新王の誤算 Ⅰ
(莫迦な……。出られない、だと……?)
第三王子改め新王は戸惑っていた。
つい、手洗いを終えて、ふと入ってみたのが間違いだった……。
起きて、出られない、と気づくまでの流れをスムーズに働かない頭ながら無理やり思い返す。
達成感と、押し寄せてくる情報による疲労。埋没の地雷に被爆したかのように、満身創痍な心。故に、一先ず眠ることを選んだ。これですっきりする筈。その筈だった。なのに、眠りは押し寄せてくる記憶の規模は起きてるときの比ではないし、ある種の悪夢の如き心地だった。眠りは死ぬほど浅かった。
王としての執務室。王子でありながら、不可侵であったそこに、今自分はいる。豪奢な木製の茶黒い扉の前にいる。
何故か、豪奢なベッドまで置いてある私室でもあるらしいその珍妙な組み合わせは、父であった前王の趣味なのか?
入ったことすら無かったどころか、扉の隙間から垣間見れたことすら無かった。
こうして入って気づいたのは、ここは要塞であり、住居であり、本当の意味での、王にとっての城であるということ。それも、立て籠もりの為の城、か?
その心意気、否、空気か。汲んでしまった。無意識のうちに。
その結果が、これだ。このざまだ。
居心地はいい。赤絨毯の質も、明らかに王の間のそれよりも優れている。置かれている机も。ぶら下がるシャンデリアも。壁面全体が白背景の彫刻画のようになっている。自然の森を象り再現したかのようである。色もなく、そう厚みも無いのに、なぜか、立体的に見えてきたりもする。
窓もあり、そこから光が通る軌跡の部分の赤絨毯ですら色褪せていない。その光が自然光かどうかは分からないが。
埃臭さも、湿気っぽさも、黴臭さも無い。執務机傍に、積み上がっている人間大の書類の山がありつつも。大量の本棚、詰め込まれた書物の数々がありつつも。
今日からここが、我が城だ。我が住処だ。そう強く思ってしまったことが、このような事態を生じさせるとは……。
この……ざまだ……。
指先が扉に触れただけで、透けるように消えてゆく。
慌てて離すと何事も無かったかのように元通り。
たとえ、扉が開いていようとも、出てしまったら、この身は消え失せただろう。そう考えると、扉が閉まっているのは不幸中の幸いかもしれない。一気に、身体が外に出て、気づく間もなく消失の憂き目にあう、ということにならずに済んだのだから。
一旦諦め、再び、ベッドに身を沈める。
枕や布団自体は、ただ純白なだけで、凝った意匠などはない。それに、汚れはなく、一切の臭いが無い。つまり、魔法の品ということだろう。
それなら確かに、執務室に置こうが問題ないだろう。キングサイズのこのベッドを。ちょっと下世話な想像をしてしまうが、身体は反応しない。
精神的疲労は相当ということだろう。
そう。
参っている、のである。
休もうとしても休めない。目を閉じ、眠りに落ちようとも、展開、定着させられてゆく記憶の奔流に襲われることになるから。
【忘れる勿れ。】
【与えらるるは一時の安寧。されど、神の座の視野。果て無く永い。故に、忘らるる。突如終わりを告げることとなる。】
【莫大なる大戦の負債。人の尺度では永き時の浸食。残債はどれ程となるか定かではない。】
【心せよ。それは、大戦の再来、呪詛怨嗟の濁流、亡国の危機。その何れか、その全てか、そのどれですらないのかもしれない。何も起こらないのかもしれない。】
【その時が訪れなければ、何も分からない。】
【最初から全てが露わになるかもしれないし、段階を踏むかもしれない。】
【心せよ。覚悟せよ。事は、機を選んでくれはしないのだから。】
「……。ぁああああああああ!」
汗びっしょり。このざまだ。碌に眠れないのだ。浅いうちに、強制的に起こされるに等しい。……多分。短時間しか眠れていない。
時を告げるものは存在しない。どれほど時が流れたのかまるで分からない。だから、眠りの前と後とで日が一周以上してしまっている可能性を拭えない。
夢なんてものは曖昧なものだ。
意識があるということは、文字の羅列のような思索であったとしても、それは夢だ。目を覚ますという選択を自身が使えない以上。
夢を手繰る才能は己には無い。だからこそ、狂わずにいられるのかもしれない。仮に才能があれば、この情報の洪水が、四六時中襲ってくることとなる。その密度も頻度も、今の比ではない……。
【精霊術・浄化】
着替えも無いのだ。こうするしかない。
風邪をひくなんてことになったら、情報に殺されそうなのだから、また、次の夢までのスパンが縮まるデメリットをとってでも、こうするしかないのだ。
どうしかして、ここから出なければ……。
だが、どうやって……?
少なくとも、未だ、外の事態に大きな進展は無い……のだと思う。思いたい。
助けも呼べない。声は外に届かない。
糞尿も部屋の端で催して、自分ごと洗浄……。
王族の中でも魔力が強い御蔭で、餓死は無いし、やがて、出るものも尽きるだろうが……。痛み、弱ってゆくのは間違いないのだ……。外との連絡手段が無いのが何より痛い。だからといって、ウィル・オ・ウィスプが気づいて入ってきて、二人揃って閉じ込められるなんてことになったら、それこそ最悪だ。
脱出方法がおりてくるのを待つか、最悪賭けに出るか。命懸けの掛けに。どうせ、早いか遅いかだけだ……。
魔法による、発破。全力で行うそれにより、部屋自体の束縛を突き破る、若しくは、消し飛ばす。
どくん。どくんどくん。
折角使った浄化もこれでは意味が無い……。
嫌過ぎて、汗が溢れてくる。多少の爆弾くらいは覚悟してはいたさ。だが。これはあんまりにもあんまりだろう。世界自体が吹き飛びかけない爆弾が、この世界には埋まってるなんて突然明かされても……。
しかも、よりによって、それが発動したからこそ、父上のあの耄碌、もとい消耗、であっただなんて、最悪の答え合わせ……。
兄上は、止めようともしなかった。だが。……。父上が兄上にはこれらを明かせなかったことは、今自身に課されている制約から明らかで……。
唯一辛うじて及第点な兄上とは意見が相違し、他は任せるに値しない。
いつ、度を越えてもおかしくない。正気も記憶も保てない、王の形をしたがらんどうが、衝動的に命を下す。それを、兄上は止めるつもりはないと、確かに言った。
だから。
私は決行し…―
がちゃり。
扉の取っ手が回る。
「やめよ! 入るな!」
私は絶望した……。
分かってしまったから。聞こえていない。そして。魔力を感じない。つまり、どうあったって、伝わっていない。
止めようとして、取っ手を掴もうとしても、すり抜ける。
「ぃぃぃ……!」
ギィィィィーー
扉が――開く。
緑がかった黒と血色のひいたような青白色。それに混ざる、紫色。
のびてきた手は、その爪を弾け飛ばしながら、軋りながらも、私の首を掴んで、引きずり出した……。
バタンッ……!




