EP 7
剥がれ落ちたメッキ。無能な元婚約者の御前会議と、破滅への足音
ルナミス帝国の中心、白亜の尖塔がそびえ立つ帝城。
その中枢にある大円卓の会議室にて、月に一度の『御前会議』が開かれていた。
内務省のトップである宰相ユリウス・フォン・グランツを筆頭に、各省庁の大臣や帝都の市長など、国の重鎮たちがズラリと顔を揃える、帝国で最も重みのある会議である。
「――以上が、我が中央市役所が提案する『第四区画・新魔導都市開発計画』の全容であります! 既存のインフラを刷新し、シナジー効果を高めることで、劇的な発展が見込めるでしょう!」
自信に満ちた声を響かせたのは、カーライル子爵だった。
彼は仕立ての良い高級スーツ(もちろんタローマン製などの安物ではない)をビシッと着こなし、ドヤ顔で手元の分厚い資料をトントンと机に揃えた。
市長であり、新しい婚約者リリアーナの父親でもある男が、満足げにウンウンと頷いている。
(ふっ、決まったな)
カーライルは内心でほくそ笑んでいた。
織姫を左遷してから数週間。彼女がいないことで日常の事務作業は滞り、デスクは書類の山で悲惨なことになっているが、この『大プロジェクト』さえ通せば問題ない。市長の覚えもめでたくなり、自分の出世は確約されたも同然だ。
織姫が残していった過去のデータや、他部署から上がってきた生の数字を適当に繋ぎ合わせ、見栄えの良い表紙をつけただけの企画書だが、自分のような『上に立つ人間』の優れたプレゼン能力があれば、中身など後からどうにでもなると思っていた。
しかし。
円卓の最奥で、組んだ手の上に顎を乗せていた氷の宰相――ユリウス・フォン・グランツが、極寒の吹雪のような冷たい声で口を開いた。
「……カーライル子爵。一つ、確認したい」
「はっ! なんなりとご質問ください、宰相閣下」
「手元の資料、12ページ目だ。君は魔導下水道の拡張において『魔力効率の最適化により、維持コストを20%削減できる』と結論づけているな。……その根拠は?」
ユリウスの鋭い眼光に射抜かれ、カーライルの背筋に冷たい汗が伝った。
「こ、根拠、でありますか? それは勿論、最新の魔導理論に基づいた……その、シナジー効果でありまして……」
「具体的な数字とデータを答えろと言っている。君がこのページに引用している人口推移と魔力消費量のデータだが……これは東部エリアが拡張される前の、五年前の古いデータだ」
「ご、五年、前……?」
カーライルの顔から、スッと血の気が引いた。
「さらに言えば、25ページの地質調査の項目。君は第四区画の地下に『岩盤がない』前提で予算を組んでいるが、先月の土木局の調査報告書には、強固な魔力岩盤が発見されたと明記されていたはずだ。……君は、実務者から上がってきた最新の報告に、一切目を通していないのか?」
「あ、いや、それは……部下が資料の精査を怠ったようでして……っ!」
「他人のせいにするな!!」
ダンッ! と、ユリウスが机を叩く音が会議室に響き渡った。
普段は冷静沈着な氷の宰相が放った強烈な怒気に、同席していた大臣たちや市長でさえもビクッと肩を震わせた。
「表面的な体裁だけを取り繕い、中身が全く伴っていない。実務者の声を聞かず、古いデータで誤った予算を弾き出す。……君の言う『上に立つ者の仕事』とは、部下に責任を押し付け、国庫の金をドブに捨てることか?」
「ち、違います! 私はただ、全体的なディレクションを――」
「詭弁だ。君の報告書は、君自身の無能さを証明する紙屑にすぎない。……この企画は白紙撤回とする。次回の会議までに、正確なデータに基づいた対案を出せ。できなければ、君のポストは他の者に譲ってもらう」
ユリウスの宣告に、会議室は水を打ったような静寂に包まれた。
カーライルは顔面を蒼白にし、震える足で立ち尽くすしかなかった。先ほどまで彼を絶賛していた市長も、今は「とんだ恥をかかされた」とばかりに苦々しい顔で彼を睨みつけている。
完全に、メッキが剥がれ落ちた瞬間だった。
* * *
「くそっ! くそっ! なぜだ、なぜあんな細かい数字まで……!」
会議を終え、自分の執務室に戻ったカーライルは、デスクの上に積まれた書類の山を力任せに床に払い落とした。
バサバサと散らばる紙切れの中に、ふと、一枚の古い付箋が目に入った。
それは、数ヶ月前、かつての婚約者であった織姫が残していたメモだった。
『カーライル様、お疲れ様です。明日の会議資料ですが、第四区画の人口データが古いままだったので、最新のものに差し替えておきました。あと、地質調査の結果を踏まえて予算案をBパターンに変更しています。無理しないでくださいね。 織姫』
その丸みを帯びた几帳面な文字を見た瞬間。
カーライルの脳内に、冷たい雷が落ちた。
「……あいつが、やって、いた……?」
これまで自分が御前会議で称賛を浴びていた完璧な企画書。
自分が「部下を指導して作らせた」と思い込んでいたものは、実は全て、織姫が裏で徹夜をし、最新のデータを集め、彼が恥をかかないように完璧に修正・補完してくれていたものだったのだ。
彼女がいなくなった途端に、自分の仕事が全て破綻した。その事実が、今更になってカーライルの貧弱なプライドをズタズタに引き裂いた。
「俺が、あの地味な女に……支えられていたとでも言うのか……っ!?」
バンッ!
その時、執務室のドアが乱暴に開かれた。
「カーライル様! 一体どういうことですか!」
ヒステリックな声を上げて入ってきたのは、新しい婚約者のリリアーナだった。
「先ほどの会議、お父様から聞きましたわ! 宰相閣下から大目玉を食らったんですって!? お父様まで宰相閣下から冷たい目で見られたと、激怒していらっしゃいましたわ!」
「り、リリアーナ! 違うんだ、あれは手違いで……」
「言い訳は結構です! 私は、将来有望なエリートだからあなたと付き合ってあげたんですのよ! 次の会議で挽回できなければ、婚約は白紙にさせていただきますからね!」
リリアーナは吐き捨てるようにそう言うと、カーライルが止める間もなくドアを叩きつけて出て行ってしまった。
「ま、待て! リリアーナ! くそっ……!!」
髪を振り乱し、カーライルは床に散らばった書類の中で膝をついた。
出世の道も、市長の娘との婚約も、全てが音を立てて崩れ去ろうとしている。
このままでは終わる。どうにかして、自分を有能だと証明する『圧倒的な手柄』を立てなければならない。
その時、執務室の魔導通信石が淡く光り、地方を視察している部下からの報告が入った。
『――カーライル子爵。報告いたします。左遷した天原織姫が赴任しているポポロ村ですが、先日崩落した橋がたった一晩で修復された件に続き、さらに新たな動きがありました』
「なんだと……? あの女が、今度は何をした」
『はい。ポポロ村の特産品を使った、これまでにない革新的なスイーツ……「ハニーかぼちゃとポポロ・コーヒーのティラミス」なるものを開発したそうです。これが帝都で売り出されれば、莫大な利益を生むことは間違いありません』
その報告を聞いた瞬間、絶望のどん底にいたカーライルの目に、醜悪な光が宿った。
(……それだ!)
カーライルは歪んだ笑みを浮かべ、立ち上がった。
自らの無能さを反省するどころか、彼の頭の中には、最も卑劣な「都合のいい解釈」が浮かび上がっていた。
「はっ、ははははっ! なるほど、そういうことか! あの女、俺に捨てられて左遷されたのが悔しくて、必死に点数稼ぎをしているんだな! 俺の気を引くために、そんな画期的な特産品を作ったに違いない!」
そうだ。彼女が優秀なのは、かつて俺が「指導」してやったからだ。ならば、左遷先で彼女が出した成果も、元を正せば俺の手柄になるのが当然の理屈だ。
「おい! 今すぐポポロ村出張所へ『命令書』を送れ!」
カーライルは血走った目で部下に命じた。
「天原織姫を帝都へ呼び戻す! そして、その『特産品』のすべての権利を、中央市役所の――俺の管轄として譲渡させろ! そうすれば、御前会議での失態など一発で帳消しだ!!」
限界まで追い詰められた無能な男は、ついに越えてはならない一線を越えた。
自らの手で捨てたはずの「便利な道具」を再び奪い取り、利用し尽くそうというその傲慢な決断が、後に帝都はおろか、神界をも巻き込んだ『歴史的な大破滅』を引き起こすことになるとは、夢にも思わずに。




