這い寄り纏わりつく後妻 Ⅱ
「知らないわ」
平然と。そんな声が降りてきた。
「俺は、任せると言った筈だぞ?」
糠に釘。幾ら締めようとも、無駄だと分かっていても、そうせざるを得ない、無様なウィスプ。
苦しそうにも、笑おうとも、こいつはしていない。無表情に、こちらを見ている。吸い込まれそうになる。この怒りすら。剥奪されてしまいそうな気分になる。
叩きつけるように投げ捨てる。
「そんなで、どうして抱いたのかしら? 一人目はわたくしが襲って。けれども。二人目は合意の上だった筈」
「幼馴染と結ばれないといけないという縛りはこの世界には無ぇ! それでも、思うところはあった。あいつは…―」
「あの女のことを、わたくしの前で話すなぁああああああああああ!」
ぐぼぼぼぼぼぼぼぼ、ぬちゃちゃちゃ。
半流体の、ゼリーに埋められている。
ウィスプの穴という穴に、冒涜が、ねじり込…―
瞬く間すらかけず、尽きさせた。残滓すら残らず、消し飛ばしたのだ。
「俺に色恋は向いていなかった。見る目も無かった。だが、責任は取らねばならないと、お前に跨られた日に、俺は思った。自分を納得させることすら月日が掛かったが。けじめとして、覚悟として、今度は俺からいった。その結末がこれ、か?」
草木は塵すら残らず消えて、地面が、溶ける。紅く溶けた土の色が、ウィスプの中心から広がっていき、もうだいぶ離れた背後の城壁すらも、僅かばかり溶かし始める。
青み掛かった半透明なジェルが、背から貫き弾けるように溢れて。ルミナスは宙へ浮かび、一対の巨大な翼を象り、その首筋から、果て無き空の果てへと、迸ってゆく、黒く淀んだ触手の柱。
世界の色が変わる。
空の青が、混沌の黒に濁されてゆく。
曇天とは似て非なる。不気味と恐怖を、その雲の姿の冒涜物は、観測者へと与える。
「貴方っていっつもそう。だから、偶には懲らしめてあげる。こんな風に」
ウィスプにはそれによる汚染効果は効かずとも。それに生理的嫌悪感を憶えずにはいられない。この女のこういうところが死ぬ程嫌いなのであった。この女の、身勝手に走った際の在り方。立ち振る舞い。それが、どうしても、気に入らないのだ。
既に妻となって長いその後妻と、もう何度目かすらも数えていない夫婦喧嘩が――始まる。
触手の雨が降る。
じとり。ねっとり。ぐしゃり。半流体をこべりつけるように振るわれる、無数の触手の振り下ろしは、どうしてか、雨の音を鳴らすのである。
その見掛けから想像できる重量も、地響きも、粉砕も、起こることなく。その音の度合いこそが、それらの質量であるかの如く。
当然、違う。
これは、雨であり、降り注ぐ。そして、逆立つように舞い上がる。吹き付けられるような雨の振る舞いを行い、その後に、遡ってゆく。
雨である。触手である。その両立により、駆動の速度を増しているのだ。
ウィスプは薄く炎を振りかざし、傘でもさして遮るかのように間隙を生み、凌ぎ、地面から跳ね返ってきて襲い掛かってくる、辺縁に落ちた雨の如く触手たちの追撃を躱す。
降りるときとは違い、引きのそれは、触手の性質を強く持つが故に。密度にも限度があり、避けることも、誘導して間隙を作り、躱しながら、一部、焼ける分だけ焼いていくことも十分可能であった。
このように。
ウィスプは慣れていた。だからこそ、王都での、ケインの魔法染みた初見殺しをあんなにも容易く凌いで見せたのだ。
何せ――自身の後妻のそれの方が、数段えげつなさも、どうしようもなさも、上をいっているのだから。
「やられなさいよ! 素直にぃぃ!」
「知るか」
そうしているうちに、ウィスプに最低限の魔力が貯まる。この魔法使いの強みは、この魔力量の回復速度と、それによる副次的な魔力切れのペナルティ逃れである。
眠るどころか、休憩すら必要とせず、燃費の悪い自身の魔法を、放ってみせるのだから。魔法使い定番の倒し方が、ウィスプ相手には通用しないのである。
魔法使いの癖に、肉体は鍛え上げられており、筋骨隆々というタイプではないが、持久力はおかしな域。騎士並みである。
素でそれである。体力を贄に魔法を使っていると思われてもおかしくはない。ウィスプの特異な魔法的な無限の如く持久力、という種は、まずばれない。
今この場で立ちはだかる相手は当然知っているので、その限りではない。
ウィスプの片手、掌の上に、生成される、純魔力で構築された鏃。蒼白く輝くそれは、煌めきを増してゆき、周辺の触手を、在るだけで消し飛ばしてゆく。そして、
ゥオン、キィィィィィィィンンンンンーーシュゥウウウウウウウウウーー
投げた。
まるで、一種の結界の如く、展開され続けていき、広がっていっていた、ルビナスの空間掌握式な魔法戦術はそれにて崩壊する。
ルビナスの全触手が、雨の模倣すらやめ、それを止めようと向かっていく。そして、次から次に尽きてゆく。
それは魔法だ。あくまで魔法だ。どれだけ、自分のような存在にとって特攻といえる力を振るえようとも、その力は、無限ではない。
消耗する。減衰していく。足りれば、止まり、消えるのである。
打たれた以上、止めるか、貫かれるかの二つに一つ。避けて終わりという生易しいものではないとよく知っているから――
宙に浮かび、腹の中心を貫かれ、浮かび、黒い泥のような血反吐を噴き出しながら。
「俺とお前とでは殊、勝負においては相性が悪過ぎる。俺が圧倒的優位で、お前が圧倒的不利。よぉい、どん、のカタチの勝負になっちまったら、お前に勝ち目なんて無ぇなんて、もう何度も味わったろうがよぉ」
残る針の如く鏃、そこからのびる、蒼い糸。ウィスプの中でも殊更濃密な魔力が縒られてできた一本のそれは、ウィスプの手先へと繋がっていて。あの眩い煌めきが消えた後だからこそ見える。
あのまんま、虚空に放置するつもりはウィスプにはなかった。
思いっきりやった。だが、殺すつもりも、滅するつもりも決して無い。
腐ってもこいつは、現在の伴侶であり、行き過ぎたこの気質も、自らの過ちが築いたともいえないこともないので。
ツゥオゥンンンーー
引っ張るだけで、手繰り寄せられる。それはウィスプの魔力であり、ウィスプ自身と繋がっており、だからこそ自由自在。
引っ張りながら、急速に短くして。
手元へと、胸元へと、愚か者を手繰り寄せるのであ…―
「……!」
ぬちゃぁぁぁぁぁ!
突如、広がり、変異し、幾重にも濃密に纏わりつく、黒雨色のスライム。
「背中がお留守よ、貴方」
覆われながらも、振り向いた。
ぶぬちゅぅぅぅぅぅぅ――
全裸のそれに組み敷きられながら、唇を合わせられ、舌を、液を、触手を流し込まれ、意識が遠くなってゆきながら、ウィスプは寸前、思考を巡らせた。
(雨。あの地点から……。本体を地に忍ばせた……のか……。力の大半を宙に残して……。雨の形で、一部を本体に譲り渡しながら……。こいつの……企みじゃあ、無ぇな……。じゃあ、誰……だ……? 誰が、入れ知恵
……し……)
そうして、謎の発見と共に、その意識は沈んだ。




