閑話休題 見えそうで見せない過去
お前な、とあきれ果てた声が近くから響き、俺は眉をひそめた。
お前と言われるのは、この場合俺とこの師匠と、どちらだろうと思ったのだ。
現在進行形で、酔っぱらった師匠の相手をしているのだが。
何か不手際でもあったんだろうか。
「お前な……いつぶりだよ、そんなゆるみきった顔で酔っぱらうの」
「師匠、ずっと度数の強いお酒を飲んでいましたからね」
俺の言葉に、その辺の兵士らしき人間が笑う。
いいや、階級的にはとても高いのかもしれない。
何て言ったって服装が立派だ。
この世界はとても簡単に、見た目だけで階級が分かるような感じがある。
平民の服装、貴族の服装、王族の服装、特殊業の服装。
余りにもわかりやすすぎるから、俺はこれでねつ造とか詐欺梳かされたら、すぐに引っかかるんだろうな、と思う時がある。
「あははははぁぁっ!」
俺の脇では、師匠がゲラゲラとしょうもない顔をして笑っている。
笑いながら、俺に全体重をかけたように覆いかぶさっている。
俺はさりげなく、隣のジョッキを片付けてほしいと給仕の女性に視線を送った。
そして、見た目だけでは子供の俺の、正しい願いをくみ取ってくれた彼女が、師匠のジョッキを下げてくれる。
「なんだよぉ、俺の酒じゃねえか」
「からっぽでしたから、下げましたよ、あんなもの割られたら大変ですよ」
「わらねえよう」
ひらがなばかりの言動で何をおっしゃるのだか、と俺は肩をすくめる。
師匠は酒に酔いつぶれているのに、俺には酔っていないという。完璧な酔っ払いの言い分だ。
「……まったく、何年振りだ、お前が下町でこうして、酒を飲んで笑っているのは」
兵士……騎士階級の人だろうか、先ほど声をかけてきた人が呟く。
それから、並んで座る俺と師匠を眺め、さらにその師匠が俺になついた調子で引っ付いているのに、なんとも言えない顔をする。
師匠は普段から結構、陽気なタイプだ。
もしかしたら、お酒が入ると人格が豹変するタイプなのかもしれない。
どうなんだろう、そこのところは。
と、ちらりと思ってから師匠を見やる。
ぱちん、と酔って濁った眼と俺の目がぶつかる。
そのままどろどろ、と師匠の目が蕩けて、にいと笑った。
笑って、俺の頭につむじのあたりに、自分の顔だか頭をこすりつける。
おい、何してんだ。
と突っ込みかける俺であるが、それを気にしないのが師匠の性格だ。
そして俺自身も、そこまで気にする事もないかな、と後から思ったりする。
「何年振りかわからないな、お前が前後不覚に酔いつぶれて、そうしているのは」
「あの、あなたは師匠の知り合いなのですか」
俺はここで問いかけた。気になったのだ。師匠の知り合いらしき男の人、騎士階級の人、この人は一体何なのだろうか、と。
俺の疑問をくみ取ってくれたらしい。
彼がこっちをちゃんと見て、頷いた。
「すまないね、自己紹介もまだだった。坊やがあまりにもゼブンと仲良さそうだったから、知っているかと思ってしまったよ」
「いえ、一方的になつかれているみたいなものです」
俺のこのセリフに、彼が噴出した。笑う場所があったようだ。
どこにあっただろう、と俺は思ったのだが、いちいちそれに目くじらを立てても意味がない。
「なつく、か」
騎士もたくさん笑った後に、こう言った。
「わたしは、ユールヒェン・ブラックロード。名前の通り、平民から騎士になりあがったんだ」
「ブラックロード」
俺はそう言われて、大通りの一つがブラックロードという名前だったと思い出した。
この国の通りの名前は七色なのだ。
赤青白黒。それから黄色と緑と紫と。その七色だ。
ちなみに俺のねつ造された姓も、その通りの名前から来ていて、たしかイエローロードだったような気がする。
久保田なんて珍しいどころか、聞いた事もないような姓は俺の正体をばれさせてしまう。
平民は基本的に、姓を必要とする場合は自分の住んでいる通りから、一番近い大通りの名前を姓とするのだ。
「そうだったんですね」
「そう。……ああ、やっぱり」
俺がもう少し、ユールヒェンの話を聞こうと思い、会話を続ける言葉を探した時だ。
ぐい、と体が少し傾いて、俺は師匠とさらに密着していた。
背中になついていたはずの師匠が、俺を抱え込んでいたのだ。
俺はまた酔いが回ったな、と対して気にしなかった。
そして、俺が気にしていないからか、ユールヒェンも一瞬目を見張った後、言葉を続けた。
「そこのゼブンとは、訓練生時代からの知り合いなのさ。その頃から、そこの騎士の技量は並外れていたけれどね」
「そうなんですか」
俺はそこらあたりから、師匠のプライドの高さの理由はそこか、と思った。
ずっと負けなしだったのならば、俺みたいなやつにいきなり圧倒されてしまうと、認めがたいだろう。
それに、以前言っていた、俺に負けたからあちこちから嫌味を言われる、というのも腹立たしくもなろう。
負けた事のない男の、数少ない敗北の相手が、こんなやつとか、結構来るものがあろうとも。
俺は少しだけ、師匠が俺を逆恨みしていた事を許す事にした。
まあ、負けて人間の器がでっかくなれば、良いんじゃないか。
「本当に、強くて」
ユールヒェンは遠い目をする。その目の中にいるのは遠い日の師匠なのだろう。
「貴族令嬢たちのあこがれの的だったんだ。でも、本人はえらく一途でね、婚約者一人に心を決めていた」
「え、師匠は婚約者がいたんですか」
「ああ、いたんだ」
「縁談が破談に?」
「いいや」
ユールヒェンが目を瞬かせてから、静かに言った。
「死んでしまった。……殺されてしまったのさ。隣国の王族に」
言葉が重すぎて、俺は息がつまりそうになった。ユールヒェンの気配がそうだったせいだ。
俺は更に中身を聞こうとして、口を開こうとした。
だが。
「ユール……しゃべんじゃ、ねえよ」
師匠がさっきの、蕩けた顔とは全く想像ができない、地鳴りの低さの声で彼を脅した。
「あれは事故だった。不幸な事故だ」
師匠の中の、よどんだ物がそこでごぷりと表面に出てくる。
「てめえの憶測を、ちびに言うな。ちびが誤解する」
言った師匠が、俺をちらりと見て、ぐいと俺の顎を掴む。
つかんで顔を上にあげさせる。
「し……」
俺の言葉は途切れた。こめかみに唇が当たったのだ。
それを見たユールヒェンの手から、グラスが滑り落ちたくらいには、びっくりする事だったらしく。
「ちび、お前は俺のでしなんだろー。俺の面倒見てろー」
そんな事をした師匠は、また俺を蕩けた顔で見て、ぐりぐりと俺に頭をこすりつけた。
「あー……この人どんだけ酔っぱらってんですか」
俺はもはや、人間型引っ付き虫となり果てた師匠の頭を軽くなでて、ユールヒェンに問いかけた。
「……いや、もう何も言うまい」
話しかけてきたのは彼の方だというのに、彼は何も言えない顔をして、邪魔をしてすまないね、と謝ってきた。
邪魔ってなんの邪魔なのか。
しかし。
俺は時計を見やり、師匠をそのまま背中になつかせて、立ち上がった。
「ほら、もう閉門の時間近いですよ、城に部屋があるあなたが、そこら辺のゴミ捨て場で寝るとかいろいろ、台無しですから帰りますよ」
「おー」
俺は師匠の財布を俺の懐から取り出すと、飲み食いした代金を支払い、そのまま師匠を引きずって酒場を後にした。
「みせつけてんじゃねーよー!」
どっかの酔っぱらいたちが、陽気にそんな事を言っていた。




