これからの予定
師匠がいつになく早く寝入ってしまった夜。
俺は柄にもなく緊張していた。
理由はいたって簡単だ。
時間が取れたから、ドゥガル様が、俺のじっくり煮込んだバターチキンカレーを食べているから、である。
まあ、出すのにはためらいがあったのだ。
だって、お店のメニューだし。
しかし、俺が手持ちの香辛料とか材料で、一番おいしく作れる料理がこれだったのだ。
味噌汁も醤油の牛筋煮込みもつくれないから、有り合わせの材料で知恵を絞るしかないのだ。
発酵させりゃいいのだろ、味噌も醤油も、原材料はあるんだろ、という皆さまも多いだろう。
しかし醤油も味噌も、奥が深すぎる物なのだ。
大体、それらを作るための麹菌の入手方法がない。
あれは日本独自の気温と湿度といった環境の元で作られてきた物であり。
この、気温も湿度も一定に近い、わりとカラッとした空気のバルザックでは作り出せないのだ。
だいたい、うかつに発酵させて作ってしまおう、何て放置したら。おそらく黴て猛毒の代物に化ける。
菌類の大半は猛毒なんだよ。たしかな。
その中でも、使える黴や食べられる菌は少数派なのだ。
簡単に、さあ作ろう、で作り出せるものじゃない。
化学反応じゃねえんだ。
簡単に言えば、ブルガリアのヨーグルト作りを日本でやったら腐る、という物に近い。
あそこの古いヨーグルトづくりでは、朝露を含んだ木の枝でミルクを混ぜて、放置する、というやり方が存在している。
それが可能なのは、あの地域にヨーグルトを作れる菌が存在していて、枝にそれが付着しているからであり、気候が都合いいからだ。
日本で同じような作り方をしたって、絶対に作れない事請け合いだ。
多分牛乳が毒に化けるであろう。
だから俺は、暴挙をしてまで大豆も塩も麦も犠牲にしたくない。
醤油一瓶のために、豆がどれだけ必要だと思ってんだ。
すごい量だぞ、だって絞るんだから。
絞る場合は、オレンジジュースだって一杯分のためにたくさんのオレンジが必要だろ、あのイメージが一番近い。
失敗しか見えてこないのに、挑戦なんて絶対にできやしないぜ。
だから俺は、持ち合わせの材料でドゥガル様に食べてもらうわけだ。
彼が黙々と食べている。
口に合っただろうか。
親方もキャシーもおいしいと言ってくれたのだ。
でも、何物も万人受けする、何て言うのはありえない。
「……おいしいですか」
何も言ってくれないから、俺は問いかけるしかない。
一皿綺麗に食べきってしまったドゥガル様が、また幾分肉のついた顔で答える。
「いつもながら、リンの料理はすこぶる味がいい。この刺激的な感じは、今まで食べた香辛料の料理とはずいぶん違うな」
「無駄遣いしませんから」
「まあ、香辛料をたっぷり使った方が、高価な貴族的な料理だ、という認識が多いのは知っている。……ところで、あの話は考えたか」
「いろいろ考えましたが、まあ、見せて見て、付いて行けるようだったら教えますよ」
「そうしてもらおう。切り札が一つだけ、というのはいささか心もとないからな」
ドゥガル様が頷いてから、やけににやりとした顔で聞いてきた。
「そうだな、ゼブンとはうまくやっているか。余の所まで来る話だと、色々な段階を飛ばし過ぎていて信憑性がない。大体、ゼブンがお前を所かまわず襲っているとは何だ?」
俺はカレーのスパイスをちょっといじって作った、ツベ乳のスパイスティを鼻から出しそうになった。
すさまじい痛みだ。熱めだったせいで、その痛みが倍増である。
「ごふっ、く、つっ……! いきなり何を言い出すんですか、ドゥガル様!?」
「そこまで慌てふためくものがあるのか、お前」
「いきなり言われたら普通、びっくりしすぎて変な所に入りますよ……」
痛みをやり過ごし、俺は話題が終わるまで何も飲み食いするまいと決め、彼を見返す。
きらきらの青い目が、俺を面白そうに見ている。
やっぱり綺麗だなあ。
目の乱反射が、俺はすごく好きだ。
「襲われたりしていません。あれは必要に迫られているんです」
「必要に?」
「そうです。魔素の譲渡をしてもらって、どうにか体調不良を改善してもらっていたんですよ」
何で俺はここで、師匠をかばわなければならないのか。
襲われたと言ったら、ドゥガル様が何か師匠に厳しい罰を下すかもしれないからだ。
それの理由は簡単で、側妃を襲えば国王は、騎士を厳罰できるから、である。
師匠は良かれと思ってやっているのだ。そして俺はそのたびに、色々楽になるのだから庇う理由になるだろう。
「魔素の譲渡? ……お前と迅雷は、よほど体の相性がいいらしいな」
「そう言う事を言うのは、あなたで三人目ですよ」
「三人にも言われているのか」
「ええ。そんなに、魔素の譲渡は難しい事なんですか? 田舎者のせいなのか、基準が良く分からないのです」
日本じゃ魔素もくそもないからな。知らない事は多いんだ。
神様時代はそういうの、気にした事もなかったし。
俺の言葉を聞いて、俺の知識不足を哀れんだように見つめてくるドゥガル様が、言う。
「魔素の譲渡は、同じ属性でなければ死を覚悟しなければならない治療行為だ。属性が相反している物だった場合、わずかでも流し込めば即死する事もある。助かる場合も多いが、基本的に拒絶反応が出てしまう」
俺は血液型に似ている話だな、と思った。A型にB型の血液を入れたら、拒絶反応を起こして死ぬという話を思い出したのだ。
妊婦もそれはよくあって、旦那と違う血液型だったから、子供を母体の白血球が敵だと見なして、殺してしまう場合もあるのだと。
そうならないように、胎盤で様々な物がやり取りされているわけだが。
「だから、何度も何度も、繰り返し魔素を譲渡できる相手はよほど相性がいい場合が多い。……言い方を変えれば、運命の相手、と言われる事もあるほどだ」
「はあ」
「それゆえ、お前たちがいくら魔素の譲渡だと言っても、信じない輩の方が多いだろう? どこでもいつでも、譲渡を行える相手は早々いない。もしそうだとしたならば、お互いに何も思っていなくとも、他人は二人の関係が何にも勝る特別な物だと判断する」
そのせいか!? 話信じてくれた奴らは、結婚はいつだとか言い出すの?!
信じてない奴らは、いちゃつくな、見せつけるなっていうの?!
俺は頭を抱えて、机に突っ伏した。
「どちらに転んでも、私は人生積んでますね」
「そうだろうな。これほど目くらましを使い続けてよかった、という事もあるまい。側妃が騎士に所かまわず接吻されている、という悪評はないのだからな」
「私は、師匠に死んでほしくないですしね。ドゥガル様を不愉快にもしたくありませんし」
「いい心がけだな、リン」
頭を撫でてくる大きな肉付きのいい手。でも、一番太っていた時よりは細くなってる。
きっと、高度な目くらましを、恒常的にかけ続けているから、体の魔素がほどほどに使われているのだろう。
呼吸しているだけで、脂肪がわずかながら燃焼するように。
「二人そろって、色気が無いと言えども、もはやお前たちは公然のそう言う仲と見られているだろうな。ますます目くらましを続けなければならない」
「ご迷惑をおかけします……まさかそうなるとは……」
俺も師匠も思わなかった、と断言してもいいだろう。
あれは人命救助だったのだ。
「そうしなければ、お前が死んでいたと考えれば、余はゼブンを罰する事は出来ない。安心しろ」
慰めるように言われてしまい、俺はまたこの人に、借りができてしまったなと感じた。
「今回は、冬乞いを教えられるように頑張ります。まあ……多分に素質がものを言う世界なので、教えられるとは言い切れませんが」
「あれだけの物を見た後だと、それもまた真実だと信じるしかない。あれは冬の神の力を踊り手の体に流し込み、外側の世界に発動させるものだった」
「それは、どういう意味ですか?」
俺の頭の悪い質問に、国王陛下が息をつく。
「おそらく、冬の力に対しての抵抗力や、受け入れられるだけの素養がなければ、踊っても意味がない物だと分かる、と言っているのだ。以前お前が言ったようにな」
俺はあいまいに笑って誤魔化した。
あの、真冬の極限、と言ったような世界をドゥガル様に見せてしまったから、彼の考え方も変わったんだろう、と。




