獣の皮の匣 前
飛ばした斬撃は――本来齎されるべき結果を齎さなかった。
(滑…―弾かれた……?)
世界を分かつ斬撃は、その皮どころか、毛の一本すら切れず、上方向へと消えてゆき、空が、雲が――割れた。
(直接刃を接触されるのは危険と判断したが、悪手、だったか……?)
ぎろり。
それは、首を傾けるでも、身体をひねるでもなく――こちらを正面の捉えるように、顔と目がこちらに真っ直ぐ対峙していた。
(骨格は、無いタイプか!)
距離を詰められたり、先手を取られることを嫌い、剣を振るった。剣の腹にて横薙ぎに。
当然の如く、刃は空を――斬らない。空気の塊が、飛んだ。その刃の軌道上の空気が、弾き飛ばされて。
それの毛並みが湧きたつ。それは微塵も吹き飛ばない。
(重い、のか? それとも、踏ん張るための足の代用器官を保持しているのか? そして――今のでも、分裂しなかったな。スライム系統の基本性質の一つを持たないとでもいうのか……? 流石にそれは早計か……? 物理が効かない様子であるのはありがちではあるが、その程度が少しおかしな域に至っている……。それに、大人しすぎる……)
更に距離をとる。
空いてる方の指先から放ったライトニードルは、避けられることも透かされることもなく、確かに着弾したが、掻き消えるように消滅した。
貫くこともできず、砕ける音すらなく、込められた圧縮された光が散って輝く訳でもなく。かといって、吸収された訳でもない。
まるで、消滅させられたかのよう。それの表面に触れたことで。
(体毛ではなく、皮膚に触れた瞬間、か……。そして。こいつは、反応すらしていない。攻撃された、どころか、何かされた、という認識すら無いかのように。気にしていない。相手にされていない。そもそも、意識すらない? 変種のゴーレムの類でもないということか)
剣を消した。
硝子を生成し、形をつくる。棒の如き柄。四角く、緩く浅く椀状の長方形に近い刃。そう。スコップである。硝子のスコップ。
サクッ、ブォン!
掬い上げ、飛ばす。
土を、である。
それの顔面にぶつかる。
避けようとも防ごうともしないし、特に湿っている訳でもないその土は、毛にこびりついた。吸収される素振りも、消去される素振りも無い。
動こうともしない。
サクッ、ブォン!
掬い上げ、飛ばす。
サクッ、ブォン!
掬い上げ、飛ばす。
狙いは、それの唯一の身体の部位らしい部位である、推定、目。濃い琥珀色の二つのそれら。
ザァァ。ザァァ。
当たる。
避けようともしない。様子に変化はない。
(流石に……おかしい……。こうやって、私に危機を感じさせるだけの圧を明らかに放っている。だというのに、こちらを一切攻撃してきていない……? 何かを飛ばしたり、撒き散らしたり、放出してもいない……。だが、これは生きている。無害だとは、どうしても思えない……。この圧もあり、放置できる類でもない……)
『ライト、斬って。中に、何かある……!』
(スライムの類だし、核くらい、あるだろう。それに、核を潰したら、こいつ、死ぬぞ? 調べることすらできん。核を潰せば、跡形も残らず消えるタイプと、死体というか抜け殻が残るタイプの二種に大別されるが、こいつがどちらかも分からんのだぞ……?)
『そう、じゃない! よく、見て。僅かだけど、ブレて見える。多分、二重構造よ。内側に、何かいるの。多分、わたしたちは、前提から間違っているのよ』
直接触れずの斬撃は通らない。
なら、こうするしかない。
跳躍し、硝子のスコップの刃を突き立て、ぶっ刺した。
ぬしゅっ!
目と目の間、それが本当に顔面だとするのなら、眉間にあたるそれを。
(刺さった! しかも、溶けも吸収されも消失もしない!)
それは、身をよじらせすらしない。
あまりに反応が薄い。
これまでとは違い、明らかに攻撃として通ったというのに。
光を、込めた。
より奥へと捻じ込みながら、押し付ける反動を利用して、一気に数十メートルもの距離を取る。
炸裂――した。
爆発。
光の爆発である。
当然であった。込めたのは、指向性を持たせたライトニング・ボルト。
柄から、先端である刃へ、そして、その先、それの内側へと。そこで炸裂したのだ。物理の効きがここまで薄いのならば、これは間違いなく通るという確信があった。
反射的に身体が反応した。
(蒸発・揮発するでもなく、ここまで飛んでくるか……?)
身体を丸め、倒立しながら後転し、バク転しながら、距離を更に開けつつ、飛来した塊を避けきった。
それに毛はなかった。つまりそれは、純然たる中身だ。皮より下の中身。つまり、正体不明。蘇生不明。触れて問題ないかすら確かめられていない。
だからこその、剣でなく、生成した硝子での一撃であったのだが、やはり、脱力感と、疲労感が一気に襲い掛かってくる。
不自然な程の疲労負荷。
まだ熟達していない、硝子の方の魔法、光とは違って、がっつりと、物質を操る、明らかに材料捻出か収集が必要なそれを、効率化すらできていないそれを無理くり使ったのだ。
本来、自身の光の魔法に付与、付随していた、補助程度のそれとは、必要量が明らかに違い、強く意識してイメージして使う必要があったそれは、一気に少年を消耗させたのである。
そして。
これで終わりという訳ではない。
(……。これでも、動かないのか……? なら、何だ……? 意思をもって飛ばしたのではなく、つけられた傷から、加えられた圧によって噴き出しただけ?)
(肉色だ。トドメ色ともいえる。死後数時間が経過したかのような、血抜きされず放置された獣の肉のように見える……)
(その癖、血の一つも噴き出さず、一体何なのだ、こいつは……?)
目を細めつつ、一歩、一歩、ゆっくりと、慎重に近づいて…―
『ライト! 破裂する……!』
(は……?)
意味が分からなかった。だって、目前のそれは、言うならばもう、破裂しているといえる。だというのに、更に?
剣を喚び、地面へ振るった。
そのまま、そこへ滑り込む。その上に降り注ぐ、土。
弾け、溢れるような水音が響く。
強烈な嫌な予感が迸る。
(回収…―)
ブゥオン!




