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呼び名と仮定形の未来

「名前を覚えたのならば」


何が楽しいのやら、国王が俺を見ながらいい始める。


「これからはまともに名前で呼べ」


「陛下を……ですか?」


さすがの俺でもその非常識さ、位は分かった。

誰でも陛下と呼ぶ相手を、名前で呼んでしまうっていう物の重要性くらいは感じる物があるんだ。

結構真面目に聞いたのだ。

ほら、もしかしたら何かしらの……呼び方の基準があるかもしれないだろう?

なんかどっかで聞いた事あるんだよ。

目上の人の呼び方が、身分によって違うとかいう地方の話。

どこだったっけな……

ぜんっぜん覚えてねえんだけど、そんな事を聞いたのだけは覚えてっから、うん、聞いてみた。

この言葉を聞いて、国王が俺をじっと見つめてきた。

俺は訳もなくドギマギとする。その目のせいだ。

この目があまりにも青いせいで、なんだか心臓がおかしくなる。

ほんと俺は、あれだあれ。

趣味が悪い……としか言いようがない。

主に男の趣味が悪いのだろうがしかし、人間いろんな趣味があるから仕方がない。

そして日本では目覚めなかった男の趣味だから、うん。

いまさら感が俺の中で漂っている。

見た目で人を好きになるのが基本、らしいのに俺は見た目じゃない場所で気にいってしまったのだろう。

全く……

なんて言う風に思考回路を飛ばしていると、国王が目を瞬かせた。

ああ、青しかない万華鏡を眺めているような眼をしている。

この人こんなに目がきれいなのに、豚なんだよな……

まあ豚だって健康的な生活をしていれば、しっかり腹も締まっていて、見事な体なんだ。

豚がぶよぶよなのは、人間がたっぷりと餌をやって、運動もあまりさせない狭い空間で飼育しているからだ。

猪見てみろ、見事なフォルムだぞ……なんてな。


「呼び方か?」


面白がる口調に、俺が首肯すると彼はしばし首を傾けてから、いい事を思い付いたという表情をとった。


「ええ、陛下は国王陛下なのですから、それに見合った名前で呼ぶべきでしょう?」


「陛下、国王、それ以外で呼べば気にならん」


しかし陛下は、俺の気遣いを気にしていない。


「何故そういうのか、わかるか」


「いいえ、あまり頭がいい方ではないので……」


「あれだけ余相手に言葉を並べる人間が、頭が悪いというのもおかしな話だが、頭の回転がいいだけなのか、知識が足りないのか」


俺はそんなに頭の回転、よくないと思いますがね、と内心で思っていれば、国王が言う。


「余は必ず、スズを置いて死ぬ」


突然言われた重たい言葉に、俺は何もいえなかった。

言えないまま相手を見ていると、言葉を続けられた。


「スズの力は、強大なものだ。甚大と言っても過言ではない」


「そんなにも……?」


いいながら、それはそうだろうな、とどこかで理解している俺がいた。

だって、さ。

冬を乞う力は、普通の人間がやれる事、ではないだろうからだ。

キャシーが言っていた。神降ろしの巫女すらいなくなってしまったこの世界。神の力を地上に降ろす事ができる人間が存在しない今、ただの神の力ではない、神を超えた物の力を顕現させる事ができる能力。

それは、とても恐ろしいものだと今更思い至ったのだ。

この男の言葉がはっきりとそう言ったから、俺は目を背けていた事を気付かされている。

大した力じゃないとか、俺が重要じゃないだろうとか、価値がないとか。

思いこもうとしていたけど、そう。

俺の冬の絶対浄化を喚ぶ祈りのような物、は他者から見れば恐ろしいなんてものじゃない。

甚大という言葉は、あまり良い意味での強さを表す言葉じゃない。

国王がそうやって形容するだけの物が、あった。


「お前一人で、大陸を巻き込む大戦争が行われてもおかしな事では、ない」


何も言えない俺がいた。


「瘴気があらゆる土地を侵しているこの春の大陸で、それを消しとばすどころか魔物すら跡形もなく、消滅させてしまう踊り子。どの国も地域も喉から手がでるほど欲するだろう。お前を手に入れるために、救いがたい争いは起きる事くらい目に見えている」


まざまざとそれを思い描けると言わんばかりの国王が。俺を見て言う。


「……その争いの中で、余が死なない保証はない。争いが起こらなかったとしても、寿命を考えれば簡単に、余がお前を置いていくのは想像がつく」


どちらにしても置いて死ぬと言った国王が、続けた。


「その時に、スズの中で余のみが国王と言う認識ではならない」


「……え」


「息子の誰かが国王やもしれぬ。娘の誰かやもしれぬ。もしかすればこの国が滅びるなりお前が差し出されるなりして、お前が仕える国王が余ではないかもしれない」


そうなった暁に、スズが余だけを国王だと思っているのは危険だ、と国王は言い切った。


「だから、お前はこの余を国王という認識ではなく、名前を持った主と思っていなければならない」


いつか来るであろう、違う国王に従わなければならなくなった時、拒否反応がでないように。

そんな言葉が国王の言葉の裏側から透けて見えた。


「……どうしてそんな忠告を」


しばらく黙ってそんな事を言えば、国王が目を瞬かせた。

碧の乱反射だ。

深い深い、俺とは比べものにならない知性を感じさせる色が俺を見つめる。


「いかんせん、何故かスズは息子どもよりも死なれると目覚めが悪いような気がしてならないからだ」


俺は国王の持っている俺の認識を、多少修正した方がいいと判断した。

俺はお気に入りの玩具とはちょっと違うかもしれない。

もしかしたら、お気に入りの玩具を壊されたくない、という感覚からなのかもしれなくとも。

それがちょっと違う、と思ったのは本当だ。


「覚えておけ、スズ。お前の主の名前を」


「ドィーガル様?」


「覚えろと言ったその時にすでに、忘れているのか。ドゥーガルだ」


呼びにくければドゥガルとでも覚えておけ、お前にはそれを許してやろう。

太った、二重顎の口元に笑いを浮かべた国王……ドゥガル様がそう言った。

誰かに対して、様をつけるほど敬意を覚えたのは、この人が初めてだ、前世も含めて、と俺はどうでもよく思った。


そんなやり取りの後に、俺はドゥガル様の来訪だというのにお茶の一杯も出していない事実に気付いた。

これは出さなければだめな奴だろうか、でもまだ台所の整備が整っていないのだ。

俺はさすがに、野宿はそこまでのレベルじゃないのだ。

火の熾し方は知っているけれど、残念ながら調整なんてできないのだ。


「あの……すみません、お茶の一杯も出せなくて」


「その前に、スズの宮には食料を置いていないだろう」


「あ……」


俺はもっともな事を言われて、うめいた。

確かにそうだ。

ここには食料の備蓄がないのだ。

そして俺はここ何日も、運ばれてくる冷めきった食事とお茶を飲んでいた。

食べられないわけじゃないし、不味かろうが冷たかろうが食事は食事だ。

文句なんて言わないで食べていたから、備蓄の問題を気にしていなかったのだ。

風呂場はすぐに作ってもらったけれども、台所はまだ手を加えてもらっていない。

流石に風呂を沸かすのでできそうなのは温泉卵やその他、低温調理の物で俺の作れるものじゃない。

気長に待つかと思っていた俺に、ドゥガル様が言ってくる。


「早めに作らせよう。それまでお前は運ばれてくる食事を食べればいい」


その言葉を聞いてなんとなく、フランス王朝の食事事情を思い出した。

宮廷では、冷めた食事が普通だったから、温かい物を食べたくなった貴族が廊下に竈だか何だか忘れたが、そんな調理器具を用意して、火を使っていたんだったな……なんて。

あいまいな記憶だし正確とは言えない物だけど、俺は確かに思い出していた。

だから。

冷めた料理なんてきっと、この国の王宮貴族では普通なのだろう、と思った。

ちょいまて、そうしたら食堂はどうなんだろう。

あそこでは出来立てに近い温かい料理が、供されていたはずだ。

そこで働いていたのだから分かる。

でも……ああ、すぐに冷める小さな食器によそってから、ワゴンに乗せてさらに蓋をして延々、長い廊下を行き来してたら冷めてしまう物か。

出来立てを運んだって冷めるに違いない。

そうなると、俺のいる夜の離宮なんて辺鄙な所に持ってくるあたりで、冷え冷え確定か。

……しょうがないと分かっていてもやっぱり、はやく台所を現代的に整備してほしいと思った。

俺はカレーが食べたいんだ!

スパイスの利いたあれを胃袋に入れたいんだ!

疲れた時や胃腸が弱った時に、自分で調合した香辛料で作る自分好みのカレーが食べたいんだ!

……まあそれは置いておいて。


「お茶の一杯も自分で淹れられないのは、不便ですからね」


当り障りのない納得のいく言葉で、俺はドゥガル様に答えた。



血なまぐさい気がした両手を見れば、いつも通りにちびの手をしていた。

血の色なんて見えないし、匂いだってしない、荒事とは無関係に近い手。

魔物を屠る事すらほとんどない、そんな両手から血の匂いを感じたのは、何故なのか。

俺はそんな事を考えながら、住処に新しいコンロが作られるのを見ていた。

離宮にいるのが俺一人であっても、こんなちんくしゃのちびで子供が、国王の求めた側妃だなんて誰も思わないらしい。

単純に、側妃の下働きの好奇心旺盛な子供、という認識がもたれている気がする対応をされつつ、俺は現場を見ていた。

一体何年前の炊事場だ、と職人たちは口を揃えて言っていて、たぶん数百年ほどは昔だろうなと思っていた。

ディ・ケーニさんの思い出話を総合するとそうなるのだ、仕方がない。


「それにしても、側妃様は国王陛下が直々に見初めたんだから、さぞかし美人なんだろうな」


職人の一人が好奇心にあふれた声で、そんな事を言っている。

苦笑い物だ。

だってその側妃を求める際に、選ばれたのは見た目じゃないのだから。

冬乞いという、他の人間の追随を許さない異能を、留め置くために側妃として引っ張り込まれたんだからな。


「さあ……外の世界の判断基準が分からないので、なんとも言えませんね」


俺は適当に返した。嘘は言っていない。王宮の美醜の判断基準なんて、俺はわからん。

ただ絶対的に、美の女神キャシーが美しいのはわかるんだなが。


「いいや、美しくて慎み深いんだろうよ、市井というよりも、きっと森の奥深い所で暮らしていたような人なんだろう」


いや、ビルの立ち並ぶ都会にだって、のっぱらにだって、繁華街にだって顔を出していました。


俺の内心の突っ込みは誰にも気付かれないまま、作業は進んでいき、半日がかりでコンロの設置は終わった。

水は井戸があるから問題ない。

それもポンプ式の見事な井戸だ。つるべ落としだのなんだのがなくて本当によかった。

縄が水あかかなんかでぬるぬるして、桶を滑って落とすなんて事がないのだから。



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