知らされる”本当”
「……」
俺は洞窟の中で、爆ぜる炎を見る事になった。
洞窟の壁にもたれかかるヨーゼン・カイに抱え込まれた形でな。
どうも俺は、こいつに運ばれたらしい。
しかし。だ。
こいつは俺が、あんたなんて知らない、あんたは誰だと言ったらどうするんだろうか。
本当はそうして、俺はあんたを知らないという風に持って行った方が平和だと、分かるのだ。
なのにどうして俺は、あんたを知らない、と言い切ってしまえないほど、大根役者なのだろうか。
炎を眺めてまた眠くなる。閉じた瞼の上で喉の奥から笑う声が聞こえてきて、響く。
「疲れているのだろう、もっと休んでていいのだが」
包容力ある声だな。ユーリウスよりもずっと包み込む声だ。
その声に誘われた調子で、俺の意識はまた溶けた。
溶けて解けて、何もわからなくなる寸前に、誰かが目の端に映ったような気がしたんだが、それすらどうでもよくなって、俺は目を閉ざす。
「あんたなんて」
知らない。少なくとも、俺のような人間を大事そうに抱え込んで、焚火を眺める瘴気王なんて知らない。
俺が知っているのは、傲岸不遜という調子で、怖い物など何もない、神々が嫌悪する力を有した地の底の、王の王なのだから。
こんな風に、誰かを気にしているような人格じゃねえんだもん。
また意識が薄れていく。
頭上で、ゆるりと笑う音が、相手の喉から聞こえた気がした。
次に意識が浮上したと思ったら、俺は一人洞窟に寝転がっていた。
ぼやけた頭をもう一度かき集めて起き上がる。
上にかぶせられている衣類は、誰の物だろう。
そんな事をちらりと思い、それがものすごい高価な物だと、徐々に覚醒する頭で認識し始めた。
これ、上等の絹じゃねえか。
それも綾織り、色糸で裾に刺し子のような文様が入っている、手の込んだ衣装だ。
春の大陸ではお目にかからない様式のそれは、触るのもためらいそうな値打ちの物だった。
血の気が引くのがはっきりわかった。こんなものを着ている奴って、誰だ。
とても普通の身分じゃねえだろう、と俺がどうにか手に入れた、この世界の常識が訴えてくる。
こんな森の中に、こんな瘴気はびこる世界の中に。
これほどの衣類を身にまとう人間がいるのか。
それならばその理由は。
起き上がってから、洞窟の中をきちんと把握しようと俺は立ち上がる。
立ち上がって気が付いたのは、俺自身も素裸の上に、同じような意匠の服を一枚着ているという事実。
そこで俺は、この衣類がヨーゼン・カイの物だと思い出した。
「まじで復活してんのかよ」
俺は座り込み、頭をぐしゃぐしゃとかき回した。
考えがまとまらないのだ。
この後俺はどう行動すればいいのか、が分からない。
明らかに大きさの合わない衣装を着て、俺は次に起こすべき行動を考えられないでいた。
それから何分経っただろう。
耳に入ってきたのは、小枝や木の葉を踏むかすかな、二足歩行の足音だった。
人間か?
いいや、普通の人間ではないだろう。この、瘴気漂う世界に足を踏み入れて、歩ける時点で。ブーメランだけどな、俺にとって。
なんて思って身構えていれば。
「ああ、目を覚ましたか」
とても軽い調子で、洞窟の前に現れたのはまさに、ヨーゼン・カイ張本人だった。
俺は絶句した。
絶句する以外に何も言葉が見つからなかった。
理由は明快な物だ。
王の王が、もろ肌脱いで、背中に草を編んだ縄を下げているのだ。
それも採りたてだろう、でかい鱒みたいな魚をぶら下げて。
何というミスマッチ。
俺が受けた衝撃は、相当な物だった。
簡単に言えば、豪華なドレスでお姫様が、豪快に生ハムの塊にかじりついている、くらいのミスマッチだったのだ。
ヨーゼン・カイはそれほど、現実的な物が似合わない見た目なのだ。
「大丈夫か。……魔素を欲しがる人間の身の上で、魔素と対極の力たる冬の力を降ろし続けていれば、体の調子も悪くなるだろう」
ヨーゼン・カイは俺の額に手をあてがい、まるで熱を測るそぶりをしながら、そんな事を言った。
「え……」
正直、この毒の王が何を言っているのか、全く分からない俺がいた。
「なんだ。まさか、何も知らずに」
ヨーゼン・カイは俺を見て、何度かその紫の眼を瞬かせた。
不吉な事を思わせる紫の瞳が、開閉する。
「……冬の和子、お前は自分が行っている事の意味合いを何一つ知らずに、冬を踊り続けたのか」
開閉した後の言葉は、やけに機嫌の悪い物だった。
まるで理解の足りない、命知らずの馬鹿に対するもの言いだった。
「……あなたは何を言って」
心底訳が分からない俺は、ぽろりとそんな事を言った。
じっと俺は、相手と見つめあった。
見つめあってしばらく、相手も俺が何も知らないのだと察したらしい。
「前提を問うが……おまえは冬を降ろせるな」
核心を突く言葉だった。俺は口をつぐもうとしたのだが、よくよく考えればこいつが、俺の知らない大事な事を知っているのは間違いなかった。
ならば答えて、情報を引き出した方がいい。
「おろせます」
「おろした時に弊害は起きていないか」
「気分悪くなったり、しますし、二、三日前は途中だったのに手も足も血まみれになって」
ヨーゼン・カイが深く溜息を吐いた。
溜息を吐いてから、無言で俺の頭を乱暴に撫でた。
「その、頼まれてしまうと断れない、冬のお人よしはどれだけ繰り返しても健在か。そうか」
「あの」
「……しらないならば、無駄に命を削らないようにここでいま、教えておこう。信じる信じないはお前が決めればいい物だ」
俺の髪に指を挿し込みながら、瘴気王は言う。
俺にとって驚くべき事実を。
「魔素は瘴気の欠片だ。そしてそれらを欲する人間もまた、瘴気の世界にどこかで属する。神の力を降ろして無事でいられるのは、魔素を欠片も体に取り込んでいない、潔斎をした巫女だの神官だのくらいだ。まして冬の力は、魔の力と対極にある物。魔素を体に取り込んでいる人間が、降ろせば無事で済むものではない」
俺はちょっと前、最初に冬を乞うた時と、その次と、その後とを思い出す。
最初は全然苦しくなかった。
だが、二度目三度目、と繰り返すと、体の調子が悪くなった。
気絶もしたし、ふらふらになったし、最後は手足が血まみれになった。
……俺が、こちら側の食べ物を、魔素を含んだものを食べれば食べるほど、俺は冬の助力を乞うたびに、傷ついた。
その理由が、これなのか。
魔素を吸収しているから、神の力を降ろせなくなったのか。
ケガレ、なのか。
「見るにお前は、まだ完全に体に魔素が行き渡っていない。冬を呼んでもまだ、体が壊れないだろう。だがこのまま魔素を含んだものを口にし、体中に魔素が行き渡ったならば。お前は冬を呼びながら、冬に殺されるだろう」
俺の手を取りながら、その中の血の流れを見るように、ヨーゼン・カイが真面目な声で言った。
「お前は正しく、人間なのだから」
神々の力は、人間には過ぎたものだから、俺は使うとダメージが来るんだと思っていた。
でも、ヨーゼン・カイはそれを違うのだと言っている。
確かに、魔の力を持ちながら、それと対極の力である神の力を使おうなんてすれば、支障が発生するに違いない。
俺が、ぶーちゃんいわくぼろぼろなのは、そういう事に起因しているのか。
「まさかそれを、誰も知らないのか」
俺が絶句して言葉を失っているから、相手はその事実をくみ取ったようだ。
「そう言う時代になったのか。そうか」
彼は俺から手を離し、魚を釣るした草の縄を置き、俺を抱き込んだ。
「お前は頑張ったらしいな、冬の和子。……だが、命を削って単身、冬を呼ぶのはもう終わりだ」
「どうして……」
「私が、戦い方を教えるからだ」
当たり前だという調子で、ヨーゼン・カイが言い切った。
俺をじっと紫の瞳で見つめて、断言する。
「冬をおろさずとも、お前は強い子だ。私が教えるのだから」
俺は息を吸い込んだ。
返事は一つ。
「いや、問題のある師匠は一人で間に合っています」
聞いた瘴気の王は、盛大に破顔した。




