何時かの背中が視える事
見た事のない形だった、見た事のない動きだった。
もう何年も騎士として、戦場を駆け巡っていたというにも拘らず、全てがすべて見た事のない物だった。
あんなものは知らない。
普通は目から鍛えろと言うように、まず見る事から戦いは始まる。
無抵抗のように目を伏せ、相手の動きを読もうともせずにじっと立ち続け。
そしていきなり、刃物が己の領域に入った瞬間に目を開き、流れる水のようにするりと躱す。
動きは最低限どころか、ほんの僅かな物。
よく見ればたった一歩の動きで、攻撃は避けられていく。
何度攻撃を繰り返そうとも結果は同じ。
たった一歩、軽々と機能面でも訓練用の長靴には機動力で及ばない、そんな重く動きをのろまにする木靴で避けていく。目を伏せ、開き、伏せ開き……
ただそれだけなら身のこなしが良いのだ、と思わせるだろうが、しかし違う。
それと同時に行われる攻撃の、鋭さは並の物ではない。
おそらく、気を抜けば……例えば武具をきちんとつけていなければ……刃を潰したものを使わなければ……殺される。
その石突が攻撃してくる場所は最善のもので、打つたびに呼吸が乱れていく。
後から後から痛みが襲い掛かってくる、そういう遅効性の力を持った攻撃。
それだけで相手の、並ではない技量がうかがい知れるのだ。
そしてもう一つある。その目だ。
まるで星も月も浮かび上がらない、この世界にたった一夜だけ現れる、神も悪魔もすべての力を失うと言われている夜……通称を虚無の夜……と同じ色の瞳。
聖女を見た事があるのに、その聖女の目もたしかに黒いと言い切れたはずなのに、この目の前には黒、というのがおこがましくなる。
絶対性すら見え隠れする、その暗夜のまなこ。
間合いに入るまで伏せられ続けるその双眸。それがいきなり開かれて、暴力のようにこちらをとらえ、ほんの一瞬ばかり視線を交えると、なぜか知らないのだが脳髄がしびれるように、目もくらむような何かを感じる。
魔性が使うという魅了の魔法かと思えば、違う。魅了の魔法? そんな下世話な物ではない。
この目の中には魔法をはるかに飛び越えた、何かが宿っていた。ほんの数秒かちりとぶつかり合った目と目のその中に、その何かが揺蕩っているのが分かる。
ただのちびであるはず。いくら理性や常識が訴えかけて来ても、本能とそれに準ずるものが違うと断じる。伏せられがちなその両目。一見すれば、第三者からすれば自信がないのだと言わせてしまうかもしれない目のやり方だというのに。
戦いのさなか、相手に気迫負けして視線をそらしているのだと言われかねないというのに。
持ちあがったそのまなざしが、いやに堂々としているようで、癇に障る前に……圧倒された。
この腕は届かない。
ふと唐突に悟ったのは、そんな絶対の差だった。歴然などという生易しい物とは大違いの物だった。
どれだけの攻撃も、必殺の速度も、このちびの前には無意味だと知った。
迅雷と称された己の、速度には誇りがあった。力も自信もあったのだ。
国でも指折りの騎士と言われ、鼻高々となっていたその鼻を思い切りへし折り、考え方を根元から覆してしまうだけの物を、このちびは有していた。
うぬぼれていた誇り。自分は強いのだという視点。こんなちびに負けるはずがない、このちびをどうにかして屈辱を晴らす。
それをこのちびは、ものの数分で打ち破った。
憤激は一瞬のうちに燃え上がり、そして一瞬のうちに冷め切った。
あるのは、恐ろしいほど、ただのちびに思うにはあまりにも純粋な賞賛と、畏怖と、感嘆と。
憧憬など、悔しくてとても言えないが、
ほれぼれとした。
どこまで。
この小さな体はどこまで、動くのか。
怒りや屈辱を鎮火された心が、そんな事を思った。どこまで行くのか。
この小柄な、弱く見える姿はどこまで、実力を有しているのか。
遊ばれているのか、と思うには相手があまりにもまじめな顔をしていた。
打ち合うのはちびの体格を考えれば不利だろう。このちびの力は見た目の割にずいぶんと強いが、あくまでも見た目の割に、と言うだけで。
体格差を考え、そして様々なものを考えれば自分の方が強いと瞬間で分かる。
そしてこのちびも分かっている。だから打ち合わない。打ち合おうとしない。
勝敗がそれで決してしまうとわかっているのだから。
こんなちびが、剣術のいろはも分かっていないような生まれの子供が。
それでも、こうして戦えば感じるものがあった。戦う間に察する何か感覚が。
このちびはまじめに、真剣に、こちらの相手をしている。手加減をしているのと遊んでいるのは大違いだ。そしてこのちびは手加減をしているかもしれないが、遊んではいない。
その証拠に息が切れているこちらとは、裏腹に息も切らせていなければ汗の一つもかいていない。
実力を見切られているのだ。その眼力を並のものだと思うには経験を積みすぎていた。
このちびはいったい。
剣が弾き飛ばされた。手は雷の呪文が当たったかのようにしびれ、立て続けに胸を刃のつぶされた斧で強打され、意識が白む。かすむ意識の中に子供が見せた背中は、その身長にはあるまじき大きさであり。
このちびを、鍛え上げたいと痛切に思わせる、いつか最強や無敵の誉れを戴くであろう未来を、迅雷の瞳に視せる背中だった。




