騎士すらやめちまったと言われた
【『嘗て、その地で、大きな戦争があった。その世界全てを巻き込む大戦争が。その果てに――この、四界を虚無で閉じられし安寧の地だけが残った。』】
【どれほど前かも分からない。】
【少なくとも、数世代前なんて浅いものではないだろう。数千年で済むだろうか? 数万年以上も遡らねばならないか。】
【当時の記録らしい記録は、かの短き伝承のみ。それ以外何一つ、残されていない。】
【元の世界がどれほどの広さだったのか。】
【国はいくつあったのか。】
【どれだけの勢力同士のぶつかり合いだったのか。】
【それは、幾年、幾十年、いや、幾百年続いたのか、さえ。】
【我々に残されたのは、人の視力では果ての見えない四芒星の豊饒な土地のみ。その満たされた、閉じられた地で、手を取り合って、平穏に生きよ。だが、我々は果たして、残されたのか、託されたのか、封ぜられたのか。】
【我々は、あまりに無知である。】
【それすら、先達たちによって望まれているかのように。】
世界統一国家グラナ。
広大な領土を持つ、というにはあまりにも矮小。しかし、村や町や街や都市を幾つも内包するそれは、数多の領主領からなるそれは、国といえるだけの規模を確かに誇っている。
十字の端から端まで何にも遮られることも阻害されることもなければ、屈強な鍛えられた大人の人間の範疇の男の足で、不眠不休でひと月程度で踏破できる。
とはいっても。進路上の街道、森林、草原、荒野、小山、小川、砂地、沼地の有無によっても変わる。
世界の中央部は、正方形であり、東西南北の世界の先端を真っ直ぐ下ろして、この正方形と交わる点にしか、王領たる中央部からは出入りができない。移動の両端が決まれば、ルートは直線距離では一通りに限定される。
なお、上記の移動の記録は公式では、一例しか存在していない。
そんな馬鹿げたことをした人物は、その世界の記録に残る範疇ではただ一人しか存在していないからである。
非公式も加えると、もう一例だけ増える上、その記録は20日にまで縮まる。
「俺の記録を塗り替えて――成し遂げてみせたのは、あいつさ」
男がまるで、自分のことのように誇らしげに言う。
バチバチバチバチーー
折り重ねられた薪。たちのぼる火。周囲を覆う、小部屋一つ分程度の広さしかない、魔力によって織られた、覆いのような帳。
傍に座るもう一人の男が口を開く。
「ったく。お前も、ライトも人外枠だろうがい!」
少年の現・師匠である。
「騎士なんてものはそういうものだぞ?」
そうご機嫌なのは、少年の元・師匠である。
「んなもん、騎士団長クラス以上だけだろうが……。大体なぁ、魔法使い上澄みの俺らと魔法無しで互角なんて奴らはもう人間じゃあねぇんだよ……。俺はお前が心配だよ……ティアラン。狼が羊の群れに戻れる訳が無ぇ!」
男のことを心配している様子であった。
「相変わらずだな、黒亜は。で、どうだ? 俺は俺だろう? 何も変わって何ぞいない筈だ。騎士は辞めたとてな」
「おい……。役職から降りて、騎士団抜けただけじゃあ無ぇのかよ……。じゃあ、お前の伝手、使えねぇじゃん……」
以前聞いたのと同じ話を求め、要望通りお出しされたことを以って、その様相がだいぶ変わった友人の本人確認は今を以って完了した。のだが、そこまでは男も想像していなかった。
友人が、その相応しい立場も職も、手放してしまったということを。騎士団の長から降りる、別の騎士団に移る、程度は想定していた。あれは、それだけに足る出来事であった。だが、辞める、ということは。
これを、元弟子である、奴が知ったら、どう思う? この友人は、それを考えないような奴では決してない筈なのに。
「ん? わざわざ、ライトの近況知らせに来てくれたんじゃあないのか? 嫁のお披露目ついでに」
友人は、男のそんな考えを見透かすかのように、茶化す。
「ちゃうわい! 逆だよ逆。普通逆やろがい!」
男もありがたくそれに乗った。こういうことを息を吸うようにできる奴。なのに。どうして、と。益々強く思う。
「はは。お前に託した、俺の元弟子の。あいつのことだ。関わる人間の心を焼いてることだろう。軍団でも築いてたりしてな」
それでも。自分が友人という一人の人間をこうあってほしいと、強く形を持って理想を押し付けていただけかもしれない。心の内なんて、誰にも分からないのだ。もし仮に心が読めたとて、その意図の全てまでは図り知ることはできないのだから。
その友人の相変わらずな様子に呆れつつも、久々に目の隈から完全に解放されたその男は、友人の望みに沿ってやることを決めた。友人の知りたいことに友人の望む限り答えてやろう、と。
「そういうことはさせてねぇよ。騎士時代の焼き直しなんてさててちゃ意味無ぇだろ?」
「ははは。それもそうだ」
「だがな。女ができた」
「おいおいおい! めでたいじゃないか! 濡れ場の近くに置いても反応すらせず、夜の店に誘っても興味ないと断り、実家でそういう手ほどきすら受けていなかった上、任務で引っ掛ける羽目になった女たちを袖にした上、執着もさせず、周りの騎士とかに擦り付けていってた、女という性別にすら興味無さそうだったあいつが、か?」
「相手は魔女だ。俺と同じように」
「うぅむ……。なぁ、黒亜。ライトって、釣った魚にエサやる類だと思うか……? お前の目から見て」
「やるね。というか、やってる。ドバドバ注いでるぞ? 未だ、最後まではヤってないだろうがな。そもそも、あいつの年考えろよ。まだ立たんだろう? 流石に」
「あのガタイでまだ子供だからなぁ。大人顔負け、三十路と言われても誰も疑わんくらいには老けて見えるがなぁ。それでもよく見たら分かるんだぞ? 肌が若過ぎる! 髭の一本すら生えて無ぇ! あ、今はどうだ?」
「変わって無ぇよ。だが、無理だろ。アレ見てガキとは思えんだろ。貫禄と圧が有り過ぎるし、あの腕と足の太さにあの驚異的な胸板だからな。火傷跡などあっても、肌地そのものが綺麗過ぎるだとか、髭無いなんてもん、そういう家系なのだろう、で、奥に引っ込む。あいつの場合、第一印象が、英雄譚の中にしかいないような大男なんだよ……」
「距離、取られてないか……? だ、大丈夫なんだよな、な? ライト、上手く、やっていけてるんだよな! 来て、無いんだし……。 な!」
男は思う。
相変わらず身内にはダダ甘な奴だなぁ、と。そして。未だ、ライトのことを自分の弟子と、全く否定できないくらい、強烈に思っているのだな、と。
(王子や領主より先に、こいつに真っ先に会いに来たのは正解だったな)
ばさり。
帳の先、夜の闇の先から、一人の女が入ってきた。
「たらら、戻ったか」
「たたらさん、お疲れ」
「ただいま。やっぱり、夜の方が関所の警備はだいぶ緩いわね。どうする? 明日もこうとは限らないけど」
「行くぞ」
「だな」
「はぁ、徹夜かぁ……」
そうして三人は、魔法の帳を解き、荷物を背負い、夜の闇に溶けていった。




