獣の皮の匣 中
「……」
少年は青褪めていた。
その身は無事である。
小川の音が響く、夜の森の領域。
彼女と共に、彼女が目の前に用意していた、遠見の水晶と同じ仕組みの、地面に展開された覗き穴から、外の光景を眺めている。
それの肉から溢れ出た、血のようにも見える。量も、その色も、それがスライムではなく、肉から溢れた古い血であるとするのならば、納得のいくような。
茶黒の錆にも似た色の、液体である。それは、地面の土すらも溶かしているかのように見えた。たちのぼる煙の色が、溶岩地帯のそれに極めて近しいものに見えた。
寧ろ、何故、この段階になって、出てきた? 放出した? 圧縮して保持していたのが、裂けて溢れ出てきた?
「強力な酸、の類か……? 土すら溶かす……。見たことが無いぞ、あんなものは……。もう一息か二息分遅れていれば、巻き込まれていただろうな……」
「ごめんなさい、判断が遅れたわ……。ライトが合図してくれなかったら、間に合わなかった……」
「で、アレは何だと思う……?」
「分かってたなら、少しでも予想がついた段階で、報せてたわよ……。ライトが私に与えた役目はそれだったのだし……」
「見たところ、あれで打ち止めのように見える……。しかし、このまま放置していく訳にもいかない。だが、核を砕いた感覚も気配も微塵も無い」
「誰か前に立たないと、何処かへ行ってしまう、とでも言うの……? それこそが、間違ってるような気がするんだけど……」
「始まりの園方面に向かわれたらどうする? アレが積極的に、自発的に動けたのならば、門番以外、外縁部の住民では、対応すら儘ならないぞ? それに、スライム種と想定したときの、アレの性質がまだ明らかじゃあないんだ。浸食するかのように、同族を増やすタイプであったなら、どうする? 例えば、飲み水に混ざったりするタイプならば」
「……。初動を、止められないと……いうことね……」
「そうだ。で、私ですら、割くのにこれだけ掛かった上、それが正しい対処法とも限らない。知能を、知性を吸い上げる類であり、今それが不足しているからこうなだけ、とかだったら、危険度は跳ねあがるぞ……? 災厄の被害を目にして、君は眠れるタチか? それも、阻止できたであろう、推定第一発見者である私たちが逃したせいで、そうなったとするならば」
「……」
「そういうことだ。憂いは根から断ち切るに限る。面倒事が今後降り注ぐことを、私も君も確信しているのだ。あの未来からの息子から伝えられた情報に、恐らく、私と君とで差異がある。それも、言わないように注文を付けられたものも幾つかあるだろう。逃げを選ぶくらいなら、門の生成完了前に君に指示していたよ。それが最も確実だった」
「そうすべき、だったんじゃない?」
「血の匂い。危機感と恐怖。緊張。言うならば、意思ある類の手負いの獣の臭い。即座にエリクサーぶっかけてやらないといけないような惨状を私は想像したのだ。だからこそ、頼まなかった。それに、引き入れられる仲間は、できる限り拾っておきたい」
「わたしたちだけじゃあ、どうにもならない事態が起こるとでもいうの……?」
「多分な。身体が幾つも必要なような、同時多発的な連鎖的な事態が起こるのだと思う。あの理事長が、私に勧めてきたよ。徒党を組めと。それこそが、お前の本領であろう、と、見透かすように、な」
「……」
「そうさ。それは、魔法使いとしての領分ではない。それに、私個人で完結するのではなく、巻き込む、ということだ」
「わたし……は……?」
「一蓮托生な君は例外として、前提に組み込まれている。私が死ぬと君は死ぬだろうし、君が死ぬと、多分、私は折れるだろうと思う。薄情ではあるかもしれないが、死ぬかは分からんよ。私たちの間に、赤子時代~庇護されるべき子供時代な息子か娘がいる状態ならば、私が死ねる状態かは分からんだろうからな。君の場合は魔女の本能がある。君の理性とかは関係ない。魔女の発狂は、感情としての本能というより、魔女うという存在の定義に根付いている。要するに、止める手立てはない。一時的な行方不明、若しくは、復活の目途があるなら、学園長のように、粘れるかもしれないが、あの人が何やら事前対策を講じた末という可能性だってある。それを知らない私たちでは、そんな準備はできないのかもしれない。……おっと、話が逸れたな。どうやら、あのスライム、道具の類のようだ。稀過ぎて、無いと考えていたが」
「???」
「ほら。見てみろ。核が露出している。そして、スライムとしての身体は、毛も皮もぐずぐずに溶けて崩れ、茶黒色の古血液に似た液体によって、空気中の魔力蘇生が、強く森に寄っている。赤く、小さい膨れ、てゆく。目玉の方ではなかったようだ。核は一つ。拍動するかのように。血走ってゆき、元のスライムの体積並みに膨れ上がってゆく。ほら、見ろ。君は言っていた。二重構造。中に何かいる。わざわざ手段を選んで正解だった」
僅かに透け、琥珀色の輝きがその内から緩く放たれる。そして。血管。管。繭。六体、プラス、一人、か。
「一人、だけよ……」
彼女がそう言った。それが示す答えは明らかだ。つまり、残りは死体。心の読める彼女は、存在がたとえ死に掛けであろうが、生存しているのならば、何か相手が防護手段でも備えていない限り、その意思を記憶を読み取れる。それがたとえ、獣や人外であろうとも、在る、が読めない、ということだけは分かる。
だからこそ。
「どうすべき、だろうな……」
判断を下せない。




