馬鹿の相手は疲れる
俺はそうして、羞恥のレベルがトップクラスの現場から離れた。
無論彼に抱えられたままである。
とてもじゃないが、そのまま平然と歩き続ける彼がとんでもないぜ。
どんな体力してんだよ、ああ、神様クラスか。
複数の神々を、一瞬にしてひれ伏させる瘴気王はそれでも、数字が読めない……
中々シュールである。
彼がなんだかえらく浮世離れした空気なのは、そのせいなのかね。
彼をほかの、数字も読めるし計算もできるメンツが、甘やかしていたからなのか、それとも。
甘やかしていたら、すかんぴんにすぐなるか。
じゃあ甘やかされてたんじゃなくて、なんだ?
きっと、瘴気王の威厳を保つために、周りが補佐してたんだな、きっと……
と俺は思いつつ、今夜の宿に入った。
無論一番安い部屋は、驚くなかれ、寝台が一つもないという、荷物置きのような部屋だ。
使い道がなさげな火鉢が片隅に置かれている、毛足がやや長い絨毯が広がるだけの空間。
ちょっとした卓すらないのだが、どうにもこうにも、これしか取れなかったのだ。
何故かと言えば、俺たちも向かう夏の大陸の武術大会、あれのためにここから船に乗って現地に向かう人々が宿をとりまくっているからだ。
ついでに言っちまうと、夏の大陸の首都は大河に面しており、船がそのまま大河をさかのぼれば割合すぐに到着するらしい。
便利だな、大河。
バルザックは小さな湾があって、そこに軍艦とかが停泊していたが、やっぱり本物の港町は港の大きさも利便性も大違いである。
海の魔獣の種類の多さもな!
宿は食事もついていないプランを選んだので、俺たちは火鉢にぶすっと小型の海の魔獣を突き刺して串焼きにしている。
その辺で買い求めた、炊いたお米に嵩を増すための雑穀が入ったお握りも手づかみだ。
これ絶対に、ご飯よりも雑穀の割合の方が多いよななんて、かじりながら思うのだが、腹が膨れて値段が安ければよし、という状態なので仕方がない。
道具袋の中身のお金はそこそこあるんだが、生まれ故郷で金銭的に苦労をし続けたせいなのか、長旅になるこれから、金を得る手段もないと思うとけち臭くなってしまう。
目の前の王様は、文句の一つも言わないで、俺がむしゃっむしゃと食べているさまを見ながら、顔をほころばせて同じもの食ってるしな。
彼はあらゆる貧乏な事とかサバイバルに慣れ過ぎている気がする。
あちら様ってそんなに、サバイバル多かったっけ?
思い出せる限り思い出すとしても、俺の記憶の中ではあちら様の豪華な宮殿をおぼろげに思い出すばかりだ。
これはギギウスの記憶だと思うけれどな。
ぶーちゃんの分のご飯は、同じものをあげている。そしてぶーちゃんはお米よりも安い、野菜と栗の方がいいらしい。
欲しい欲しいとぶうぶう訴えてくるから、虫に食われて大値下げ状態だった栗を山と買い求めて、当面ぶーちゃんのご飯はこれだな……と麻袋に入れて、道具袋に入れてある。
きのみ、きのみ! とぶーちゃんは大興奮であり、にんにく! と踊りまくって隣の部屋との壁からどすの利いた声で、うるせえぞ! と今さっき怒鳴られた。
あんたの声の方がうるせえよ、と思いながら、取りあえず謝っておいた。
ひとしきり、喜びの舞を踊ったぶーちゃんは、食べたいだけ食べた後ごろ寝している。
食べて寝ると牛になるぞ、と思いながらも、いや、ぶーちゃんは豚だから牛にはならないか……なんてちょっと笑ってしまう。
「和子、魔獣が焼けたぞ」
俺がぶーちゃんを見ていれば、瘴気王が呼び掛けてくる。
ひょいと木の串を手渡されて、俺はびくりと肩を揺らした。
魔獣から出てきた脂が、俺の手についてえらい熱かったのだ。
「あちっ!」
それでも串は離さず、俺は脂を舐めた。
こっくりとした脂だ。
食べた事のない風味である。何に似てんだろう、ああ、もしかしなくてもこれは……
「魚?」
「深海の魚に割合、味が似ているな。魚の方が癖がない」
ヨーゼン・カイがそんな事を言いつつ、自分も魔獣をかじっている。
その仕草に俺は突っ込んでしまった。
「丸のまま……」
「かみ砕けるからな、和子には骨が固すぎるだろう。ちゃんと骨をよけて食べなさい」
顎の力が人間とは決定的に違うんだな、と俺は自分を納得させた。
納得させないと、色々終わる気がしたんだ。何かが。
彼はそのまま、食べ終わるとふらりと立ち上がった。
「どこに行くんです?」
「潮風に当たりに行く、ついてくるか」
「いいえ、眠いので寝ます」
「子供はそうしていた方がいい、これからの船旅は恐ろしく大変だ」
その断定的な調子に、彼は船旅も経験したかとどこかで思った。
どこにでも瞬間移動できてしまうような相手が、船旅をするのは……
道楽だな。彼なら十分あり得そうだった。
「変な物を引っ張り込まないように」
「引っ張り込まれるかもしれないが、まあその時はその時だと思うさ」
なんだかとてもあり得そうだ。見目の麗しく、なんだか浮世離れした空気と、世間知らずの空気が重なる彼は、本当に血道を上げたやつらに引っ張り込まれるかもしれない。
そしてそういうやつらを返り討ちにするかどうかは、彼の判断による。
俺よりはるかに年上だ、彼の選択に文句を言う筋合いはないだろう。
「気を付けて」
故に俺は一応そう言ってから、敷物にころがるぶーちゃんの腹に体を預けて、ひょいと毛布を一枚かぶって目を閉じた。
「気を付けるのは回りだろうな」
なんだか良く分かっていなさそうな声で、彼が言ってから扉が開き、足音が遠ざかった。
翌朝目を覚ました俺は、隣でほぼ全裸で俺を抱えている相手を見て何があったのか、と考えた。
あの服すごい丈夫だったから、滅多には切り裂けないと思うし、破れないし、焼けないし。
素材はなにと冗談交じりに行ったら、火鼠の皮衣、と返されたあたりで真実っぽくて笑えなかったが、この世界の火鼠の皮衣がどんな物か俺、分かんないし。
へー、で済ませておいたんだが。
何でこの人、ふんどし以外は何も身に着けていないの。
よくまあ宿もこんな人入れたよな。止めないか?
ぐるっと思考回路を働かせてから、俺は起き上がった。
起き上がったのに気付いたんだろう。
彼も起き上がってから呟いた。
「……ああ、いけないな」
何がいけないな、なのかわからなかったが、その理由は後々わかるんだろう。
俺は気にしない事にした。
気にしない事にして、問いかけた。
「服をどこにやっちゃったんです」
「潮風に当たっていたら、賭け事に巻き込まれてな、数字は読めない、出来ないと散々言ったが、このあたりでは賭け事に誘われたら付き合うのが常識だと言われたんでな、付き合ったら負ける負ける。飾りも服も身ぐるみはがされたものだから、まあそれでいいかとここに戻って、扉がもう閉まっていたから窓から入った」
浮世離れじゃねえ、これただの馬鹿だわ。
王の王、瘴気王、全ての奴らが頭を下げる絶対の王のイメージがぶち壊しの発言だった。
「服を買うお金なんてありませんよ」
あるけどな。一遍懲りろ、と思ったんだが、こんな身なりの男連れまわした方が、俺の羞恥がひどいだろう。
身の丈を測って、何か古着屋で買ってこなければ。
船の出発の時間に間に合うように、計算して、その間こいつの監視をぶーちゃんに頼んで、と計画を立てる俺の横で、ヨーゼン・カイはまたぶーちゃんに体を乗せた。
「なに、戻ってくるだろう。あれは扱いに困るものだ」
「楽観的に……ただの衣類でしょう、ちょっと珍しい素材の」
「ああ、和子は知らないのだろう。そのうちにわかる」
彼の物言いは自然な調子で、本当に戻ってきそうな気がして来る。
でも、当面の物は買わないとな。俺と彼の旅用の干し肉とか。水とか。
ああ、防腐機能の付いた道具袋だったらよかったのに。
こんな事になるとは、これを買った当時の俺は全く予想していなかったから、普通の道具袋なんだよな。
俺防腐陣知らないし。
「取り合えず、体を隠せる外套みたいなもの、探しますね」
昨日この街に来た時点で、結構な時間だったから、いろんな店が片づけを始めていたせいで服をちゃんと見繕えなかった事を思って言えば。
「和子の分だけで大丈夫だと思うぞ。和子は自分の物だけを買えばいい」
本当にこの人、分かってんのかな、と思う事をのんびりと言われてしまった。




