぐしていられなくなった。
丸太の壁の端が、綺麗な断面で、転がっている。こんな太ましいの、どうやって……と思わざるをえない程に。
そう。見えていなかったのである。
かの斬撃を、その目で捉え、認識できたのは、彼女たち側では、まさかの彼女だけであったからである。
で、そうやって、中を見るのを遮るものが、一部欠けたことで、中の様子は、ぼやけながらではあるが見える。それを、魔力を回して集中してみると、瞬間的にはっきりと、ピントが合うのである。次の瞬間には、またぼやけるとはいえ。
斬撃を避ける彼女。反撃の為のツインテールは無くなったまま、明らかに魔力消失の証としての残った髪の脱色が進行していっている。あのままでは、身体強化に回す、自分一人分すら足りなくなるのが目に見えている。そんな状態でも、贔屓目に見て、明らかに、彼女だけしか、まともにやりあえていない。
現実的に見たら、彼女ですら、一体一で互角すら無理。
だから。自分が復帰せねば、と、必死になった。だが、必死になろうとも、その損傷はもう、魔力のない類であればもう、重症、つまり戦闘不能である。適切な補助が無ければ、命すらそのまま落としてしまう度合い。
そして。彼女の、とち狂ったような撤退号令。それと、動き出そうとしない彼女というどうしようもない矛盾。
悪手として作用してしまったそれに、多対1の多側であったというのに、凌ぐのが精いっぱいだった皆が、まるでこれまでは遊んでいたのか剣持ちの奴みたいに、武器を練り出して、繰り出しやがった。
視界が、ぼやけ、歪み、湿り、眩い一筋の光に目が眩んだ。
その直後だった。
おぞましいほどの吐き気がした。これまでのは何だったのかと思う位、強烈なのが。わ、わか、る。あ、泡を、ふいて、い、る……。
抵抗さえ許されず、意識は刈り取られた。
誰に?




