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首に縄が付くような

不思議なくらいに、師匠は目ざといようだ。そのせいで俺は、今現在どうやって離宮に戻るかを思案している。

いや、真面目に夕飯の支度を何日もしていないから、駄目にした食材を始末する事を考えなきゃいけないのだ。

ディ・ケーニさんが腐ったものくらいは処分してくれただろうが、それでも自分でやるのとやらないのとでは大違い。

俺じゃなかったら分からない物、だってあそこにはきっとあるのだ。

掃除用の新しいラベンダー水とか。

それに何日も何日もほうったらかしにしていたら、きっとドゥガル様の食生活も不健康な物に戻っている。

数日の不摂生は、その後に何日も響くものなのだ。

俺は知らないけれども、中学時代の女の子たちのダイエット情報ですらそうなのだから、間違いないと思う。

不健康な生活をしていたら、体に悪くて長生きできなくて、何より見た目がよろしくない。

いつぞやのアメリカだのじゃないのだから、肥りに肥った樽の体は、ここでもみっともない物の一つなのだ。

その胴回りの改善のために、俺がどれだけ努力をしたと思っているのだ……

しかし、師匠は俺から片時も目を離さない調子で、俺はトイレの中でも倒れると思われていそうなのだ。

二週間も風呂にも入っていない体の匂いが気になって仕方がないのに、風呂に入るのも危険だ。

……いや、男だと思われているから、一緒に入れと言われるのも想定済みではある。

しかしさすがの俺だって、いくら男に見えているからと言って師匠と風呂に入るのは……たぶんできないと思う。

大した厚みもない胸だし、腰に肉もないし、たぶん腰回りを布で隠せば誤魔化し続けられるとは思う。

決して自虐的なネタじゃなしに、事実として。

そして俺は、裸を見られても大して気にならない。

見られて恥ずかしいのは、羞恥心のためであり、それがどこから培われるかというと、普段の生活環境や自分の性別の感覚の結果だ。

俺はよくおばあ様と銭湯に行った。というのもおばあ様の家の風呂は狭くて腰が悪くなるから、おばあ様が嫌がったのだ。

足腰を弱らせないためといいながら、おばあ様はいろんな人が集まる銭湯が好きだった。

俺はそのお供をしていた。

だから女の人相手に裸になるのには、何にも抵抗がない。銭湯なんて隠すためのタオルが禁止の場所ばかりなのだから。

そして、銭湯ではよく半裸の男たちがたむろしていた。

あれはきっと、湯上りで暑かったからだろう。そこで牛乳をグイっとやる人達は日常だった。

そんなだから俺は、男の裸を見たって大してどうこう思わない。

更に言ってしまえば、前世が実に微妙な性別でその当時の意識も強い俺は、自分の裸を相手に視られてもどうでもいい。

俺の側には大して問題がない物なのだが。

だがしかし、とここで問題が発生するのだ。

師匠がもしも、途中で女だって気が付いたらどうすんのさ。

この師匠はかなり女の人に対する考え方が、紳士的だ。酒場の綺麗なお姉ちゃん相手にも、酔っぱらいまくっても無理な事は言わないし、場合によっては無体な事をされかけている娼館のお姉様を助ける事すらあるくらいなのだ。

そんな人が、俺を男だと思って風呂に入って、途中で女だって気が付いたらどうなんの。

すごく自分を責めたりしないだろうか。

そして俺に、どうして黙っていたのかと問いかけやしないだろうか。

そこで面倒くさいからと返したら、この人は自分が全く信用されていなかったのだと、思うだろう。

別にそうでもないんだけれど、きっとそう思うだろうな、と俺の前で食事をしている相手を見やる。

ちなみに俺の服の襟のあたりを、がっちり片手で握っていて、俺がうかつに立ち上がる事もできやしない状態だ。

周りは苦笑い状態だ。


「いい加減に離してくださいよ」


「そのへんでくたばられたら困るだろう」


「そう簡単にくたばりませんよ」


「疑わしい」


俺の主張は一刀両断されてしまう。どれだけこの人俺が倒れるのが怖いのだ。


「倒れて頭でも打ってみろ、ただでさえ死にかけまっしぐらだった奴だ、死神がお迎えに来てしまうだろう」


「死神は面倒くさがりで、常日頃から仕事を減らしたいとぼやいているものではないでしょうか」


「馬鹿野郎、死神ほど働き者の神は存在しないと言われているんだ! ちょっとでも隙を見せればすぐさま魂を救いとる蟲取り網を持って魂をさらわれてしまう」


その言葉にまた俺は、何も言えやしないで座るばかりだ。


「ゼブン殿、ちびもいつまでも首根っこを掴まれていたら苦しいんじゃ」


「離した途端にどこかに行かれるだろう」


「そんな迷子の子犬になる事、ちびがしたりしないでしょう。なあ、ちび」


「そうですよ、大体私、今とても自分が臭くて辟易しているんです」


魔物の体液を被ったままぶっ倒れていた俺は、そのせいだろうか、頭がかゆくて仕方がないのだ。

不衛生な頭に巣くう、シラミがたかっていない事を心底祈りたい。

この世界に、シラミを殺すシャンプーなんてないだろう。


「そして頭がかゆくて仕方がないから、全身くまなく丸洗いをしたいんです」


師匠がそれを聞いて、ぴたっと止まった。


「そんなにか?」


「そうですよ」


俺は師匠をじっと見やった。じーーーー。である。これはぶーちゃんに必殺技だが、俺ができないわけでもないのだ。


「丸洗いしてやろう」


「五歳の子供じゃないので結構です」


「風呂の中で倒れたらどうするんだ」


これじゃあ堂々巡りだし、いつまでたっても話の着地点は見えてこないだろう。

俺は視線をそらさず、さらに相手の目から目を離さずにこう言った。


「こんな貧相な体を師匠みたいな立派な体の人にお見せするのがとても心苦しいです」


「それはそうだ!」


俺の言葉は周囲の兵士の兄ちゃんたちの笑いのツボに、見事なほどにはまったようだ。

どっと笑い声が響き渡り、師匠が目を細めた。


「そんなにか」


「ゼブン! ここは脱衣所あたりで見張っている事にして手を打った方がいいって。あんたも覚えがあるだろう、親兄弟に裸を見られたくない年頃」


「確かにそんな時代もあったけどな」


「ちびはおませな事に、そこの年齢に差し掛かっているんだろ。もう少し背丈が伸びて体に筋肉がついて、自分の体がみっともなくないと思ったら背中を流してもらえるぞ」


「なんだその、俺がちび助に背中を流してもらいたがっているような言い方は」


「まあまあ」


眉間にしわが寄った師匠であるが、俺に顔を近寄せて、首筋に鼻を突っ込んだ。

いきなりの事に周囲もぎょっとしたのだが、師匠はああ、と納得した調子でこういった。


「確かに、腐った魔物の体液の匂いで……」


臭いな、と言ったあたりで俺は、勝利のような物を確信した。





色々と言いあった結果、俺は臨時の風呂という物を用意してもらう事になった。

臨時の風呂と言っても、割と下々で一般的な風呂だそうだ。

湯船にお湯をためるほどの、薪がもったいない世界での風呂だとか。

そこで俺はキャシーの家がぼろだが、風呂もちゃんとある高級なおうちだった事を知ってしまった。

親方の前のおうちも、立派な住居だった事も。

あの二人の家にお風呂が作り付けで存在していたのは、彼らがお金持ちだったからだ。

薪の代金をけちらなくても問題のない稼ぎと、住人数だったのだろう。


「お前はこういう風呂を見た事が無いらしいな」


「お水にも薪にも困らない環境で、それに大衆浴場という物がある地域だったので」


俺が物珍しい調子で、でかいたらいと、お湯を入れたやかんに洗面器を見ていれば、師匠がこっちの表情を見て言ってくる。

それに嘘は言わないで返し見てれば、そうかと答え返された。


「衝立の向こうにいるからな。お前の調子がおかしいと思ったらすぐに、衝立の向こうからこっちに来るからな」


再三の念押しは師匠の中で俺が、直ぐにぶっ倒れる危険な状態の癖に、風呂という体力を消耗する物に入りたがる困ったちゃんの様だった。

臭いってあんたも認めただろうがよ、とは突っ込まなかった。

師匠が衝立の向こうに隠れてから、俺は豪快に服を脱ぎ散らかし、丸裸になってたらいのお湯に浸かった。

と言っても深さはきりが知れているから、下半身位しか浸かれない。

でも十分なので、手早く体を清める。頭まで入念に洗えば、たらいのお湯は汚れきった。

そこで俺は最後にやかんに残ったお湯を頭からかぶり、新たな着替えを着て烏の行水よろしく風呂を終わらせた。

しかし風呂にきっちりと入ったという事実は、俺に余裕を持たせる。

とてもすっきりとしたし、血の匂いは漂わないからとても満足だ。


「師匠、お風呂頂きました」


出た事を声に出して示すと、師匠は俺につかつかと近寄り、俺をまじまじと眺めた。


「顔色はましだな」


風呂に入ったらそこで寝てろ、俺も風呂場に行ってくると言った師匠が、師匠のであろう寝台を示す。


「しっかり匂いまで落としてきた方がいいですよ、あなたもだいぶ臭い」


女の人から倦厭されてしまうからな、と内心で思っていれば、その心を知っているのか知らないのか。

師匠は俺の頭をぽんぽんと軽く叩いて、俺が布団の中に入るのまで確認してから、出て行った。

師匠の寝台は、誰かお城の召使が手入れをしているのだろう。

日向の匂いがふわふわとしている、清潔なリネンの布団だった。

そこの手触りを楽しみながら、俺は窓の外の月を見ていた。

考えてしまう事は、いくらでも存在するのだ。

持っていた力を、利用できない今の俺。

それを使えば、壊れてしまうほど弱い肉体。

武神だった前世なんて、今の人間の弱い体では有効に使えないのだ。

踊りですら、本気で踊れば意識が持たないらしいのだ。

何回か踊った結果、そう判断するのだけれども。

冬の力はとても必要な状態の世界なのに、俺はそれらを手足の様には使えないのだろう。


「……なんでだろう」


ぼやくように呟いた。


「やっぱり人間だからかな」


よく物語の中で、神々の力を手に入れる人間が出て来るけれども。

最強の力を手に入れる人間が出て来るけれども。

その力に耐えうる肉体を持たなければ、意味などない物で。

肉体が耐えうる程度の力はやはり、最強でも何でもない、そこら辺の力なのだ。

そう考えると、喉の奥がひりひりと痛む様な気がした。

咒言を唱えた喉の奥が、また凍えるような変な感じもした。

ぐるぐると考え事をしていると、相当時間がたったらしい。

扉が開いて、師匠の気配が入ってきたのだ。


「まだ目が開いているのか、宵っ張り」


「考え事が重なっているんですよ」


それと喉が痛い。


小さく言ったその言葉で、ぎしりと寝台が軋んだのは、師匠が俺に覆いかぶさってきたからだ。


「口を開けろ」


命令形は絶対の形をしていて、嫌だと言えばあごの骨を砕くだけの握力であごを掴まれている以上、言う事を聞くしかない。

そんな状態で口をぴったりと包むように包まれて、流し込まれた魔素だろう物は、俺の喉の痛みや冷たさを軽減させた。


「……」


俺は薄眼を開けて、師匠が俺に魔素を流す時の表情を見ていた。

閉じられた両目は、なんだかとても神聖な儀式をしているような感じがして、見た目だけは何をしても三重丸なのだろうな、と評価してもいい気がした。

口が離れると、師匠はそのまま俺が入っている寝台に入り込み、俺を抱え込んで眠る体勢に入ってしまった。

強制的に心拍数を聞かされている俺は、その間にも聞こえてくる血管の中を血が流れる音が、海の音みたいで眠くなってきた。

そしてそのまま、俺も眠ってしまった。


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