熾烈なる戦嬢 Ⅶ
来ない。
ぽたっ。
来ない……。
ぽたっ。ぽたっ。
……、来ない……。
ぽたっ!
動きを止めたせいで、溢れてきた汗が零れ、水溜まりを作る。そんな濡れによる気持ち悪さよりも、今のこの不気味な間の気持ち悪さの方が数段嫌だった。
覚悟したのに。
やってこない。
そんな筈がない。やってこない訳なんてない。自分たちは敵だ。内ゲバ相手なんかよりもずっと敵だ。この数日ずっとやりあってきた、人間という名の敵だ。
敵なんだ! 倒すべき、敵なんだ……!
「「「「「姫! お気を確かに!」」」」」
幾つか重なって、後ろから聞こえてきた声。符丁である。言い方を限定し、特定の一人ではなく、複数人で重ねるように。そして、権力者を想起させる、姫、と呼ぶ。王族でもない自分のことを。
自分が暴走している、と見えた際に抑えて貰うための符丁である。
精鋭なる手勢である彼らですら、自らの意思で自らの言葉で、自分へ真っ向から抵抗できないが故に、その為の手段として、用意したのである。
この忌まわしき能力を無理やりにでも運用する方法。切ることができないこの能力を。振り返ると、彼ら全員、頭を垂れて、膝をつき、こちらを向いていた。
「忘れてないわ。私は王族でも何でもないと」
そう彼女が締め括ることで、彼らが頭を上げ、終わる。これは、力を制するための取り決めであり、鎮静の為の彼女のルーティーンでもあった。
ここ最近は使う機会も無かったこれを、こうやって使うことになったことを、彼女は恥じつつ、気を引き締め、胸を張って立つのだった。
行く、引き返す、の二択という条件で行った多数決の結果、もう待たず進むこととなった。衝突音は、未だ止むことなく聞こえている。
とはいえ、まだ、遠い。
幾つかの部屋を素通りしながら、部屋の壁に印をつけ、先へ進む。そうして、彼女が先んじて踏み入った。だが、敵と敵は、こちらに気づく素振りを見せない。
砂煙は濃い。大きなものたちが、自身をすり減らしながら、駆動を続けた結果であろう。
二つの勢力に分かれてぶつかりあっている。三体と三体。濃い砂煙故に、通路のこちらまでは見えていないのだろう。元より、こいつらに目視という概念があるか怪しいが。感知し、認識していると考えるべきだろう。
そして、その感知は、こちらへ届いていない。砂煙が原因か、目の前の相手に集中しているからか。どうでもよかった。
だいぶ砂が積もっている。流石に、動いて削れた分だけにしては多すぎるだろう。つまり、それぞれの勢力の何体か、下手すれば何十体もが滅びて崩れて砂と化したのだろう。
明らかに敵双方は平静を保てていない。朗報であった。
で、どうするか。あの逃げて行った奴が、ここにいるか、ここで砂になっているか、それとも、先にいるのか。
今、部屋の中で立っての殴り合いをやってる三体と三体。どうなのか? こいつらは、外の奴らと同じなのか、それとも、あの逃げた奴と同じなのか。
こいつらに頭脳があるのか。役割があるのか。それが問題だった。それに、前のあの後詰たちと同じ勢力は、こいつらのうち、どちらだ?
拠点が複数の部屋に跨っている可能性だってある。
だが、ぐずぐずしてもいられない気もする。仮に、奴らのうち一体でも、こちらに気づいたら、こいつらは共同戦線でも組むのか? それすらも分からない。
分からない、分からない、分からない!
後ろの手勢たちも、薄くとも自意識を残しているのだから、こんな風に考え、疲労していってる筈だ。せめて、率いる者として、役目を果たさなければ!
やらねばならないのは、結局、この部屋においては、全消しである。それが最も、後に尾を引かない。どこまでいけば終点かも分からない。だが、持ち帰るべく大きなものがもしもあるとするのならば、手勢は出来る限り、消耗せず残さないといけない。
ある意味使い減りしない自分をここでも大いに使うべきだろう。
踏ん張るように力を籠める。髪が、ぼわんと長くなる。成長したのである。しかし、流石に、色が薄れる。赤から、ピンクへ茶色と白の混じりへと薄れている。
当然の如く、回復よりも消費が早い。もう結構な無茶をしている。彼女は、自分が倒れた場合というのを考えていた。
そうなると、誘惑、魅了、という名の支配は消える。彼らは濃く意思を取り戻し、魔力消耗の無い分、十全に動ける。そのとき、精神の方がそれ程削れているかは不明瞭であるが、動いて戦えるくらいには余力はある筈だ。
自分はこんなだ。
将として半人前にも満たない。
それでも。率いて、死地とまでは言わずとも、こんな危険な場所に連れてきてしまった以上、出来る限りをせねばならない。我が身可愛さに、なんて行動をするくらいなら、この力が明らかになった日から、引きこもるべきだったのだ。それを選ばなかった以上、私には責任があるのだから。
彼女は、そういう女であった。
そういう、気概を、覚悟を、ある種の気高さを、特にここにいる精鋭たちは認めたのである。だから、頭を垂れ、膝をつくのだ。騎士の如く。
力さえ制御できれば、彼らは忠臣として、喜んで彼女に付き従うことであろう。この中でそのことを知らないのは彼女ばかりである。
通路にいる彼らへと、彼女は自身の引きちぎった毛束に過剰にまで力を込めて、後ろに回していってもらう形で行き渡らせた。
「いい? 息を殺して。恐れずに。私にすら気づかないなら、貴方たちに気づく可能性はもっと低い。気づかれても最悪、それぞれの手に一房ずつ持つそれを振り回せばいい。あいつらに通るっていうのはこれまでで分かってるんだし。ばれずに、みんなが部屋の縁に並べたなら、私が貴方たちの前を姿勢を低くして足音を殺して走り抜ける。そうして、私が、ここから見える、この部屋のもう一つだけの通り口であるあの通路に立って、一撃を放つ。そうしたらみんな、手にしたそれをお見舞いしてやって。途中でばれたら仕方ない。そのときは、バレて動かれたそのときに、近い側にいる奴に集中砲火よ。できたら、通路に立ち塞がって、伝令役をやられるのを止めれたら止めて」
長くともいいのだ。彼らには、彼女の言葉はよく通り、よく残るから。こうやって、分岐付きでの指示が現状の最上。指示の間隙に落ちての硬直を起こさずに済むからである。
細かすぎる指示は結局できない。本来なら、彼ら一人一人の特性に合わせた、個々人用の指示ができれば、というところだが、それは無理である。彼らを個人として、彼女が知覚、認識するということ。それは、もう、彼ら個々人の完全なる掌握、支配に等しい。
だから、彼女は頑なに、彼らの名前を憶えない。顔すらも、忘れ、薄れさせるよう努めている。だからといって、彼らにみんなに、仮面をつけて、一切顔を見せるな、とも言えない。あまりにも身勝手過ぎるからだ。
だが、徹底するなら、やるべきである。その辺り、彼女は甘い。半人前未満の所以である。
「さぁ、二手に分かれて、行って。最初は手前に。次の人は更に先に」
そうして、お祈りの時間である――




