地下洞大多環 Ⅶ
ぐるんぐるん、ぐわんぐわん。
浮かぶ。揺らぐ。不透明で不定形な、粘体のような薄く灰色のナニカ。人間の頭くらいのそれを浮かべてみせる、それの生成者である元第二王子ことマキナートルは、
「どうだい?」
と、黒亜の方へ近づける。
黒亜は嫌そうに顔をしかめる。ギリギリ触れないように、身を翻しながら、
「いや……何だよこれ……?」
と、説明を求める。すると、
「君って凄い魔法使いじゃあないか。なら、説明なんて、要る、かい?」
皮肉たっぷりに返される。その証拠に――それを黒亜の方へと近づける。
「んなもん、考察さえしたく無ぇんだよ。不気味だし、汚そうだし、臭ぇ……。でも、鼻を塞ぎたくなるのとも違う。おかしく、なっちまいそうだ……」
黒亜にはそれの正体は分からなかった。何せ。それは純然たる魔法では無いのだから。
「ふぅん」
そう、悪気も、思わせぶりもなく、マキナートルは黒亜を見る。観察している。これでは、試されてるのはどっちなのか分からなくなる。だから、
「これが試験を受けてる心地でお出ししたって未だ言い張るつもりなら、せめて、説明くらいしろ」
黒亜の言は尤もであった。
黒亜は、援護射撃(=翻訳・解釈)を期待できない。たたらは、座らせた不動の女の傍で、念の為の見張りをしながら遠巻きに二人の遣り取りを眺めてるだけ。これがお出しされる一発目でもなく、こういうのがもう何十もお出しされている。
驚かせたもの。感心させたもの。しょっぼ、と言わせたもの。等々と、黒亜の反応は色々であった。そうやって色々な反応をしているうちに、遊ばれてることに何となく気づき始めてきて、『真面目にやれ』と言って、お出しされたのがこれである。
「骨子は、とある令嬢の得意魔法さ。聞くところによると、恋仲の男との共同開発らしい。微笑ましいよね」
と、微笑を浮かべる。わざとらしく大袈裟にゲラゲラ笑うだとか、煽るように笑うとかされれば、匙も投げられるのだが、と
「お前やっぱ、からかってんだろ! 行きたく無ぇのか! 【始まりの園】!」
結局真面目な黒亜は、弄ばれている。
「だってさ。考えてもみてよ。今君が何を言ったって、絵に描いた餅に過ぎない。だって、どうやってここから出るんだい?」
「それを言われちゃお終いじゃあねぇか……」
「とっておきはあるよ。幾つか。多分君をぎゃふん、と言わせられるようなヤツが。けれど、それにはやる気が必要だ。そして、それは、僕の意思ではどうにもならない。空気が。環境が。整っていないと使えないのさ。僕の優れたところは、そういうところだからさ。ごめんよ」
素面で謝られ、黒亜は判断に迷う。
おどけている訳でも、ごまかしてる訳でも、無い、とは思う。思うのだが。じゃあ、その半端な態度は何なのだ、と突っ込みたくなる。
「まあ……俺らが帰るときまでに納得させてくれたらそれでいいぜ。資質としては足りてそうだからなお前。卑屈になったり、誰かの足を引っ張ったり、邪魔したり、奪ったり、貶めたりするタチじゃあないしな」
こいつの実力を知っている。王族であったから、これまでは誘えなかった。資格はある。足りている。だから、後は意思だけなのである。
「そんなの当たり前じゃあないのかい?」
この通り。こいつは汚染されない。良くも悪くも、染まらない。こいつは、嫉妬しないのだ。
「多いんだよ。堕ちる奴が。来る奴みんな、元の世界では上澄みだった奴らだ。他者より劣ることに慣れて無ぇんだ。だからといって、負け続けの奴はそれはそれで資質が足りなくて、大概駄目なんだが……」
これまで見てきた、数多の相応しく無い者たち、相応しくなくなってしまった者たちの顛末を思い返しながら、愚痴るように黒亜は言う。
「なんか。大変そうだね」
マキナートルのそっけなく、軽い一言。
やはり、こいつはこいつなのだ、と再確認する。寄り添わない。だが、遠巻きにもしない。隣といえるくらいの位置には立つ。けれども、手は握らない。親身にならない、とも言えるが、引き摺り込まれない、とも言える。
「はぁ……やめだ、やめ。俺らが帰るときに、お前にもう一度尋ねる。ついてくるかどうか、な。来ると言えばそれで合格だ。連れてってやるよ」
試験は終わった。密やかに終わった。
こいつが、こいつでなくなっているか。こいつの根本はどれくらい残っているか。
濃すぎたのだろう。強すぎたのだろう。自我が。意思が。だから、ほぼ丸ごと、こいつはこいつのままなのだ。
力ではない。心の有りようと心の強さ。
こいつという人間が、別物に変わってしまっているのに擬態しているのではないかという懸念すら消えた今、こいつを置いていくという選択肢はない。
そして。後は、こいつから自分が試されることとなるのだろう。恐らく、その試験内容は、ここからの脱出。
「ねぇ。いいところで悪いんだけどさ。このコ、あっちを指差してるんだけど」
この部屋へと繋がる横穴である道の一つを、二人に分かるように、大袈裟かつゆっくりな挙動で、腕と掌で、指し示した。
気配は――しない。足音も――無い。
つまり、行かねば、分からない?
二人は顔を見合わせて、だよね、だよな、と、たたらと女の元へと駆けていった。




