最前線 ウィル・オ領 Ⅴ
ウィル・オ・領に漂う不穏さはだいぶ和らいでいた。理由は単純だ。士気の高揚と、強固に築かれた安定である。それは、夜だけでなく、敵の襲ってくる昼ですら変わらなかった。寧ろ、昼の方が強くなっている。
自分たちはやれる!
そんな自覚と、目前の苦もない継戦、接敵されることなく、取りこぼしすらなく撃退してゆく圧倒が続いているのだから。
砂の浄化は夜のうちに。
そして、日が昇る前に、長城は前進する。それを施した魔法使い本人がいるからこそ、破綻なく、そんな滅茶苦茶なことができているのである。
そして、今日もまた。昼空の下、築かれた長城によって、戦線をだいぶ安定して押し返せていた。もう、危なげすらない。
灰の砂の巨人たちは、長城に接敵することすらできない。大量の砲台が並んで、向かってくるそばから砲撃されるかの如く、魔法をお見舞いされるのだから。
固定砲台として放つのだし、敵との距離もとれているのだから、もう、実戦というよりは、訓練のそれに近い。そんな型に見方を嵌めて動かせているのだから、向こうが何か別の動きを見せない限り、後退は無いだろう。
とはいえ、どこまで進めば終わりにできるかは相も変わらず不明瞭。そも、敵の出現が夜だけであったりなど、妙な点も多く、その辺りの謎は解ける切っ掛けも素振りも無いままなのだから。
そんな日のこと、傍の自身の女に、ウィル・オ・ウィリィは、既に片づけた筈だった問題が再び差し迫っていると明かされた。
「義母様がこっち、向かってるね……」
最悪である。
折角、今回は妹に押し付けることができていたというのに。
「母上は僕か兄上が止めればいい。君の手を煩わすのこそが最悪だ。でも、妹の方も様子を見に行く必要がある。でも、抗えるものじゃないと……」
「で、では、私が!」
がしゃん! と鎧の音を立てて、片手を、胸の前にあてて、そう、言い放つ、かの愚鈍な騎士ブリキ。悪い奴じゃあない。それは分かる。だが、頼りないのである。
中身は女ではなかった筈だ。だからこそ。妹の前に立てば、その影響からは逃れられないだろう。
それは、今回の作戦のために雇い入れた、いまいちぱっとしない騎士である。生真面目ではあるが、それだけである。何というか、動作、所作、頭の巡り、全てが今一つ鈍い。だから、伝令役に使った。嘘偽らない正直者であるからこそ、騙し合いや政治の場でなければ、伝書鳩としての役割には大層向いている。
意外といないのだ。この手の適性がある存在は。大概が盛る。功績を繕おうとする。顔色を伺い、婉曲する。こいつはそれをしない。
兄上が気に入る訳である。あの兄上が。態度や扱いはフラットにできるとしても、人の好き嫌いは独特でありながら、存外激しい。
気に入ってる相手なんて、あの、実質内縁の妻にしてる、草の者くらいだろう。あの人も大概癖が強いが。
彼女にも話に入って欲しいのだが、もう、前を向いて、戦場の把握に努めている様子。邪魔していい訳がない。
「いや……。君、僕の妹の悪名を知っているのかい?」
実質選択肢なんてない。この騎士を派遣するのは、悪手ではあるが、最悪ではない。兄上が認めたのだ。ならば、役割だけは最低限は果たすだろう。遂行不可能な状況に陥らない限りは。
だから、伝令、と素直に形容してやれないのである。一人、野を駆けるだけの実力が、この不器用な騎士には無いのである。
あれば、既に他で召し抱えられていたことだろう。こんな、辺境、世界の終わりの縁まで流れ着く筈もない。
「?」
騎士ブリキの首を傾げる鎧の音が響く。
「いや……いい……。知っての上であれば、罰を与えなくてはいけなかった」
「ウ、ウィリィ様らしくない、こ、怖いことを言いますね」
こういうところである。これは、伝令どころか、騎士というものに向いていない。
「男であれば、アレに意見することすら叶わない。家族は例外。……。ぅおあっ!」
背後に忍ぶように、いた。兄上のお相手が。
騎士ブリキにまず先に言った。
「暫し待て」
すると、何も訊き返しもせず、突っ立つのである。こういうところは実に助かる。
「領主様より言伝があります。前領主の反応が消えました。その直前、前領主夫人の反応が、その近くにあったとも。妹様の前線は保たれているとのこと」
いつからいたのか? というか、限りなく薄く透明になられたままで、小娘のような小さく高く丸みのあるかわいらしい声だけこちらに向いて届いてくるのは、いつになっても慣れない。
魔法に加えての技術。この声は、指向性があり、自分にしか聞こえていない。魔法による不可視面と辛うじて薄く可視できる面だってそうだ。
傍の騎士ブリキには見えても聞こえてもいなく、戸惑った僕と、まるで誰かと話しているかのような、だけど声は僕のだけという珍妙な光景が展開されることになっている。
「……、え、あいつも闘ってるんです? 義姉様?」
この人のことはそう呼ぶことにしている。僕に相手がいるのなら、彼女、となるんだけど、その時が来た場合、できる限り力強い味方が欲しい。
心配……し過ぎなのだろうか……?
「夫人を抑え込む為ですよ。ダズル様は才がありすぎた。初陣だというのに、夫人がお手すきになる程に。だから、制御下から外れてしまった、と見るべきでしょう。言うな、とは言われていたのですが、貴方様はもう一皮剥けてる訳ですし。誰から見ても、貴方様は一門の将ですから」
ウィリィ様と言わず、敢えてそう言う。贔屓目に見て、ではないぞ、ということである。妹のことは、そうは言っていない。押し付けられたとはいえ、母上にフリーハンドを与えてしまったのだから、まあ、そういう評価にもなる。
「……。手伝ってもらえると受け取っても?」
騎士ブリキだけでは不安だ。この人が行ってくれるか、母上の足止めか、どちらかをしてくれるなら、だいぶ割り振りの選択肢が増える。
「厳しいところです。他の領主たちの足並みは鈍くとも、各地の騎士団はその限りではないでしょうし」
……。まあ、そう言うか。今まで現れなかったのだから、そりゃそうである。
「母上の足止めだけでも……?」
ダメ元でお願いしてみる。先程の建前を重視するなら、領内なら、まだ動けるだろう? どうか、通ってくれ……。
「やりましょう。ですが、相性差で抜かれるでしょう。あの方は、将の才は無くとも、大駒ですので」
安堵……しきれない……。安堵させてくれよぉ……。
「兄上と義姉様とで、でも止められる自信ありませんか? というか、領内なら、彼女の護りの範囲内ですし、火事場泥棒や暗殺者の類くらい何とでもなりますよ? 僕も、彼女も、僕が領主になることなんて望んでませんよ? 『早死にするからやめときなさいな』って、首を縦に振るまで言い聞かされましたから」
背後の、照れている彼女の様子がうかがえた。そんな彼女を指差しながら、ねっ、と、野心の無さをアピールする。
何せ。兄上は何を考えてるか分からないし。置いてくれてるんだから、最低限の信頼はちゃんとあるんだろうけど。
「と言うか、僕としては、兄上は僕に押し付けたがっている、と思っているのですが……?」
兄の様子というフィルターを除いて、判断と行いだけに焦点をあててみてみた場合の、兄上の考えは、多分こうだけど、……。母上と妹が、ノイズとして強すぎる……。
「よく見てますね……。才があるのと、やる気は別物ですからね……。胃痛を抱えるなんてものは、臨時や短期ではよくとも、長期では向いていない、才なし、と言えますからね。他からお誘いを受けたとて、矢面には、彼女にこそ立って貰うべきでしょうね。前線指揮官は変わらず貴方でよいでしょう。それはとても向いてるようですし、才もある。他からの承認だって持ち合わせているのですから」
忍んでいる癖によく喋る。とはいえ――
「適性を無視すると碌なことにならないのは身に染みてますので……」
ウィリィは大人であった。前当主やその夫人とは違って。
「意地悪が過ぎましたね。当主からの言伝です。『どうやら冷静であるようだし、母上はこいつと共に何としても足止めしてやる。代わりに、我らが妹の元には、件の騎士を派遣することとしよう。どうだ?』」
「お見通しでしたか……」
「貴方の役目は前線指揮官。その働きを邪魔してはいけないと、あの人は気を張っておられますので。前線さえ保てると確証が得られたなら、領内の範囲であれば多少は動けるとのことでした。あの騎士が頼りないのはわたしも分かりますが、それは表面上であって、あの人は一応の合格を与えました。召し使えてもよい、とも。あれには正直者の才があると」
騎士ブリキが、その場にいて、聞こえないとは分かっていながらも、こうずけずけと……。よくやるよほんと。
「最初からもう少し教えてくださっていたら……」
「篩というのは多重かつ、異なるしきいであるからこそ意味があるのです。謝罪の場を設けるように言っておきますので、文句はその時にお願いできたら」
と、その限りなく透明な姿は、確かに消え去ったのだった。
後は、騎士ブリキを行かせるタイミングを見るだけ、か、とウィリィは少しだけ安堵するのだった。




