地下洞大多環 Ⅸ
「っ、げほ、ごほっ……」
後ろから聞こえてきたそれに、たたらとマキナートルは振り返る。黒亜は、女を抱えて横たわったまま、頭だけを上げる。
そんな黒亜の顔に、それはちょっとかかった。
血反吐だった。
汚がるとかそういう気すら起きない。
鎧で覆われていようが、息遣いの弱弱しさから明らかだったからだ。咽て、吐き出す力すら、碌に残っていない。あの中身はきっと、重症を越えて、重体に片足突っ込んでいる、と。
「くっ……。バラすにも、ボクは生体鎧は専門外だよ……」
たたらは、どうしよう、と焦りを浮かべる。
「というか、騎士様の魔法の武具だから、バラすなんてのは、殺すも同じなんだけど……」
マキナートルは、それは別の問題を生むよ、と困った顔。
「じゃあ、どうするってんだよ!」
と、抱えていた不動の女を置いて、黒亜は立ち上がる。
三人揃って。回復魔法の類は使えなかった。目の前の存在を回復させるだけに至るには。
ぎぎぎぎ、ゥゥウ、ドゴンン!
「がほっ……」
それは、自身の背を壁に打ち付け、無理くり、溜まった血反吐を、僅かであるが吐き出した。そんなことすれば、別の損傷が生まれ、かえって酷くなるかもしれないのに。
それでも。肺が自らの血に耽溺してしまい、もう戻ってこれなくなるよりはまし、とでも言わんばかりに。
ぎぎぎぎ、ゥゥウ、ドゴンン!
「がほっ……」
ぎぎぎぎ、ゥゥウ、ドゴンン!
「がほっ……」
ぎぎぎぎ、ゥゥウ、ドゴンン!
「がほっ……」
ぎぎぎぎ、ゥゥウ、ドゴンン!
「がほっ……、ごほぉぉ……」
血気迫る様相に、意識ある三人は気圧されて。ただ見ているしかできなかったが、最後大きく吐き出して、騎士は自らの足で立ち、三人を見た。
「……」
それは何も言わない。
「おぉ、騎士ケインよ。そのような有様、一体何があったんだい?」
マキナートルが、そう尋ねるが、騎士は、反応しない。
「気ぃ、失ってるんじゃあねぇか?」
そう、のびていった黒亜の指先を、騎士は、すぅぅ、と避けた。振り払わない辺り、正気であるし、礼儀らしきものも保っているということになる。
じゃあ、これはどういうことか?
そう、首を傾げ、黒亜が目線を向けると、騎士は右手を自身の口の前に翳し、指先で、ぱくぱくぱく。そして、両手前腕をクロスさせ、どうだ、伝わったか、と胸を張って、また、咽る。
「話せる状態じゃあないってことだろうきっと。無理はできても、物理的に声を発する構造が壊れていればそうならざるを得ないよ?」
そう、たたらが、分かってないらしい二人に説明した。
騎士はその後ろで胸を撫でおろす。
その様子を見て、黒亜は思った。思っていたより、こいつ、大丈夫なんじゃね? と。それに何だか――鎧の凹みが、元の状態へと復帰していっているようにも見えた。
「何処の誰かは存じ上げないが、かたじけない……」
そう、騎士は膝をつく。二本の槍は消したが、相変わらず鎧を脱ぐ素振りは見せない。
「騎士ケイン。信じられるかどうかは置いておくとして。こいつは元・第二王子だ」
「何をお言いに? 冗談にしては、たちが悪い」
明らかにしょぼくれる第二王子改めマキナートル。
「冗談も何も……。っ! あぁ、王族は容貌を持たない、だったか。信じられねぇか。生まれたときから、あんたにとっては常識だっただろうからなぁ」
勝手に納得する黒亜。何ともダメそうである。
「取り敢えず、マキナートルさん。王族でなくては知っていない何か、この人が答え合わせできそうなの何か言えたら、カケラくらいは信じて貰えるんじゃあないかな?」
だからか、たたらが、そんな風に助け舟を出した。
「では、お聞かせ願おうか!」
むん、と仁王立ちして胸を張る騎士。もうすっかり大丈夫そうである。鎧の表面を覆う液体もふんだんに満ちている。それでいて、騎士の声は、ぐぐもることもなくはっきり聞こえてくるのは、不思議なものである。
ちらり、と黒亜はマキナートルの方を見る。
勝算あり、と顔に書いてある。話さえ聞いて貰えれば何とかなる、という算段があるのだろう。それはつまり、目の前の騎士が気難しくて、融通が利かない類なのか、人の話を聞こうとしないタイプかのどちらかということになるが――
「そこの女性、どういう風に見えてるかな?」
と、マキナートルは指を指す。指し示された先の、地面に横たわるそれを、騎士は見た。
「一旦、目を逸らしてこちらを見てみて」
それを、騎士は拒んだ。兜を被った顔が、動く。動く。せわしなく。明らかに戸惑っている。そして、ぎろり。兜のせいで顔は見えないが、強く何度もその女を指差して、マキナートルに説明を求めている。
「いや、いいから。言うこと聞いておくれよ。君は忠実な騎士な筈だろう?」
と、マキナートルは困り顔。
黒亜は、はぁ、と溜め息を吐き、
「騎士様。気分悪くしないでくれよ」
恐らく無駄だろうなと分かりつつ、念のためにそう言って、黒亜は、後ろに回り込んで、騎士の兜の前面を、手を回して、両掌で覆った。
予想だにしてなかったのか、騎士は数秒、硬直する。そして。
騎士が再始動してから、
ガシッドゴォオオンンン!
一秒に足るかどうかの一瞬の出来事――
黒亜は、両腕を掴まれ、背を丸めた騎士の背を転がるように遡らされ、逆さまに、宙を舞い、受け身すら許されず、地面に沈んだ。
視界がぐにゃつく暇すらなく。黒亜は意識を失った。
「あ……、そんなつもりでは……」
狼狽える騎士。ほぼほぼ、身体にしみついた動作が再現されてしまった、という風な。考えるよりも先に身体が動いたという風な。呆気にとられて硬直するのがなければその言い訳は効いたであろうが、このざまだと、その言い訳は流石に無茶があった。




