面倒事は過去からやってくる
最初に何を作ろうか。俺は真剣に悩んだ。この晴れがましい初作業にふさわしいのは何なのか。
やっぱりカレーだ。俺が一番食べたいものがいい。
スパイスの種類が少なめでもおいしい、インド系のカレーがいい。
それでもって、こってりがいいとなれば、そりゃあもう何を作るかは決定してしまう。
「バターチキンカレー」
俺はその料理の名前を呟き、材料を手に入れるために厨房とか倉庫に行く道を探す事にした。
普通離宮とかには食材とかを用意してくれる、ご意見聞きがいるらしいのだが、俺の所にそんな人が来た事は、一度もないのである。
一度もないのならば、これから頼む事になるだろうそのご意見聞きの人と、友好な関係を築くためにも、一回は会いたい。
そんな風に考え、俺はそっちへ向かっていた。
道が分からないっていう問題は、すぐさまディ・ケーニさんが解消してくれた。
あらゆるところに、採光のための鏡がかけられているこの王城は、テンカ様の瘴気という、それだけを制御するので手一杯な物がなくなった彼女にとってすぐに縄張りのような物になったそうだ。
「スズ、こっちだよ」
俺が道に迷いそうになると、彼女が近くの小さな鏡から、俺にしか聞こえないような音量で道を知らせてくれる。
第八位のカルミナ・スペクルにとってこの王城で、見聞きできない物はないらしい。
悪い事はするもんじゃないな、と思ったのは内緒だけど、おかげで俺は大助かりだ。
そんな彼女の手伝いを受けて、俺はご意見聞きがいる場所を目指していた、わけなんだが。
「このちび! こんな所まで入り込んでいたのか!」
いきなり俺は、敵意を感じさせる男に腕を掴まれていた。
ちょっとしたミスだった。周囲の装飾に目を奪われていたせいだ。
そして俺とした事が、あたりに気を張っていなかったせいだ。
日本で生ぬるい生活をしていた結果だ、畜生。
前世だったら絶対にこんな真似は許さなかったってのに。
俺は内心で自分に怒鳴りながら、相手を見やった。
……見覚えがなかった。誰だこいつ。
俺はまじまじとその男を見つめた。悲しいほどに見覚えがないのだ。しかし相手には見覚えがあるらしくって、その分厄介な気がした。
とっさの判断で口を開かない事にしたのは、誰ですかなんて言ったらそれだけで、相手の不愉快な物を増長させると感じたからだ。
「この薄汚い厨房の小僧が!」
相手は顔いっぱいに、何故だか憎悪を浮かべていた。それも長い事熟成させた憎悪の顔だ。
だからあんた誰なんだよ、と言いたいが、言えない。
言えない分黙って相手を見つめていたら、相手は俺を掴んで引きずるように歩きだした。
「何をするんですか」
いてえんだよ! 俺の事まっとうな力加減でつかめるのがドゥガル様だけってどんだけなんだよ! 誰だか知らないけどあんたも力強すぎだろ! 骨が折れる!
心の中で盛大に罵ってやるが、口には出さない。痛いなんて言ったら弱みみたいに思われる気がしたせいだった。
「お前のせいで俺はさんざん同僚に侮辱された……」
俺が何をしたんだよ! 身に覚えがねえよ!
「人違いではないでしょうか」
真剣にそう問いかけると、男は俺を憎々しげに睨み付けてきた。
「そんな得体のしれない死肉食いの大烏のような、汚らしい黒髪がそうそういてたまるものか。泥で染まったような肌色の人間が何人もいるものか」
おい、思いっきり侮辱してんなよ。俺の髪は烏の濡れ羽色で、肌色は小麦肌っていうんだよ!
どっかで東南アジア系の遺伝子が入っているから、それが表に出てきただけだ! そんな徹底的に酷い物言いみたいな言い方される色じゃねえ!
ぶん殴ってやろうか、とさすがに思った俺だけれども。
そいつが吐き捨てるように言った言葉に、記憶が微妙に動かされた。
「貴様が訳の分からない、玩具のような刃物で俺の剣を弾き飛ばしたせいだ。どうせその力も技能もない手足だ、何かしらの妖術を使ったに違いない」
……俺はこの世界でたった一回だけ、折り畳みナイフで剣を弾き飛ばした事があった。
そうだあれは、もう数か月前になるけれども。
親方に拾われたばっかりの頃、どっかの部隊が魔物討伐から帰ってきて、宴会みたいになっていたあの日だ。
俺はワインをかけられて、侮辱されて、ちょっと反撃をして、そして相手が逆切れしてきて切りかかってきたから、折り畳みナイフでその剣を受け止めて弾き飛ばした。
その後ナイフを頸動脈に突き付けて、忠告をした。
そう言う記憶を引っ張り出して、その男を見れば。
たしか迅雷のゼブンとか呼ばれていた、いけ好かない男の顔とこいつの顔が一致した。
「おかげで俺は、三か月も部隊の笑われ者になった! この屈辱は貴様にはわからない物だろう……」
あんたのあれこれが問題だったんだろうが、馬鹿野郎。
あきれ果てていれば、いつの間にやら俺は訓練場に引っ張り込まれていたらしい。
なんだか結構な人数が訓練していたから、そうやって判断したわけだが。
誰もが怪訝な顔をしているけれども、憤激にそまったこいつの表情に何も突っ込まない。
地雷を踏みたくないと言わんばかりに。
そいつは俺を地面に叩きつけるように手を離し、怒りに任せた声で言う。
「俺は騎士だ。ただ子供をいたぶる趣味はない。……武器をとり、俺と決闘をしろ。できないのならば這いつくばり、謝罪をしろ」
こいつのプライドらしきものが、無駄に高くてそしてこれが基本的な、貴族の感覚なのだろうな、とうっすら察してしまった。
というのも、誰もがこの男の言葉や行動を止めないからだ。
きっと貴族が一般市民に侮辱されたら、問答無用で切り殺されるか、何なのかなのだろう。
その分、抵抗もしくは謝罪の余地があるだけ、温情、みたいな空気が流れているわけだ。
そして誰も止めてくれない。
止めろよ、俺みたいな奴をいたぶって決闘だなんて、どうなんだよ。
俺は見た目的に言ったら弱者だろ。はなはだ不本意なのだが。
俺はちらりと考えた。視線を若干斜めに飛ばして、考えた。
謝るか、武器をとるか。
……謝る? 冗談じゃねえよ。先に仕掛けてきたのも、ワインをぶちまけてきて笑いものにしてきたのもお前だろう。
俺が謝る理由がどこにある。理不尽だ。
絶対に謝らねえ。と俺は思った。ここでみっともなく這いつくばり、謝罪をした方が怪我もしないし死にかけたりはしないだろう、と分かっていても。
謝る理由がどこにもないのに、俺は謝れない。
だから俺は、静かに目を持ち上げて、言い放った。
「武器を選ばせてください。それ位はいいでしょう? まさか持てもしない重さの武器を与えて、嬲るのですか?」
俺の言葉に、周囲は静かになった。男の顔が歪んだのは、俺が抵抗の意思を見せたからだろう。
勝つ見込みがなくとも、牙をむくというのが癪に障ったに違いない。
「プライドだけは高いのか、そこらにいる平民のくせに」
吐き捨てる調子で言う男。男が顎をしゃくって、訓練用の刃を潰した武器を見せる。
「俺は寛大だ、謝ってしまえば許してやるものを」
殴ってやろうかと真剣に考えた。この頭鳥頭を超えて忘れっぽいんじゃなかろうか。
先に失礼な事をしたのはどっちだよ。
何も言わないで、俺は長柄の斧を掴んだ。
というのも、訓練用の武器の中に折り畳みナイフと同じ長さの、刃物が一本もなかったからだ。
そこでなんで、普通の剣じゃないのかっていう疑問が生じると思う。
答えは簡単だ。
リーチの差は、勝敗の差を決める事も多いのだ。
リーチが長い分、相手との接近戦にはならないから、相手の武器が体に当たる事が少ない。
そして遠心力だのなんだのを使うと、力以上の物を相手に加えられる。
だから長い武器の方が、実はとても有利なんだ。
さらにこの斧の重さが、俺にちょうどいい。
軽く二三回振ってみて、重さの感覚を確かめる。
この体で暴れた事はないけれど、やってみるぜ。
男は俺が長柄斧を選んだ当りで、なんだか馬鹿にしたような顔になった。
「はっ。決闘に神聖な剣を使わないあたりで育ちの悪さが知れる」
そんな言い分知らねえ、と思いながら、俺は長柄斧を持って男と向き合った。
武器を持って向き合って、そして決闘は始まる。
周囲は降ってわいた娯楽に、期待している。
この場合は俺が血まみれで転がるのを、期待しているのだろう。
悪趣味な事だ。
こういう所に、人間が残酷な事を好む野蛮な習性を感じる。
止める良識的な人間がいないのも、な。
これは大々的に、こいつらの性根を叩きなおすべきだ。
……どうも、衣装の高価そうな感じとか鎧とかから、こいつらが一般市民出身じゃない、お貴族様出身系の匂いも、感じるからな。
誰かが開始の合図を告げる。
俺はだらりと武器を持つ手を下し、目を伏せた。
静かに、呼吸だけを意識する。
「怖気づいたか、さっさと謝ってしまえばいいものを」
男が言う。そして距離を詰めてくるのが、足音でわかる。
それと気配から、どういう風に武器を構えて、振り上げて、降ろそうとしているのかも。
甘いし馬鹿だし三下だ。
足の歩幅から隙が見える。
呼吸法から、感情が読める。
速度は割合速いのだろうが、甘すぎるとしか言いようのない物が感じ取れる。
気配が一気に近付いた。
俺はそこで目を開くと同時に、軽く左に足を踏み出し、男の剣の軌道から外れた。それと同時にがら空きの胴体に、長柄の石突をぶち込む。
反射的かつ何も考えないでぶち込んだ石突は、俺が意識して攻撃する以上の力で胴体に叩き込まれる。
「ぐぅ……っ!」
胴体の武具はそこまでしっかりしたものじゃ、なかったらしい。
男がうめく。
だけどな、俺の方が武器当たったら死ぬんだわ。武具なんて何も身に着けてないからな?
俺はその、間合いのようなかなり近い距離に立つ。目を伏せる。
男のかかとが回転して、俺に向き合いまた切りかかろうとする。
あのなあ、あんた本当に、攻撃が甘いんだよ。舐めてんのかってくらい甘いんだよ。
目を開く。その一瞬で剣との距離を目算、軽いバックステップで回避。
「なにっ……!!」
上段切り、横なぎに迫り、足を狙って放つ。そして突き出される切っ先。
俺はどれもを、最低限の動きで躱していく。
こんな事が出来るのは、相手の腕が悪いから。
相手の息が切れてくる。スタミナが足りないな、とあきれてしまう。だって俺は息一つ切らしていないのだ。
俺はまた目を伏せる。
きっと次当りで、相手はへばる。
でも、負けを認めさせなかったらしつこくして来るのは伝わってくる。
目を伏せてさらに、俺は視界を遮断した。
視界は人間の感覚の中でも大部分を占めているものだ。
これを遮断するのは危ない事だが、俺にはちゃんと理由がある。
剣が動くのを見ていたら、俺という魂はともかく、肉体が本能的に慣れていない暴力への恐怖で固まってしまうからだ。
決定的な一瞬にだけ視界を開き、暴力的に迫るあれこれを瞬間で判断して回避する。
恐怖にすくむ余地をなくすのが、狙いなのだ。
迫る切っ先。後数秒、……今だ!
俺は目を極大に開く。切っ先が俺を貫こうとしている、と思っている間に無意識に手は動き、男の剣をしたたかに打ち据えて、いた。
無意識の動作は、意識を持っている状態で、こう動こうああ動こう、と思って動く力の何倍もの威力を持つ。
ほら、舌噛むだろ。その時すごく痛いだろ。無意識の力はそういう、加減を知らない力なんだよ。
それゆえ剣が音を立てて飛び上がり、俺はその瞬間に相手を長柄の大斧で打ちのめした。
刃を潰したと言っても斧の重さがある。
そして遠心力だか何だかで、勢いも強さも跳ね上がったそれは、単純に剣でぶつかり合うのとは比べ物にならない威力で、男の胸のあたりを強打する。
男が白目をむいた。それと同時にぐらりと体が倒れて、そのまま起き上がらない。
「……」
俺は周囲を見回した。そこでようやく、周囲の音を認識するようになった。
誰もがざわめき、そして……少しばかり俺を恐れるような眼になっていた。
だろうな、こんなちび助が大の男を倒してしまったんだから。
後でドゥガル様に報告しなきゃならない。対策を考えなくちゃいけないのだ。
俺は長柄斧を持と会った場所に戻し、そのまま呆気にとられている男たちを無視して訓練場を、後にした。




