豚と瘴気王は仲がいい
「なるほど、ししは鼻が利くのだな」
<とうぜんでしょ。ぶーちゃんは匂いにつよいの>
「そうかそうか、餌に対する執念か」
……会話が微妙にずれている、のは気のせいだろうか。
俺は前を歩く一人と一匹を眺めて、背後をちらちらと確認し、溜息を吐いた。
あの後ヨーゼン・カイとぶーちゃんは和解した。
「やるな、しし」
<きみもやるね、つよいね>
……なんか拳と拳でわかりあうような世界で、和解した。
豚と美形がそうやって和解するととてもシュールで、俺は笑っていいのか悪いのか心底わからなくなったわけだが。
お互いがそこそこの距離をとっている、ちょうどいい感じみたいだから何も言わない、
「それにしても、冬の和子が魔物の類と認識されるとは、しばらく眠っていた間にこの世界の感覚もずいぶんと、おそまつになったのだな」
ぶーちゃんと微妙にずれた会話をしつつも、ヨーゼン・カイは俺があんな所にいた理由を聞いたらしい。
あれだけずれていて、それでも要点はわかるってなんなんだよ。
相手は豚だぞ、あんたから聞いていればブーブー言っている状態だぞ。
なんでわかっちゃうんだよそこで。
あんたわざと会話してない世界の人間か、それとも天然なのか。
かなり、もともと持っていたイメージ……この世のすべてよりも麗しい、あちら側の王の王、というもの……が崩れる物である。
がさがさと森を歩き回り、俺たちは今、一応船が付くだろう港町を目指している。
「それにしても、ずいぶんとこの土地は瘴気が凝っているな」
森のあたりを見回しながら、ヨーゼン・カイがなんだか馬鹿みたいな事を言う。
あんたらの領域の事だろうがよ……瘴気はあんたらと核のどっちかがあるとわいてくるんだろうが、と思ったんだが。
「これは冬が来たのか、ここ何百年も雪が降っていないのだろう」
さらりととんでもない事を、そいつはのたまわった。
「え?」
俺は目を丸くして、ヨーゼン・カイの方を見てしまった。
振り返りすぎて、その辺の樹木に激突し、ひっくり返る。
「ふぎゃっ!」
「やれ、お前本当に周りを見なければならないだろう。どれ、手を貸してやろう、手を出せ」
言いながら差し伸べられた手を掴む。
俺の矜持なんて物は、ここにはない。
というよりも、こういう風に当たり前、と言った顔で俺に手を差し伸べてくれる相手っていうのは久しぶりだ。
いつぶりだ、ああ、おばあ様以来だ。
あの人以外の人は、俺が強いから、俺だけで立っていられると、立ち上がれると認識している。
間違っちゃいないのだが、なんだか俺はこいつに甘えたな顔をのぞかせてしまうし、こいつ自体も俺を甘えたにしたがる。
ひょいと俺を立ち上がらせて、さりげなく頭の埃を払って、瘴気王が続ける。
「春の大陸は、四番目の季節になれば多少は雪が降る気候のはずだ。そのあたりに大体、多くとも少なくとも冬の浄化の風や雨、雪が降る事で瘴気の濃さを調整していたはずなのだが」
辺りを見回す彼は、何処か鋭い眼で呟く。
「これはどう見ても、数百年は雪が降っていないとしか思えない。……均衡が保たれないわけだ。冬の力がまるで来ないのだから、瘴気もたまり凝るだろう」
「それってどういう事なんです?」
「これは我らの介入しない瘴気の凝り方だ、と言っている」
「……あなたじゃどうにかできないんですか」
「出来るだろうが、これをどうにかする義理を、このヨーゼン・カイが持っているのだろうか?」
「……」
俺は答えられなかった。この相手に、瘴気をどうにかしてくれとお願いする事が出来なかったのは、おそらくこの相手を説得できない自分がいたから、だった。
ヨーゼン・カイを説得し、瘴気をどうにかしてもらう事は、俺にはできない事だった。
ましてや。
誰でもない俺のために、瘴気をどうにかしてほしい、なんて言えやしなかった。
瘴気をどうにかするために、冬を踊る事ができないから、あんたに何とかしてほしいって、言えないのだ。
俺は、プライドが高いのだろうか。
黙って歩き出したこちらを見て、ヨーゼン・カイは呟く。
「困らせるつもりはなかったんだがな」
「ぶー」
ぶーちゃんがなんだか、皆分かっているような調子で首を上下に振って、同意していた。
君の方が、ヨーゼン・カイの方に近い感覚なのかね。
ぶーちゃんは瘴気なんて無関係の生き方をしているから、気にならないのかもしれないな。
ああ、複雑。
「しかし、冬の和子」
俺とぶーちゃんの後ろからかけられる声。いつの間にやら、立ち位置が変わっていた。
「お前が何かを対価に、これをどうにかしろと、この瘴気王に願うならばやぶさかではないだろうな」
酷い奴だ、根性が曲がっている。
俺が差し出せるものなんて、一つだけしかないってわかってていうのかね。
「……」
殴れないのは、腹を立てられないのは。
“こいつはこいつの、心底の善意で言っているのだ”と心のどこかが告げているからだ。
「まあ、それよりも先に、港町に向かいましょう。そっちの方がずっといいでしょう。魔物も出ませんし、この密度の濃い瘴気を抜けたら、魔物の巣窟ですからね」
あえて話を無視して俺は、前を見つめた。
ぶーちゃんのように、遠くの匂いをかぎ分けられない俺の目の前に広がるのは、ただの森だったが。
その先に行くべきだと目的を、決めて俺は歩き続けた。
ヨーゼン・カイが自分の衣類を引き裂いて用意してくれた布を、足に巻き付けたまま。
靴を入手しないと、目立つよな、なんて俺は内心で思っていた。
「兄ちゃん、買っていくのかい」
「いいや、値段が分からないから買うわけもない」
「ここに書いてあるだろう?」
「読めない」
「兄ちゃん、得体のしれない格好だけじゃなくて、頭も変なのか?」
二日ほど森を歩き続け、俺たちは森を外れてから偶然通りかかった、行商の幌馬車に乗せてもらった。
その時の話はおもに、ヨーゼン・カイがあっという間に付けてしまった。
いや、あれ早かったわ。
あれだけあっけらかんとした調子で、片腕の人間が子供と子供の相方と、自分はどうしても夏の大陸に向かわなければならず、そのために馬車に乗せてほしい、何て言われたら乗せる物なのかね。
それとも、俺たち全員がいかにも訳ありの、すごい大変な目に遭いました、みたいなぼろぼろさ加減だったから、あの人の好さそうな行商のおじさんも乗せてくれたのか。
うん、わからん。
行商のおじさんは、酷い追いはぎにあったのか、って聞いてきた。
何も言わないで、話を逸らすように遠くを見たヨーゼン・カイを見て勝手に、可愛そうな想像をしてしまったらしい彼は、色々俺たちに親切にしてくれた。
だから俺は、その親切に答えるべく、乗せてもらっている間は有り合わせの物で美味しい物をご馳走した。
美味しい食べ物は国境も考えも超えるんだな、とここでも効果を発揮してくれたわけだ。
俺の煮込み料理は、おじさんもいたく気にいっていたから、分かるように配合を教えておいた。
あれで作れると思うんだよな……しりあいに料理人がいるって言ってたから。
そんなわけで、俺たちは港町のポルタに到着した。
そこで俺たちは、まずヨーゼン・カイの腕を誤魔化すべく、彼を医者に放り込み、何とかさせたわけだが。
衣類を調達している間に、あのやろう医者から逃げた。
そして目の前で、色々出店の妖しげなおっちゃんたちと話している。
「いかんせん、数字は頭が認識できないから、物を買ってはいけないと言われている」
「あんだそりゃ、兄ちゃん数字が分からないのか?」
「わからない、というよりも、数字で物を認識できないらしい」
「ふうん……じゃあこれもわからない」
「これは古い様式だが、このあたりが銀で継がれているのを見ると、夏のこのあたりで使われていたものが流れてきたんだろう」
「へえ、あのあたりの物は滅多に通ってこないって話だったけど、これもか……」
「そっちの物は、記憶が確かならやはり夏の、首都の割合近い窯元が百三十年前に限定で作っていた色だったはずだ、こんな所で売っていていいのか? 当時もとても値段がつかなかったんだが」
……あやしい物売りのおっちゃんたちに、骨董品の解説してやがるぜ……
俺は遠くを見たくなった。
ゆるゆるとした、どこの様式かも定かじゃない衣装を身にまとった、隻腕のいかにも訳ありの男が、当然の調子で骨董品の解説とかしてるとか、目立つ以外の何物でもない。
ほら、さっそく話を聞いたらしい何処かの豪商の丁稚が、走っていったぜ、あれぜったい値打ち物を買い占めるためだろ。
何よりかにより、ヨーゼン・カイの方はべらぼうに目立つから、それだけで人目が集まるってのに……よしてくれ……目立ちたくない……
さめざめと泣きそうになる俺とは裏腹に、ぶーちゃんが人込みに入って、瘴気王の袖をぐいと噛んで引きずっていく。
よろめいた彼はそのまま、俺の所まで引きずられてきた。
彼のそんな、喜劇的なさまに、誰かがとても喜んでいる。
「やれ、冬の和子、ししに引きずられてきてしまった」
「医者に診てもらっているはずじゃないんですか」
「一目見た医者が、泡を吹いて倒れたから、これは使い物にならないと思って出て行った」
「金払えって言われたんですけど……」
「見てもいないのに金を払えとは、強欲に過ぎるな。ちと脅すか?」
のんきだ、とてもこいつはのんきだ……俺の知っている中で一番のんきだ……
と俺は考えをまた改めた後に、問いかけた。
「あなた、数字が読めないんですか」
「数字だけはどうにも、理解ができない。結果、買い物をしてはいけないと昔から口を酸っぱく言われているからな、さすがに覚えた」
「誰にですか」
「あっちこっちだな。しょうもない。私に物を買わせるとすぐに金を使い果たす、と文句を言われて一時は、財布すら持たせてもらえなかったからな。私はスリを捕まえるのは得意なんだがな」
駄目だこれ、俺の知らない頭だ。
ちゃんと会話して、理解しようって思って歩み寄らなきゃいけない方面の人格だ。
「……あんた、知らない間にえらい人間臭くなりましたね」
俺のつぶやきに、彼が笑った。
笑って立ち上がって、ひょいと片腕で俺を抱えあげて、頬を摺り寄せた。
「和子は何度でもそれを言ってくれる。おそらく和子と過ごす分だけ、人間臭い空気になるんだろうな」
「なら、私を子犬みたいに抱えるのやめてください」
「和子は小さくて可愛らしいな」
聞いてねえなこいつ!
俺はげしげしとその腹を蹴り飛ばしたんだが、しっかりとした強い腹筋は、俺の攻撃を意にもかさないらしい。
俺自身もすごい加減してるからな……
なんて思っていたら、周囲が生温かい目で俺たちを見ていた。
「……すごい年の差の夫婦?」
「いや、あれは男の方がべたぼれなんだろうよ」
「いいなあ、あんなに愛情表現してくれる旦那様ほしい」
「少年趣味の好事家かもよ」
色々聞こえてるけど、どれもすげえ失礼だと思うぜ!
俺は顔を覆って溜息を吐いた。




