地下洞大多環 Ⅱ
肉のぶつかり合う音と水音が響きわたる。
満ちてゆきながら、消耗してゆく。
上に乗っかったたたらの動きが止まったのを感じ、黒亜は、あれ? と疑問を浮かべた。
見上げる。
上半分しか見えなかった彼女の顔であるが、その目は、じろり、じろーり。
上体を少し起こす。
彼女のその軌道を追うように――
彼女の張っていたドームもいつの間にか消えているし、相変わらず周囲は変に薄明るいままだ。
一人。息を殺して、おいおいまじかぁ、という常識的な反応をしている老け顔の髭男がいる。
もう一人。生気の無い顔をした、金髪青眼の、地面に掛かるほど長い髪を持つ若く整った顔の女がいる。
「何見てやがる」
彼女を向かい合うように抱き寄せ、抱え上げながら立った黒亜は、そう圧を掛けてみた。
改めて見渡しながら。他にはいない。この二人だけ。
女の方は、圧がまるで通じていない。素通りするように空気が流れてゆくだけ。表情も仕草もまるで変わらず。……。瞬きすら、していない。息は、流石にしているとは思う。
で、問題なのは男の方である。
「おたくらそういう趣味だったとは、それなりに長い付き合いだったけど、知らなかったよ」
まるで、こちらを知っているかのように。
だが、こちらは知らない。微塵も知らない。胸の彼女も、知らない、と、胸板に吹き付けてくる。
「名乗れよ」
今度は明確に、男の方だけを見て。
「生憎、名乗る名なんてものは無いよ」
この、癖のある言い回し……。嫌になるくらい聞き覚えのある気がする……。これを真似しがちな第三王子のそれではないな。本家本元の方だ。
「……。第二王子か。で、そっちは第一王女か? 他に庶子の類がいるとかなら、女の方が誰かは俺には一生分からないだろうが。お前が明かしてくれない限りな」
こちらを見ながら、目線を時折下げる。そこに下卑た様子はない。では、どんな視線というべきか? 言うなればこれは、観察、だと思う。
「そのコそろそろきつそうだよ? 君の持ち方が悪いみたいだ。ついでに身を清めて服、着たら?」
そういうこと、か。本当にやりにくい。この面倒臭さ。返答がなくとも、態度そのものが答え合わせをしているようなものだ。それでも。
「答え合わせくらいしろよ……」
文句をつけたくて仕方がない……。そして、それが無駄なことも分かった上で。この短時間でもう、振り回されている。こいつのペースだ……。
天井に穴はあいていない。先程までいた場所から一つ通路を挟んで、先にある別の部屋にいる。四人揃って。
『うっそでしょ……。流石に臭いよ。嫌だよ、湿ってるし……。土掛けるだけで場に染み付いた臭いが消える訳ないでしょ……』
そう、第二王子に言われて移動したのである。女の方は相も変わらず無反応。
黒亜もたたらも。身は清められても、自らの身ではない、汚した場所自体の浄化はできないのである。それは、浄化の魔法の領分の外。大半の汚染は、身体でも衣服でもないのだから。
そうして。
黒亜は胡坐をかいて座って。第二王子は向かい側に同じく胡坐をかいて座って。女は突っ立ったまま。たたらも、『一人だけ立たせるのは……』と、立っている。
別に地面は湿っていないのだ。座ってもケツに沁みはしない。それに、そこの女は、座らせようとも、びくりとも動かない。前の部屋からこの部屋まで自分たちについて歩いてきたのだから、生きているし、人形の類でもない。……、多分。
「シトラスくっさっ……。どんだけつけたんだい、香水……」
ちょっと苛ついた。
お前が口うるさいからだろう。
「やってたのは魔力が尽きたからだ。ここへ吸い込まれてきて、無理やりにでもリソースを回復する必要があった。無人っぽかったし、感知の機構さえ透かせれば、いけると思って、こいつの魔法でドーム状に覆って事に及んだ」
だから、会話の返答を返さず、無理やりぶった切って話し始めてみた。
言ったことは大体は正しい。一部嘘である。彼女から襲い掛かるが如く、説明もクソもなく始まったなんて言える訳がなかった。何せ、彼女は、借りてきた猫のように、頑なに口を挟まない。
恥ずかしさに茹だっているのだ。そういう女だこいつは。
痴態もそうだし、全身も見られて。
普段は紫のローブを被り、腰を曲げ、そのふくよかさを隠しがちな。男すきする体つき。そういった目線を一際苦手とする。そういう女だこいつは。
火により、浅黒く焼けたかに見える。常にそうだ。日焼けとは違う。既に焼き付いている。特に手足は火傷の跡が多い。魔法によって癒すよりも一打ちするのを優先しなければならない場合があるのが鍛冶というもの、とのこと。
黒にも緑にも灰色にも見えるようなムラのある髪色のツインテール。一重でありながら、意外と目力があったり、なかったり。若干釣り目に、細く長い眉毛。三白眼とまではいわないが、小さな赤い瞳はいつも真っ直ぐ前を見ている。小さく瓜型の顔だ。
大概は、小さな女だ。子供らしく見紛う顔付きでもある。それでいて。力強い女だ。身も心も、薄っぺらくなくて、厚みがある。
腰を曲げるのは、生業としてくるものもあるが、外でもそうしてるのは、嫌な目線をだいぶましにできるから。
この世界に降り立ってからも、今の今までは腰を曲げたままだったが。
……。もしかしたら。腰を曲げること。それによる目線の高さ。防御力。俺といても、行為の時以外腰を曲げてばかりだが。それが、一種のスイッチだとするのならば。それ自体をたたら自体も無自覚であるのならば?
「たよな、たたら。いつものように楽にしてくれ。その姿勢だと落ち着かないんだろう? それとも、腰砕けたままか? 腰曲げるとそのまま尻もちでもつきそうだ、とか」
わざと。そうやって促す。我ながら下手くそだ。どうしようもない位。見ていても聞いていても大層不自然なことだろう。
それでもいい。
この、恐らく、柵の無くなった第三王子相手に、実質自分一人でやりあうのは、やはり避けたいから。
隣に座るたたらの臀部に手を回す。
尻尾を踏まれた猫のような顔をして、顔を赤らめながら、怒った目つきで。かくかくっ、と、崩れ落ちるように、大きく尻もちをついた。
地面に尻をついたということは。否応なく腰は曲がる。
「やめないか黒亜。まったくもう。人様の前だよ? ボクは、たたら、という。ええと、そちらは、黒亜が言うように第三王子、ということでいいのかい? それと。キミの連れらしいそのコ、そのままでいいのかい? 椅子でも出したら、流石に座ってくれるんじゃあないかなぁ」
いつも通りの明るくも気怠げな調子で。酒焼けしているような、普段より僅かに高めではあるが、女声としては相も変わらず低めの声で。
相変わらず、変化はない。身長は全然全快じゃあない。
(鍛冶直後、若干余力の残る程度の仕事の後。といった程度の調子か。ま、俺がしわがれてない程度、意識も身体もげっそりしない程度だったんだから、まあ、そうか。俺の回復を優先させたんだろう、多分)
そう、自身の女の調子を占っていた。
大事なのだ。この女は、見かけそのものが可変する。調子によって。若しくは、気分によって。時に、声色も。口調も。纏う衣服の系統すらも。
そんな彼女は、浄化後、この世界に降り立ったときと同じく、旅人のようなマントを纏った服装をしていた。それに黒亜も倣っていた。
無詠唱で唱えられた魔法により。女の後ろの土がせり上がり、石づくりの、ある意味王座にようにも見えるような、装飾などはないが、えらく立派な背もたれをもった、脚ではなく、座面全体が一本の柱のようになっている椅子に、その女は、ひとりでに浮かび上がり、腰を下ろした。
椅子はその高さを縮ませ、女の足が地面に接したところでそれは止まった。




