最前線 ウィル・オ領 Ⅳ
夜明け前。もうすぐ、暁がやってくる。その赤が、再戦の始まりを知らせる。
「諸君、ご機嫌よう」
しわがれた老婆のような声が、低く響く。
並んでいる、第六隊の連中は、全員、ローブのフードを外している。どいつもこいつも、生々しいにやにやと生温かな目線を、彼女と、隣に立つこちらへと向ける。
「今日からは動きを変える。頃合いだろう。一つの隊が丸ごと消されたのだしな。……。お前たち、どうして、動じない……? 夜のうちに知っていたとしても、それはおかしいだろうが」
「奥方が来られたんだから、もう大丈夫に決まってんじゃんか! ウィリィ」
「ウィリィさ。自分の眉間の皺が取れてるの気づいてる?」
「ま、いいじゃん。これでこいつ、しゃんとするんだし」
「奥方ちゃん、お久ぁ~」
等々。ワイワイガヤガヤと、昨日までの仄暗い空気なんて微塵もなくて、明るく楽しそうに皆好き放題言いやがるよ。
けど、彼らの体現するその通りなんだと思う。何ていうのかな。彼女が隣にいるだけで。気力が湧いてくるんだ。そしてそれは、僕だけではない。
気づいたら、自分もそんな流れの中に取り込まれて、ワイワイガヤガヤ軽口をたたく。この戦端が開かれて以来、こういう雰囲気が生じたのは初めてだ。
かなわないなぁ。
素直にそう思う。
自分にはできないことだ。お節介にも、彼女を呼び寄せてくれた奴らには、微笑ましいお礼をしたいと思う。事が終わった暁には。
「受け入れて貰えて何よりだよ。こりゃ、気張らないとだね。墳っ!」
彼女の力む声と共に、せりたってゆく。四方が。
こちら側の領域、周囲一帯を広く覆うように。
聳え立つは、土煉瓦の城壁。
灰色の領域の境界線をなぞるように、左右に、見渡す果てにまで――それはそんな、大規模な魔法。高さは数メートルなんてヤワなものじゃあない。
一先ずのそんな壁の生成に続いて、修飾がなされてゆく。
こちら側の地面がへこんで低くなっていくほどの土量が、彼女に徴収されてゆく。
壁は厚みを増し、階段、坂、梯子が現れ、壁の頂は、線でも道でも路でもなく、陣地となる。柱が聳え、三角屋根が現れ、燭台の形をした台座が連なる。
明らかに、根回しどころか、段取りまで話し合い終えている。人影が、遠くの坂や階段から登ってゆくのが見える。
多分、横長な陣地、長城であるそれの壁面内側だけではなく、外側も同じく凹んでいるだろう。
陽光に晒され続けることによる消耗を防ぎつつ、夜とそれ以外との場の移動を省き、現状続いている敵側の行動時間のルールの突然の変容にも、これなら対応できる。
継戦のための、守戦の為の陣地。壁でもあり、防衛線でもあり、監視塔でもある。指揮は容易く伝搬できる。前線指揮官同士の移動や連携も容易くなる。わざわざ、探しに行かずともいい。モノがモノだけに、この形式だと、陣取る場所の定位置は定まるし、基本広がることはない。隣へ助けに入ることも容易い。
そして仮に破られても、すぐに抜けて、領地へと侵攻していくことを難しくする、地形による阻害と防護。
皆上がった今、堀は深くなり、罠や迷路地形などが広がってゆく。給水塔の如く、路も形成される。それは、領主の館の方面へとのびている。堀と罠の地帯を越えてその先へと続いている。人間一人が余裕をもって進める程度の幅広さしかないそれは、巨人たちの尺度では、その上を歩くことは叶わないだろう。そして、見かけによらず、きっと強度は高い。それは、堀を区分ける壁でもあるのだから。落とし穴、檻、とも言い換えられるだろう。
日が、登る。
耐久戦が始まる、という、どうしようもない心の疲労感をも運んでくるそれが、今日は違った。
雄たけびが左右から鳴り響く。
初日すら超える、莫大な士気の高揚。守りを強いられていた、多くの、半ば死んだ目をしていた者たちの瞳に、しっかりと炎が灯っていた。
いつの間にか、背後に立っていた彼女が、手を握ってきた。
その手には震えを感じる。
残ってるもう片方の手を、その手の上に重ねた。彼女の方を見ない。背を向けたまま。寧ろ、背を見せて。揺らぎもせず、真っ直ぐ立っている。
後は言うだけなのだろう? 段取りは全て済んでいて。
だが、それが怖いのだということは痛い程分かる。だが、僕には変われない。僕じゃあ意味がない。彼女だからこそ、この戦略を組み敷いた彼女の言だからこそ、意味がある。
「諸君。気づいているだろうか? 領域を塗り替え、この長城は亀の歩みではあるが前進している」
そう。その調子だ。
「灰の組成の調査は既に終えている。これらは、あるモノが込められた土だ。事態が始まる前からそうなのか、こうなってからそうなのかは分からないが、少なくとも今は、手順を踏めば、対処し、唯の土くれに変えられるものだ」
その調子で、口にするのだ。
指揮を。 ほだされたような熱狂ではない、実体のある、揺らぎない意思を、彼らに灯すのだ。
「故に。我々は、急がねばならない。連れ去られた彼らを早く助け出さねばならない。あの灰の生産機や原料としてて、取り返しのつかないところまで消耗されきてしまう前に。実験の範疇では、恐らく三日。三日もあれば、並みの魔法使い程度だと、保たない」
よく、やった! 本当に!
前への重厚な、橋桁と橋脚が生成されて、のびてゆく。敵の領域へと。我こそが、という一際熱い者たちの幾分かが、その道へと掛けてゆく。
段取りが決まっていたとて、その通りその時に動けるかどうかは別の話だ。だからこそ、こうやって、実際に指揮をしてみせることが重要となる。
後ろ手を引かれる。
ぽすん。
土くれの椅子であった。
隣にも同じく。
彼女がどっしりと腰掛けている。
椅子と椅子の縁の上で。
僕たちは握った手を離さないで、前を見ていた。




