地底と砂の大河 Ⅵ
(ん……?)
砂場の山のような泥砂に姿を変えていた男は、砂の大河の水際で、それを見た。
木箱である。
それも、上辺が無くなった空の木箱。そんなものが幾つか。続いて、少し沈みつつも、沈み切っていない木箱。それも、上辺が無くなっていて、中に、化生共が使っていた、あのスコップが乱雑に入っている。
幾つも流れていく。
ここにいる化生共は、それを眺めて、放置した。流れてゆくのを回収しようともしない。気に留めようともしなかったのではないが、回収しなかった。そこが妙であった。指揮官を除いて、こいつらには、思索する頭なんてなく、意思らしき意思も無いが如しである。
咄嗟に泥砂に成り果てて凌いだまではよかった。荷物も服も、回収されてしまったし、何処にあるかも、もう分からない。投げ捨てられてはいない、と思う。他にも、砂の大河に接する岸が、ここと繋がったって存在しない限りは。
突如やってきたあの女からの仕事を結局押しに負けてやり遂げてしまった。だが、俺には義理はない。家の為にも。あの女には、時間を稼ぐことを要求した。安上りだと踏んだだろう。本来、支払いを、貸しを、無かったことにしてやるが如くな要求だ。
構わなかった。
俺は知っていた。この洞窟を。地下に流れる、砂の大河を。そして、その繋がる先も。この領の外に誰にも会わずに出られる。近隣の複数の領を越え、とある領へと、一方通行で繋がっている。
誰も知らない、ある種秘密の抜け道。俺のような者でもないと、利用すらできない類の。
……。どうしてか、木箱があった。見知らぬ木箱だ。その中からは、甘い香しさに混じり、死の臭いがした。ぞっとした。調査せざるを得ない、となって。その中の一つを、把握した。して、しまった……。
思わず、声をあげて、腰を抜かしてしまったよ。
気配が――した。
隠れる、は悪手だ、とどうしてか直感した。そんな半端では駄目だ。だが、どうする?
このおぞましい体質を利用することにした。俺は、ああなったとしても、死にはしない。
そうして、泥砂になり果てて、灰色の砂の人の形を模した化生共が、そうなった俺を発見し、だが、それが、俺という人間と、生物と、気づくことはなく、ただの泥砂としか思わなかったのだろう。そう、思わないと、気が気でない。衣服に残る熱も臭いも、生きた人間のそれであった筈だから。
徐々に、にじり寄るように、砂の大河の縁に至っている今、逃げようと思えば即座に逃げれる。奴らが追いかけて来られないなら確定で逃げ切れるが、終えた場合、どうなるだろうか……?
(――、で、あれだ。何なのだ、あれは。誰がやった? 奴らか? 奴らの別動隊か? それとも、また別の勢力? もしや、人間か? 領の誰か、か?)
流れてきた木箱と、石のスコップ入りの木箱。
それがどうしてだったのか? しばらくして、俺はその答えを知ることとなった。
ザァァァァァァァーー
前触れであったのだ。
先程のあれは何だったのか? 実験だったのだ。だが、よくやる。こんな無茶を。正気の沙汰とは思えない。思いつきでやることか? 実際に人間入れて試して無いだろ? 恐らく。……。まぁ、流れ着く前に幾つか、どころか、大半が転覆して沈んだ可能性だって、ある、か……。
石のスコップをオールにし、それぞれ木箱に乗り込んだ、一人の小さな女と、五人の付き従う男たちが上陸してきた。
その小さな女が先導した。
化生たちがあまりに突然のことに硬直したことによって生まれた隙を逃さなかった。
幼さの象徴のような、赤く長いツインテールを振り回しながら伸縮させ、魔力の迸る、燃えているのかと錯覚するかのような煌めかしいそれが、数多の棒立ちの化生たちを塵に還す。
見掛けによらず、こいつら、再生しないようだ。
俺も参加するか? いや……。今戻ろうが、全裸だ。女がいる状況でそれは止めておきたい。それに、知らない顔だ。それでいて、この強さ。お偉いさんか、その系譜だろう。悪い意味で顔を憶えられる訳にはいかない。
俺は商人やって生きていくのだから。
しかし、美しい女だ。顔の造形は整ってはいる。が、少女にしか見えないのに、こいつは女だ、と何故か思わされてしまう。何というのだろうか。長い髪? 羨ましい程の程よい褐色? 力強さ? 魔法使いとしての強大さ? 意思、か? その凛とした黄色の瞳か? 醸し出す雰囲気か? 淫靡や淫乱さとは違う。何というのだろうか? 目が離せなくなりつつある。熱か? 熱だ。
いや、俺は、この砂の大河の流れる先、バスターパイル自由領へ行くのだろう? 統治一族が断絶した上、他領へ嫁へ行った年老いた女が拒絶したことで、相応しい者が現れるまで、自由都市として運営されていくことが決まった、かの地へ。
その他領というのが、先程まで俺の実家であった、この地である。俺のいた本家の直接の身内という訳ではないだろう。その年老いた女のことは特に知らん。俺の置かれていた立場故に、隠されていただけという可能性も無いとは言えないだろうが、まあ、直接の身内である可能性は極めて低いだろう。
……。成る程。このツインテールの女の魔法、固有、それか。傾国のそれではないか。だが、悪用の素振りが無い。あったなら、無秩序に撒き散らしていたならば、俺に今、思考能力も正気も残る筈が無いのだ。
女に続いて、男たちも、岸の近くにいた化生たちを悉く倒し尽くし、気づかれている、丸太木の即席砦の中へと真っ直ぐ侵入してゆく。
ふと、思いついた。
腰布でも何でも、構成し、纏っておればよいのだ。材料なら、幾らでも積もっているではないか。
寧ろ、どうして今まで気づかなかった……? 決まっている。経験が無さ過ぎるのだ。家の、部屋の中からすら碌に出たことすら無かったのだ。出られなかったのだ。部屋から出られるようになっての短い間に濃密に経験を積んだとしても、そんなもの、現実で、世間で生きる者たちと比べたら、無いに等しいくらいに乏しいのだから。
そうして、身体は、形を取り戻した。泥の混ざった砂を固く纏って。これは。これだけは得意だ。土泥に帰すことと、人の形になり、保とうとすること。俺は生きるために、これだけは只管繰り返し続けざるを得なかったから。このしなやかさなんて無い、覆い纏い、申し訳程度に固めるだけに留まっている腰布擬きはその限りではないのが不安要素ではあるが。
さぁて。恩の押し売りでも、しておくとしよう。




