最前線 ウィル・オ領 Ⅲ
「……っ!」
身体の奥底からぴりっとした寒気が迸り、目が覚めた。座り込んで、膝を抱えて、沈めていた頭を起こした。
夜である。奴らは何故か、ご丁寧に、夜の間は襲ってこない。次の襲撃は、暁の頃。
まるで、日の光が、奴らを手繰っているかのようにも思えてしまう……。
にしても……。
眠っていたのか……。悪い傾向だ。終わりが見えない。いつまで続くかも分からない。
焚き木の火が点在し、存在しているのが見える。初日に、その愚行を咎めはしたが、辞めさせることができる雰囲気ではなかったが故に、寝ずの番を自らが行い、それから数日。嘘みたいに何も起こらなかった。
何日だ?
感覚すらない。
どうして、数えられない? どうして、記録に刻んだ線が消えている?
日数を数えることは許されず、体感だけが残る。そして、自身のそれは宛てにならない。幸か不幸か、連中は日付を数えるということを微塵も考えていない。
まるでこれが、ただの日常業務であるかのように。
……。
参加はしないことにしている。
酒も無い、食料は時折ある。その程度の宴だ。会話が主。
何より、自分が参加しては空気が悪くなる。自分が引き連れてきた彼らだけで固まっている訳ではなく、交流が起こっていて、各焚き木には、部隊混成で人がいる。
盗み聞き、問題が燻っていないことだけ確認し、今日も変わらず。
昨日は、獣を狩って、肉を差し入れた。現在の全隊にいきわたるだけの。
眠ろう……。
どうせ、夜明け前に目が覚める。
そうじゃなかったら――崩すようにと言ってある。
「……」
ォオオウウウウウウウウウ、ガララララララ!
半ば、埋もれている。
いくつか想像していた悪い光景のどれも、目の前にはない。
特に酷いのは以下の二つ。
一。陣営の仲間たちに囲われて、始末される。自分が連れてきた奴らは止めようとして既に始末されていて。後悔に苛まれながら、終わりを迎える。
二。陣営の仲間の誰かに強い恨みや反感を買っていて、用が無ければ誰も近寄らないここへやってきて、始末。
どちらでも、ない。
それどころか。
一つも想像していない。好転なんて、ありえない。
不意の終幕はあっても。それは、自身の死かもしれないし。突如の問題の消滅かもしれない。
好転。
好転……だと思う。
だが。
目の前の彼女にとっては、多分そうではない。
「ご機嫌よう」
そう、いつものように、変わらぬ平坦で抑揚のない、低く灼けた、歴戦の老婆のような声で、その声には似つかわしく若い、彼女は、無表情にこちらを見下ろしている。
このまま、こちらの頭を踏み砕いてしまえる距離だ。
けれども。
彼女に限っては決してそうしないだろうと僕は信じている。彼女にそれでももし、踏み砕かれたのだとしたら――僕が全部、悪い。
浮かび上がるかのようにはっきり見える。細く長い、瓜型の白い顔が。バツ印の肉色の深い傷が。鼻が無い、耳が無い、無表情な顔が。瞼と睫毛の無い緑の瞳の上に、半透明な海月のような薄灰色が張り付いている。
僕が、創った魔法だ。
……。赤い総髪が、何故か、見えない。
「ローブのフードをとってくれないか?」
ばさり。
「誰に……やられた?」
鈍痛に苛まれる。絞り出すように、何とか声にしたくらい。
「自分で、剃り落してきた。それに、この程度今更だろう」
そう、ぬぅぅ、と、顔が、降りてくる。
屈んでいる。
いつの間にか、自身の身体は、首から下まで埋まっていた。
「……。怒れなくしてから言うだなんて周到なもんだね」
彼女の手口だ。いつもこう。そんなだから、そう、なっているんだろう……、だなんて、……。言え……ない……。
「置き土産を要求された。目や手や指や、それ以上にはならなかったんだから、ましなものだろう?」
彼女は偽らない。しかし。嫌なことは言わない。
それを知っているからこそ、隠されている情報が浮かび上がる。
多分、あたっているだろう。
「爪は何枚捧げた?」
こいつは、そういう奴だ。
「両の手のみだよ。足のは、ここに来るには外せなかったからね」
表情が死んでいるのが良いのか悪いのか。少なくとも、表面上は瘦せ我慢の気配は微塵も見えない。
「……。どうして、そこまで……」
もう何度言ったか。それでも、言わずにはいられない……。
「君のご学友たちの連名で呼ばれたんだ」
「違う、そこじゃあない!」
よっぽど、言いたくないらしい。
顔が離れてゆく。
闇が、ゆっくりと近づいてくる。
遠く、高くなってゆく。
当然だ。彼女は巨躯であるのだから。
更に、高くなっていって、見切れる。
当然だ。彼女のそれは物理的に豊かであるのだから。
……。
何か、別のものが、近づいてくる。
寸前まで彼女の顔を凝視していたからか? 何が近づいてきているかは見えない。それが、本当にゆっくりなのか、ゆっくりに見えているだけなのかも分からない。
包――まれる。
「顔に乗ろうかとも思ったけど、やめたよ。君は多分、普通だろうし」
柔らかさに埋もれている。
包み込むように。
彼女はきっと、横になっている。
こちらの顔を、多分胸に埋もれさせて。その上で身体を丸めるように、そして、二の腕と腿で。輪にするようになって、被さっている。
心臓の音はするけれど遠い。
修飾の無い、汗の匂い。不安の香り。
いつも通り過ぎて、安堵する。
そうして。自分がまた少し、嫌いになりそうだった。




