魔素の譲渡
あー、あったけえ。
何年振りだっけ、こんな風に全部があったけえって。
ぶーちゃんは背中があったかいんだよな。
なんて思って目を覚ました途端、強い古い血の匂いがして、俺は一気に頭が覚醒した。
この状況どうなってんの。
最初に思ったのはそれだった。
俺の視界はあの、運ばれてきたのだろう天井を見ている。
でも体ががんじがらめに拘束されていて、動かない。
いいや、手足はじたばたと動く部分もある。
だから縄で縛られているって感じじゃないのは事実だ。
しかし体の大部分は動きやしない。
何なんだ、何なんだ!
と金縛りとも思えない奇妙な具合にわたわたしている俺。
わたわたしてから、血の匂いの出所を探り、鼻を鳴らして首を巡らせれば。
誰かの甲冑が目に映った。
血まみれの甲冑だ。
それも魔物の血がべったりとこびりついている。
出所はここか、ん、まて、この体勢は……と俺は記憶を手繰り、あ、と思い出した。
師匠だ。
師匠が俺をがっちりと抱え込んで眠り始めたのだ。
おーおー思い出してきた。
師匠……俺が起きて暴れてんのに起きないって、戦士としてどうなのよ。
「師匠、起きてくださいよ。体が動きません、わたし便所に行きたいです」
俺は真剣にそう言った。さっきから尿意がひどいんだ。
漏れる。真剣に漏れる。
これではこの年で不名誉なお漏らしをしてしまう。
それだけは断固として防がねばならない俺は、どうにか相手の関節を見極めて動かし、隙間を作って師匠の腕を脱出した。
そして大急ぎで、部屋に備え付けらしい便所に入った。
それはそうだろうな。ここが病室の一つなら、ここから患者が出て行かなくても排泄くらいはできるようにしておかにゃ。
出すものを出してほっとして、手を洗う。水差しの水で手を洗うんだから、しないよりはましくらいのレベルだが。
気分的にやるしかないのだ、俺は清潔が好きな日本人。
「あー、汗がべたべたする」
そらあれだけがっちり抱きかかえられてりゃ、汗もかくわな。
風呂入りたいが、風呂入る前に体力を回復しないと風呂でのぼせて倒れる道まっしぐら、と俺は判断した。
そしてそこまで思ってから、酷く空腹だと気付いてしまう。
「飯……」
俺は誰にも聞こえない声で呟いた。
誰か親切な人が、様子を見るがてら飯を持ってきてくれない物だろうか。
と思っていたその時だ。
「おい、ゼブン殿、飯持ってきたぞ、お前もそろそろ食わないともた……って、ちび! 起き上がれるのか!!」
扉を開けて入ってきたのは、見知った兵士の一人、アンソニーだった。
「どうもアンソニーさん、おはようございます。私にもご飯をください」
手を伸ばして、お盆の中身が欲しい欲しいと訴えてみる俺に、アンソニーはとりあえず座れ、と病室の脇のテーブルを示した。
そこの椅子に座れば、アンソニーはいくつかの食事を置いていく。
パンと肉と野菜だ。俺が作っていたものと大違いで、実にシンプルだが、きっと塩とお酢で食べるという感覚なのだろう。
更に水差しもあり、普通の食事としてはかなり良い物だった。
兵士の飯は、貧乏な平民よりもずっと豪華だ。
ひょろひょろの兵士何て勝てないものな。当たり前か。
五食も食う習慣がある国だし当然か、しかし今は何時くらいだろう、と思いながら、俺はぎゅるぎゅると空腹を主張する胃袋のまま、パンを口に運んだ。
よく噛んで食べる。しかし、だんだん腹をいっぱいにする方が大事になってきて、噛むのがおろそかになりつつある。
パンを一つ平らげて、水差しの水を飲む。
「よっぽど腹が減ってるんだな」
アンソニーが俺の早食いに、しみじみとした声で言う。
俺は黙って頭を上下に動かし、肯定する。
パンを二つめ、そして肉にも手を伸ばしたあたりでそれは突然起こった。
急に、すさまじく気持ちが悪くなり、胃袋が食べ物を拒否するような痛みが走ったのだ。
「っ……!!」
吐きだしそうになるものの、食べ物を吐きだすなんて出来っこない俺はぐっと耐えた。
「おい、ちび、大丈夫か!?」
気持ちが悪い、胃袋が痛い、苦しい、もったいない、吐けない!
頑として吐くまいとこらえていた辺りで、だ。
「馬鹿、さっさと吐け!」
いきなり桶を持たされて、がばりと口をこじ開けられた。
こじ開けられれば、後はリバースである。
食った物を全部吐きだす勢いで吐いてようやく、俺は師匠に口をこじ開けられた事と、桶を持たされた事に気付いた。
「師匠……」
「お前は馬鹿すぎる! 二週間も胃の中に何も入れていないくせに、いきなり普通の飯をがつがつ食ってどうするんだ!」
師匠が怒鳴り、俺の頭を思い切りひっぱたいた。理由あるひっぱたきの結果、俺は一瞬意識が飛びそうになった。
手加減してくれ、あんたの力だともしかしたら、首の骨が折れる!
「おいおいゼブン殿、そんな怒らなくったっていいだろう」
「前に見た事あんだよ。慢性的な空腹の貧乏人が、いきなり魔法の力を見出されて豪華な飯貪って、それでショック死したの」
「本当か?」
「餓鬼の頃な。……おい、ちび助! なんも食ってない胃袋に、いきなり飯なんて突っ込んだら胃袋ひっくり返って受け付けなくてショック死するわ! 考えろ! ……それともお前、そういう経験はない奴か」
「二週間も何も食べられないってのは、さすがになかったんで」
俺はいたたまれなくなってそう答えた。
すると師匠は息を吐きだし、俺の汚れた口元を自分の袖で拭って、こういった。
「覚えたな? お前はまず、重湯だのからだ。そんで、腹いっぱい何てのはしばらく厳禁だ、いいな」
「栄養が……」
重湯の生活なんてしてたら、訓練どころじゃないし、ふらっふらだろう。とてもあんたのスパルタについていけない、と思った時だ。
「まあしばらく、俺の監視の元での生活だ。お前馬鹿やりすぎる気配がある。それと、上向け」
「はい」
特に何も警戒する事なく、上にある師匠の顔を見上げた時だ。
師匠の顔が一気に迫り、俺の唇をくるむように師匠の口がぶつかった。
アンソニーががたんと椅子から落ちる音がした。
俺はびっくりしすぎて固まった。何してんだよあんた?!
殴ろうか、セクハラだと股間に一撃を入れるか、といくつかの反撃を考えたあたりで、口をこじ開けられて、何かが師匠から俺に入り込んできた。
多少は唾液もあるだろうが、それよりもっと濃い物だった。
味は何もしない。ただ、濃い。
そして、それが俺の中に入ってきた途端に、手足に血が行き交うようにじんわりじんわり、体が温かくなってきた。
俺にその濃い物をたんまりと入れた師匠が、俺の顔を掴み、顔色を確認する。
「よし、やっぱり拒否反応がねえな、相性がいいらしい」
「あの……何を」
訳が分からなさ過ぎて混乱してきた俺に、師匠が平然とした声で言った。
「俺の中にある魔素を、ある程度流し込んだ。魔素を流し込めば、多少は飯が足りなくても倒れりゃしないんだ」
「ゼブン殿!? あんた魔素の譲渡なんて真似ができたのかよ?!」
「出来るぜ。ただ、俺と相性のいい奴は滅多に居なくて、ちょっと入れるだけで昏倒させちまってばっかりだけどな」
アンソニーの言葉から、俺は魔素の譲渡はかなり珍しいのだと判断した。
俺を生かすためにやったのか。だが。
「もっとほかの譲渡の仕方、ないんですか」
口移しじゃなかったら駄目とか、何なんだよ。
真剣な問題に言えば、師匠は不思議そうな顔になった。
「これが一番練りやすいんだ。で、漏らさずに与えやすい」
反論の余地がないような言い方だった。
師匠は悪気が全然ない、だから俺は考えちゃいけない、と頭を振った。
栄養不足とカロリー不足の体は、ずいぶんとましになっていた。




