戦場跡の守人 Ⅲ
「……。俺は君を何と呼ぶべきだろう?」
ティアランは間を置きはしたが、躊躇はしなかった。そこで話を止めて仕舞いにしてしまえば、地雷を踏んだという悪印象だけが互いに残るだけになるから。
「……。臆さないのか、君は」
女は目を見開き、ティアランに確認をとる。
「怯えて何になるよ。そんなもの、後悔を生むだけだ」
そう、ティアランは遠い目をして、曇天の空を見上げた。届かない何かの、背に手を伸ばそうとするかのように、手を翳し、力なく降ろす。
「君も、暴露してみるかい? 懺悔という程畏まらずとも、吐き出したい思いがあるのではないのか?」
女のその提案は、ティアランにとって意外であった。
「ならば、俺の元の役割と、それを辞した理由となった出来事について話すとしよう。俺は、ある日、捨てられた子犬のような子供を拾った。一族から、親から、見捨てられた子供だった。俺は、そいつを拾い、助けることとなったが、そいつに気づかぬまま強いた。俺は当時、騎士団長だった。そして今の俺は、騎士団長どころか、騎士ですらない。今からするのは、そういう話だ――」
ティアランは迷うことなく乗り、女はティアランの話に耳を傾ける。遮ることもせず、ただ、じっと、聴いていて。
表情は、話の山と谷、明るさと暗さに同期するかのように変化していき、話し終えたところで、
「――っていう、救いようのない愚か者の話だ。人の上に立つ資格も、教え導く資格も、実のところ、俺には無かったんだろうさ。……、泣いて、いるのか?」
女が涙を流しているのに気付いた。声を上げてなくとか、顔を真っ赤にして泣くとか、そういうのではない。両目の耳側の端から、それぞれ一筋流れているだけだ。激しく溢れる感じでもなく、さらっとした涙といった感じであった。涙をさらっと、と表現するのは筋違いなのだろうが。
「え? ……」
女は戸惑った。そして、答えを返すでもなく、ただ、男を真っ直ぐ見た。
「何か、古傷を抉ってしまったか? それとも、ただ、寄り添ってくれただけか? あいつに」
ティアランはそういう男であった。そこで、自分に寄り添ってくれたのか、ではなく、そう言ってしまうのだから。
「……、多分、君の代わりにだよ。唯のティアラン。君はその子が大切だったんだね。そして、それは期待だよ。強要した訳じゃあない」
女が重くなった口を開いたかと思うと、
「選択肢が無かったという訳でもない。ただ、君は見誤ったんだろうね。その子は一見大人の如くであって、その内側の最も深いところは、ほんの僅かに子供だったのさ。子供としての我が儘。たった一つの我が儘。本当に、一生に一度、といえるようなものだったんだろう」
長く長く話し始めた。
「不幸にも、才がありすぎて、立場をあまりに早く得られてしまった。嚙み合ってしまったのさ。それにね。彼自体も間違っていた。君の手を取るべきではなかった。手を取ったなら、魔法という未練を捨てるのは当然のことだ。君がしたのは、孤児を拾ったようなもの。縁もゆかりもない。本当に全くなかった、とは言わないけど、実質そういうものであったということさ」
女なりの考えは、こちらをただ慰めるだけのものでもないし、こちらを一方的に否定するものでもない。巡り合わせが、運が、悪かったのだというのを、言葉を変え、繰り返しているようなものだ。
「だって、君は与え過ぎた。それに、彼の妄執を咎めることも止めることも否定することもしなかった。だから、間違ったのは、両方ともなのさ」
「破綻するよ。両方とも間違ってたんだから。破綻せず踏ん張ったとて、最低でもその子は歪んだだろうし、多分、君もいつか気づいて歪むこととなっただろう。最悪、周りも巻き込んで在り方を歪めたことだろう。遅ければ遅いほど、取り返しがつかない。タイミングは君とその子にとって、最悪だったかもしれない。でも、きりはよかった。君は心に折り目をつけ、騎士団長という立場どころか、騎士すら辞めたのだろう。けれど、その子はどうだい? 君が空を見上げて見つめていたのは、誰だったのかな?」
女がそう言ったところで、ティアランは口を開いた。
「君は、何者だ? 今を生きる者か? 過去の生き残りか? どちらだ」
改めて問うた。
「唯の、死に損ないだよ。死ぬことすらできない。現状維持を強いられながら、徐々に、背後で大きく口をあけている、遠くの終わりへ近づくように後退させられている。君、わたしの容貌、半端にしか視認できていないだろう?」
また少し、新たな情報が明かされる。
「そういうもの、ということではないのか?」
「終末が近いのか、わたしをこうした者たちが知れるように。わたし自身には分からない。だから、少し、楽になった。だいぶ、近いって分かったから」
「……。終わりたいのか?」
「死にたいのか、じゃあなくて?」
「そういう役割に縛られていて、命は二の次なのだろう?」
「……。先ず、わたしの役目の話をさせて欲しい」
「聞こう」
絶えず、押し寄せる灰の人形。
鎧の段差、凹みまで再現された詳細な、灰の重装鎧騎士といったものから、固まりきらない砂を手で集めて、山にしてを繰り返して子供が作るような、手足と頭と胴体を細部を象らず作ったかのような砂人形まで。
日によって、比率や総数は全く違う。
変わらないのは、それらが、自分を襲ってくるということ。
赤色の夕日が顔を出し、それが赤のまま頂へと昇り、やがて、赤色の夕日が沈むまで。
それはこの場所における夜の代わりであって、自分の務めは、それらを凌ぎ切ること。倒してしまってもいい。できる限り長く、この地にて、凌ぎ続けること。
魔女故に、死にはしない。限定的に。場所と役割による資格によって付与された称号であるが故に、負けが込むと、剥がれてゆく。
観測者が、自分のことを認識できなくなったとき、完全なる剥離。完全なる敗北。終わり。終末。終焉。この界は自分ごと壊れ、鎖していたこの地の全てが溢れ出す。
夕日が昇る――
「そろそろ……かしらね……。今なら引き返せるけど、どうする?」
そう、女は棒を構え、棒は刃を携えて。それは大鎌の様相を呈した。しかし、その刃はティアランの方を向いていない。夕日が昇ってきた方向。ティアランに背を向けて。女の握るそれが、僅かながら震えたように見えた。
奇しくも、ティアランはそういうところでの察しは良かった。
「一応訊くが、真っ暗闇になったりはしないか?」
「ずっと真っ赤よ。沈むまで。外での夜の代わりが、これだから」
ティアランはすっと、降り立つ。そして、椅子代わりの牛たちを消し、自身の武装を喚んだ。
「まだ僅かばかり猶予はあろう。俺はどういう風に手伝えばいい? 君の武器からして、巻き込みをどれほど気にすればいいか分からん。離れた方がいいなら離れるが」
「……? どう……して……?」
女は戸惑っていた。質問に答えるでもなく、尋ねたのは、心。
「あの墓所にて。俺が振るった刃。君は驚きを見せなかった。その上、俺を知らない。その名を轟かせていたのは僅か数年前まで。幼子でも無ければ知らない者はいない。うぬぼれでは無く、俺はそういう存在だった。あいつという存在も同じく」
ティアランはぽろぽろと零れて紡がれてくる自身の言葉に戸惑いを覚えつつも、口を止めなかった。
「……。あぁ、どうして、だったな。君は闘う者だ。鎌を持って構えるのが、息をするかの如く当然のように見える程に。恐らく。一人で。孤独に。永く永く、闘い続けてこれてしまった。あの王が、俺でなくてはいけないとここへの道を拓いた」
らしくないことを言ってる自覚はあった。何で、会ったばっかりの相手にこんなことを言っているのか。よりによって、女性相手に。
幼い頃、自身を手折った大人の女性という化け物の記憶にどうにか決別を果たし、昂った欲の解消に女性を買うこともできるようになったのすら、少年もしくは青年の境目位の頃の昔。それでも、女性は友人として見るのが限界、女性相手に踏み込むことも、踏み込まれることも、こうやって、心を開くこともできないでいたというのに。
役目としては別だ。女性との遣り取りも、必要なときはやったし、できていた。自認ではない。他から見てもである。そうでないと、騎士団長になんてなれはしない。自分には、後ろ盾となる背景すら微塵も無かったのだから。
しかし、これは役目ではない。前王との義理は既に果たした。この地に踏み入れた時点でもう、過剰。領分の外。
「……。何を言っているんんだろうな、俺は。こんなもの、空想に過ぎない。……。手伝いたい。そう思ったんだ。このティアランが。唯のティアランが。どうだろうか? どうか、寄り添わせて、くれないか? 見定めたいのだ。君の本心を」
それでも、むずがゆくも、恥ずかしくもならなかった。今、自分は、したいと思ったようにしているだけなのである。
あいつが今の自分を見たら、どういう顔をするのだろう。見上げたのではなく、言葉を向ける対象である隣の女を自分は真っ直ぐ見ていた。
そうして、紅の空の下、枯れ森の覆いからやってくる灰人形共の兵団を、女と共に、ティアランは狩り続けた――




