這い寄り纏わりつく後妻 Ⅲ
※後半部汚くてえげつないので注意。
「ぅおおおおおおおおおぁあああああああああああ!」
ウィスプは、意識の覚醒と共に飛び込んできた光景に思わず声をあげる。
砂の中、本能が張って保った肺と口。水の如く流れるそれは、泥というべきかもしれないが、違う。砂であった。
まるで、半分身体が実体を喪ったかのような。
(俺は確か、ぁぁあ、くぅぅ……。いや待て……。そうなら、俺は無力に、地にねじ伏せられて、惨めにも跨られるだけの時間を過ごす羽目になっていた筈だろう?)
軽くて、重い。触れる実感すら無い。それでも、本能が張った、顔面を覆う魔力の覆いは存在していて。
歩こうとしたら、足が、透かされるかのように。一歩も前にも後ろにも進めない。
砂が、流れてゆく。まるで、ここでは、砂が、水の流れのように。灰黄色い砂が、大河の如く、周囲一帯を飲み込んで流れているかのような。
ならば。
うねるように、ばたつかせた。蹴るのは地面ではない。自身ではない。周囲の砂だ。うねらせ、波打たせ、反作用を受け――泳いだ。
(どう考えたっておかしい。あいつが追いかけてきてない時点で、すこぶるおかしい。目に見える光景も、身体の感覚も。恐ろしい程残っている体力気力も、ちゃんちゃらおかしい)
ぶくくくく――
(空気。あぁ、こうなる前に持ってきたのか?)
気泡の行く先である上を眺める。地表は見えない。地表が近いのか遠いのかすらも測れない。
(この流れる光景は何の意味がある? 俺はその影響を受けて流されもしないというのに)
そこで、ウィスプは考えた。
じっとして何かが起こるのを待つか、それとも、何かを自ら探しに行くか。
選択肢を頭に浮かべ、答えを選ぶまで、一瞬。当然、後者。ならどうしてわざわざ、選択肢を作ったのかとなるのだが、一旦考えてみはする、というのが、ウィスプの思考の癖ではあった。直後に切り捨てることとなろうとも、それを無駄とは思わない。
直感で動くのではない。思索の末に行動するのだ、という、誰に対しての言い訳かも分からない、傍から見ると、徒労にしか見えない、ある種のルーティーンとなり果てたそれ。
どうして、そんなことをするようになったのか。
思い出しそうに、思い返しそうになって、振り払うかのように、ウィスプはぶぅん、と頭を振って。空気の塊を割って、砂を口に含ませる自裁を行い、動き出す。
(……。こんなところ、いてられるか……!)
当然、上だ。これが川を模してるというのなら、大河の岸壁も底も、境界も見えないというのならば。進べくは、上である。
無理やり自分を信じ込ませるかのように。ぐぅんぐわん、腰から下、足先までをうねらせながら、浮力も無いのに浮上するかのように上昇してゆく――
「っ……」
悪い、夢だ……。
外。畔。無人。家の一件すら見当たらない。記憶に照らし合わせても、どこか分からない。知らない場所かもしれない。
空は薄暗い。昼であるようだ。
ウィスプは案山子の装束を着さされ、立たされている。案山子の装束。ふっくらと膨れた上衣。農夫のような。土色の粗い肌触り。
腰から下が涼しいのに、ある部分を境に感覚が薄いことを感じる。
袖から抜けて、肘、肘……? 無い……。肘ではないものがある。拳ではないものがある。木? 棒? 木の球? 反対側も?
ならば、と恐る恐る、より恐ろしい、下を見る。
(……。俺の二本の足は、一本の棒に替えられちまったとでもいうのか……?)
地面から生えている。そんな棒。そして。涼しさの消失点。そこは丁度、自身の身体の中で、最も、安否を気にしていた部位であった。そして、それは、上衣のせいで見えない。膨れて、膨らんで、遮られていて。
平穏無事か、どころか、それ以前の問題。くっついて、あるのか、無いのか。それすらも、分からない……。
寒気がした。
(あいつには、錬金術の心得は無ぇ。それどころか、欠片も才能が無いと太鼓判を押されている……。その道のホンモノに)
「っ、寒ぃ……」
風が吹いて揺られている訳でもない。想像が熱を奪ったのか、それとも、血でも、流れているか……?
(……。もし本当にそうなら、もう既に死んでいる。……)
しかし。それでも、くっついているという保証にはならない。がっちり止血されているのならば、そんあことで死にはしないからだ。
感覚は無く。だからこそ。本当に無くなっていた場合に訪れるどうじようもない痛みと熱は、やってきているのかすら分からない。
「っ! うぉおおおおおおおおぁぁぁ!」
黒い二つの渦が、膨らむ上着の下、外側から覗いているのに、ようやっとウィスプは気づいた。
思わずのけぞる、なんてこともできない。そう動こうとした意識による制御は、今の身体が受け付けない。目を逸らすことも瞑ることも、背を背けることなんて勿論できない。
「ね。あなた。これ、なぁぁんだ?」
にょきっと翳された手。掌。その上に乗るナニカは、靄が掛かったかのようにぼやけて輪郭をなさず、色も臭いも分からない。
いいや……。分かっているのだ。分かってしまったのだ。既に最悪を想像した。してしまっていた。ルビナスが現れた場所。そしてここが、勅令による無人もあってか何処かまるで分からない上に、人の気配もなく、知らない場所であり、何より――ルビナスは、自身の股下があった場所から現れたかのように見えた。
大きさ、形は見慣れている。自分自身なのだから。もう、そうに……決まって……いる……。
「分からない? 取り敢えず、残ってた分は掻き出して保存したし。もう、い~らないっ」
靄がかって、モザイクがかった、黒々しいそれが、一本と一対が――放物線を描いて――
ぅぅぅぅぅぅぅぅぅ、ぺちょり。
ウィスプの額に触れ、滑り落ちていった。ルビナスの臭いに塗れていたのか、嘔吐きながら、
「ごびゅはひゃぁあああああああああああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ―…」
ぶくぶくぶく、ばちゅばちゅぶちゅ、ブチブチブチブリリィィブブブゥゥゥゥ、ぷしゃぁあああああああああああああ――
がくん。
吹きこぼれるような血反吐と共に、意識を喪い――穴が、現れる。
ウィスプは、敗北した。落ちて、ゆく。
その様子をルビナスは、じぃぃ、といつまでも無表情に見つめていたのだった。残った汚物の泥だまりと、それの途切れる穴の先。そんな虚無を見つめていたのだった。
※手のつけられない程の強者かつ諦めが悪く、たとえ負けたとしても負けを認めない類に、負けを認めさせる方法はかなり限られる。これはそのうちの一つ。尊厳破壊。突拍子も無さ過ぎたら意味が無い。こいつならやりかねない、と思われてなくては意味が無い。疑問が大きければ、このような虚構、直ぐに気づかぬ筈がない。信じさせたことが決め手なのだから。




