熾烈なる戦嬢 Ⅸ
誰が言ったか? 楽しい冒険はここでお終い。さぁ、絶望の時間だ! そんな風に、頭を殴られたかのような衝撃を味わうことになった。言ったのはきっと、この私自身の心の声だ……。
想像だにしていなかった、もしも、が目の前に立ち塞がっていた。
「母上……?」
見紛う筈もない。何で、この人がここにいるのか? そんなもの、決まっている。この人が黒幕だからに他ならない。
白百合の花弁を倒立させたようなスカートに、貧相で薄い上半身。胸元のブローチは土台のせいでとても平面的であった。細く長い。手も足も。胴すらも。人形のように小さな、平たい顔の後ろに、一本のふっさふさのロングテールが尾のように流されて踊っている。白く、水色寄りに青く、そして、半ば透けている。そんな妙な髪の毛。睫毛。眉毛。
その肌は、病人のように青白いが、皺一つ無い。頬はこけてはいないし、目は一重で、隈も無いけれど。虚ろで、混沌と、渦を巻いたような黒い瞳が、白い眼球に浮いていて、じとっとしていて、瞬きなんて碌にしない。
俯くさまは、ぞっと寒気がするくらいに美しく、幽霊染みた雰囲気を漂わせる。もうこの世のものでは無いかの如く。
父上は、いない。そのことに不幸中の幸いと安堵していいのかどうかすら、もう、分からなかった……。
「見れば分かることでしょう」
冷たい声で、立ち上がるどころか、顔を上げることすらせず。
蔦の絡まった意匠の、大きな椅子である。母上だと座面が余る程の。当然足も地面に届いていない。抱えている。それへ、くちゅり、ぐちゅり、と針を刺している。
それは、樹木染みた肌地の、人の赤子のようであった。
でも、そこからは、血縁の魔力は感じない。母上からは忌まわしくも今も繋がりを感じる。
嬰児では無い筈だ。死産だなんて。母上は現在身籠って何ぞいない筈だ。家が家なだけに、そういった部分の管理は強くなされている。
それに、あれほど大きくなっていれば、気配も魔力も宿る筈だ。血縁なら感じ取れる、繋がりの魔力を。それが無いということは、それは、どこから拾ってきた? 浚ってきた? 奪ってきた? まさか! 幾ら、半ば狂っている母上であろうとも、血の繋がりのある子を持つ親だぞ? するか、そんなこと?
そこには、母上とそれ以外には、自分たちしか存在していなかった。一見、終着点であるように見える。先はあるのか? それとも、本当に黒幕、なのか?
おかしな母親ではあった。気紛れで身勝手で、独善的でありながら大概的外れで、掻き回すだけ。でも、それでも、処分されるような本当にどうしようもない類では、辛うじて無かった筈だ。
「ばかな子。貴方は最後の機会を逃したのよ」
急に。明らかに。それは、自分に向けての言葉であると、彼女は察知した。目の焦点を合わせ、前を見ると、母上は顔を上げて、こちらを見ていた。
母上は否認するつもりすら無いらしい。ならば、抱えているあれこそが…―
視界の端に映った、届いた瞬間に、彼女は反応し、飛びながら、退き、躱した。
(灰泥色の血?)
それが、針の流線に沿って飛ぶ。その後、針も飛んでくる。
避ける訳にもいかない。受ける訳にもいかない。でも、先程みたいに、集中を入れる間も無い。
針を片方向に振っただけでそれだ。明らかに、針の大きさと付着した血の量よりも、飛来してきた量は多かったのだから。
ならば、返す手で、更に半往復。来た!
右の房を千切って、力を籠め、掲げるように立て、手を離す。
無数の扇へと化け、散らばりながら、飛んできた汚れと針を受け、消し飛ばしながら消し飛んだ。
力を込めたが、のびてこない。打ち止めらしい。つまりもう、左房の分しかもうない。手勢たちも先程ので、渡した分は使い切っていた。
「ダズル。貴方は今日も親の言うことを聞かないのね」
椅子から立ち上がり、片腕にそれを、もう片腕に針とそこから滴る灰色の血。その残量も残数も全くもって不明瞭であった。
「親らしいこと、した? 父上はしてくれたわ。母上は、母親の役割を全うしたっていえる? 実績と同じように、その無い胸を張って。邪魔ばっかり。よりにもよって、こんな時に!」
思わず言ってしまう。
熱くなっているからだ。この調子だと止めに入るだろう手勢たちも、近寄ってこれないようである。つまりそれだけ、もう、自身の力が消耗しきってしまっているということだ。
「貴方こそ、昔みたいにめそめそと部屋に籠って塞ぎ込んでいればいいものの! どうして、あの女みたいに、誰かを連れて、身勝手に出歩くのよ!」
母上の声なんて、意味は無い。唯の身勝手な感情の発露に過ぎない。せめて、私にどうにかできる、私のせいなことで文句を言って欲しい。
けれど、自分がちっぽけな存在であることは確かだ。昔よりは大きくなった。でも、気を張らないと、みんなを引っ張っていけないくらいに、私は脆い。できないことをやっている。務めであると足掻いている。
(私にはできない……。そう。私には。だから、私の力はこんな風なものになったのだと思う。でも、この力が芽吹いた時とは違う。私は母上のようにはならなかった。厄くとも、独りにはならなかった。ならないように頑張った。だって、彼ら、戸惑いもせず、狂騒に駆られることもなく、私を信じて、今もついてきているから。背中越しに感じる。一先ず、今私ができることは、次の一手で最後になるだろう。一区切りだ。なに、死ぬことはないもの。だって、彼らが後はやり遂げてくれる筈だから)
認めよう。私は、こう、なりたくなかったのだ。だから、必死だったのだ。強い目的も野心も無い私がここまでやれてきたのはきっと、そういうことだったのだ。
駄目だ……。折角、暗示を掛けるかの如く、見ないように、知覚しないように、誤魔化してきたのに……。並ぶみんなの顔が、こんなにも温かく、頼もしく、そんなみんなの期待を寄せるその表情が、こんなにも――
「みんな。見ての通りよ! 誰が何と言おうと、あれが下手人よ! やれぇええええええ!」
残り全部の力を込めた号令の言い終わりと共に、残る一房を引きちぎった。それを母親に向かって投げつけて。真白な髪だけが残る、完全なる魔力欠乏。
邪魔にならないようにと、入り口の導線から外れるように、二歩、三歩、器用に後ろ向きに歩き、そして、倒れる。もう、自分にできることはない。もう、本当に祈ることしかできない。でも不安に苛まれることなんてないのだ、だって、きっと――




