戦場跡の守人 Ⅰ
元騎士ティアランは、古臭い死臭の漂う、首都の郊外に衛星都市のように点在しつつ、実は繋がっていてその連結部を閉ざされている広大なるカタコンベを歩き回っていた。
死臭だけではない。薄暗く、黄土色で、湿気臭く黴臭い。
常人であれば、視界と嗅覚を奪われたかの如く。空気も薄く、息もやがてできなくなって。ミイラ取りでもないのに、誘われる。物言わぬ亡骸の運命へと。
遺骸が左右に直立して天井近くまで、数段積み重ねられた、その癖、三人も横になって立って並んだら詰まるに違いない程度の広さしかない通路では、襲い掛かってくる、手繰られた遺骸を、魔法の剣ですらない、数打ちの粗悪なブロードソードを片手で握り、その腹でついて、下手人を吐き出させ、斬れない筈の霊体を斬って捨てる。
行き止まりであるが、周囲と色が違う。蹴ってみると、麻の土嚢のような詰め物の表面が露わになった。しかも、今ので僅かながら、裂けた。古くなり過ぎて、脆くなっている。
肩から体当たりした。
鎧を召ばずとも、もう骨肉に染み付いた動き故、他愛ない。
少しだけ閉鎖の前の部分と同じ通路が続き、そして、天井の高く、縦にも横にも広い開けた、薄灰色の石の十字架が一部綺麗に、大概乱雑に、一部折れたり崩れたり斜めったりしている部屋が見えた。
分かる。
間違いなく、古い。頭に入っている、カタコンベの地図に、このような場所は無い。
ティアランは躊躇しなかった。
踏み入ると、
ゴォオオオ、ガララララ!
古式ゆかし過ぎて、逆に稀になっている、人間の骨が、瘴気や魔力で生前の有りようを象った、スケルトンと呼ばれる魔物数百が立ち上がる。
迷いなく、剣が振るわれる。スケルトンの接近を待たず。剣の軌跡は空を切る。否。それら全ては、今、斬られた。
斬撃は、飛び、斬撃同士は干渉することなく。スケルトン一体一体にとって、それらの斬撃の線、否、面の折り重なりは、スケルトンたちへの透過面を斬撃面とし、乱れ切りに、骨片へと還した。
魔力も瘴気すらも斬られ、再度の連結も終結も許されない。その癖、墓石や、地面や壁面や天井の土はその対象から外されたかのように無傷である。
力なく、カラララララララーー
乾いた音を立てて、地に落ちたそれらは、落下の衝撃にすら耐えられず、骨自体に含む魔力と瘴気を霧散させてゆきながら、大半が灰に還って、揮発するかのように消えていった。
そうして、地面に僅かに残った灰の粉末は、地面に溶けるように消えていった。
(領域外と同じ……あの砂の如きものの正体はコレか。そして。どうやら一発で当たりを引いたらしい)
ティアランは歩を進める。
この歩みが、先人たちの亡骸を追い打ちにように砕かずに済んだことに慰み程度に安堵する。
見渡したが行き止まりである。
来た道以外に、通路は見当たらない。天井にも地面にも。だが、ここである。ここに違いないのである。符号するからだ。
王が、言っていた。
正確には、前王が。
『探せ。嘗ての戦場跡を。真なるその中心を。それは、地下にある。向かえ。そなた一人で。ティアラン。騎士団長どころか、騎士ですらなくなった、唯のティアラン。それでも、そなたにしか、頼めぬ』
ティアランは一つの十字の墓石の前に立つ。
山ほどあるこれらに対して、どうアプローチするか。剣のように引き抜く? 手前に引くように傾ける? 押す? 折ってみる? 杭のように、埋めてみる? それか、もっとじっくり調べてみる?
だが、その前に。
ティアランは剣を仕舞い、目を閉じ、手を合わせた。
「おや、珍しい。人の身で、この場所に降り立つ者など、久しく見ていない」
影も形も気配も。確かに無かった。無かった筈だ。こんな見落としをする程鈍った覚えも無い。
ティアランは目を開く。眼前にはいない。しかし、確かに耳元に聞こえた、そのくぐもった、性別も年齢も分からぬ声の届け方は、騎士のそれではない。よく知っている。誰かは知らない。だが、この手法自体はありきたりで、よく知っている。
「魔法使いか。どうしてわざわざ声を掛けた? そうするつもり何ぞ、無かったのだろう?」
ティアランは落ち着いていた。腰の剣は抜いていない。それでも。抜くより早く、喚び纏える武具が自身にはあるのであるから。
そもそも、この存在には敵意が無い。微塵も。
(道先案内人を用意していた、ということだろう)
「祈りを捧げた。それだけで十分だ。子々係累に祈られてこそ、彼らは逝くことができる」
「俺は、斬ったんだぞ? 踏み躙ったのだぞ?」
「彼らも本意ではないのだ。だが、躯というのはそういうものだ。沼に踏み入る生者。そこから生えてきて、引き摺り込もうとする無数の手。人と言う括りにおける、生者と死者の関係とは、突き詰めてゆけばそういうものだ」
「こんな場所でご高説を賜ることとなるとは思わなかったよ」
「人と話すのは久しぶりなのだ。どうも、独り言染みていていけない」
「今のは皮肉だったという位は分かるよな?」
「それでも……。暖かかったのだ」
そこでようやく、ティアランは振り向いた。
……。いない。
「死人であったか……。なら、得心がゆく。なぁ、お前の墓はどれだ?」
ティアランがそう尋ねると――
密集した十字の墓石の一つが、薄黄金色に色づいた。
それはちょうど、斜めっていた。
近づいていき、それの前に立った。改めて冥福をお祈りしてやる前に、真っ直ぐにしてやるか、と掴むと、
ずぼっ!
そのつもりも無かったのに、抜けてしまう。
ブゥオオオゥウウウウウウウウウウウーー
吹くはずの無い風が吹く。
見える筈のない、曇天の空が広がる。
僅かな灰色の砂の荒野と、ぬかるむ黒泥色の沼地。遠く、この地を囲う、葉の無い、立ち枯れた森の覆い。
沼地の上に。
僅かに浮かび、ローブを深く被り、外套をだぼったく纏い、見える足先は小さく細く。裾から出る手首から先も小さい。
茶色い革の具足に、茶色い革の手袋。
背丈はそれなり。大柄では決してないし、ガキというタッパの無さでもない。見るべきは、それが両手で持ち、構えているモノだ。
長物な柄。その先に、鎌の如く、刃。しかし、大きく、両刃である上に、湾曲して長いそれは、大鎌と呼ぶのとも違うように思える。
それは、こちらに、その刃を向けて構えていないとはいえ。そんなものを、手に持っているという事実が、警戒心を生む。
瞬断叶う腕前の自身に、即座に真の刃を喚ばせ振るわせないだけの、圧がそこにはあった。その、紫がかった刀紋に、どうしても目が吸い込まれる。
幻視する。あれの刃が、敵を屠る姿を。どうやって立ち回って、どうやって振って、敵がどれほどなすすべなくやられていくのか。踊るように舞うように、振るわれる刃の煌めきを夢想できてしまった。
あれは、それ程の武器である、と。そして、あれは、そんな武器の使い手である、と。




