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EP 8

招かれざる帝都の豚 ~完璧な書類は物理攻撃より重く、悪徳官僚を圧殺する~

 奇跡の収穫祭から一夜明けた、ポポロ村の朝。

 祭りの熱気と幸福な余韻に包まれていた村の空気を、突如として無粋な蹄の音と、車輪が土を抉る暴力的な音が切り裂いた。

「おいおい、なんだありゃ……?」

 片付けをしていた村人たちが、怪訝な顔で顔を上げる。

 村の広場に乗り込んできたのは、ポポロ村には似つかわしくない、金と赤のけばけばしい装飾が施された豪奢な馬車だった。周囲には、ルナミス帝国軍の正規兵――それも、重武装の親衛隊クラスが十名ほど、威圧的に立ち並んでいる。

 馬車の扉が乱暴に開き、中から一人の男が降り立った。

 高級なシルクの服をはち切れんばかりに着込んだ、豚のように肥え太った男だ。香水の匂いが強烈に鼻をつき、キャルルがたまらずウサギ耳を塞ぐ。

「……チッ。なんだこの村は、土と獣の臭いがプンプンしやがる。こんな辺境の吹き溜まりまで、特別査察官であるこのバシリウス様が足を運んでやったというのに、出迎えの一つもないとはな」

 バシリウス。その名を聞いて、出張所から出てきた織姫の足がピタリと止まった。

 忘れもしない。帝都の中央市役所で、織姫の元婚約者とつるみ、甘い汁を吸い続けていた特権階級の派閥の一人だ。

「おい、そこの村人ども! 今年のこの村の収穫物は、すべて帝都が『特別徴収』として没収する! 特に『太陽芋』と『月見大根』、それから『ポポロ・コーヒー』の特級豆だ。倉庫にあるだけ全て馬車に積め!」

「なっ……! 冗談じゃねえ! こいつは俺たちが汗水垂らして育てたもんだぞ!」

「やかましい! 帝都の発展のために辺境が搾取されるのは当然の義務だ! 逆らう者は反逆罪としてしょっ引くぞ!」

 バシリウスが護衛の兵士たちに剣の柄に手をかけさせると、村人たちは青ざめ、後ずさった。

 その光景に、スアイとキャルルの堪忍袋の緒が、同時にブチリと音を立てて切れた。

「……あのアマガエルみたいな小太り、私のチェーンソーで縦半分にスライスして差し上げますわ」

「ダメですスアイさん。縦に切ったら血が飛び散って広場が汚れます。私が安全靴で、アゴから脳天まで一撃で粉砕しますから」

 極悪な殺気を放ち、物理(と魔法)で査察官をミンチにしようと一歩踏み出した二人。

 しかし、その両肩を、織姫の手がスッと、だが力強く押さえた。

「ダメですよ、お二人とも」

「お、お姉様……?」

「暴力で解決してしまえば、彼らに『村を武力制圧する正当な口実』を与えてしまいます。ここは、私の戦場テリトリーです。……下がっていてください」

 織姫は、いつもの温厚な笑顔を消し、氷のように冷たく、理知的な瞳でバシリウスの前に進み出た。

 手には、分厚い魔導ファイルの束が握られている。

「これはこれは、バシリウス特別査察官殿。遠路はるばるポポロ村へようこそ。ですが、事前の通達もない突然の徴収は、帝国法規に違反しております」

 毅然と響く織姫の声に、バシリウスは目を丸くし、やがて下品な嘲笑を漏らした。

「……誰かと思えば、天原ではないか! 婚約者に捨てられ、こんなドブのような村に左遷された無能女が、いっちょ前に役人ぶるな! 貴様が小賢しい真似をして村を太らせていると聞いて、わざわざ私が『管理』してやりに来たのだ。ありがたく思え!」

「『管理』、ですか。ただの横領と搾取の間違いでは?」

 織姫は一切の動揺を見せず、手元のファイルから一枚の羊皮紙を抜き出した。

「特別査察官殿。帝国法規・地方行政法第42条第3項『緩衝地帯における特別経済免除特例』をご存知ですか? アバロンやレオンハートとの国境にあるポポロ村のような指定区域においては、特産品の売買利益は村の自治権のもとに保護され、中央からの強制徴収は『皇帝の直接の勅命』がない限り不可能です」

 淀みなく紡がれる法規の朗読に、バシリウスの顔がピクッと引きつった。

「なっ……でたらめを言うな! そんな特例条項、私は聞いたこともないぞ!」

「ええ、ご存知ないでしょうね。あなたが毎晩、高級なクラブでワインを飲んで遊び歩いている間に、私が市役所の地下室で徹夜して起草し、帝国議会を通した法案ですから」

「なっ……!?」

 織姫の唇が、冷酷な弧を描く。

 限界社畜として、無能な上司たちに押し付けられた膨大な仕事。

 あの時はただ辛く、苦しいだけだった。だが、命を削って頭に叩き込んだ法律の知識と、抜け穴のない条文を作成する技術は、今、織姫の中で最強の『武器』として完成していた。

「そもそも、あなたの持っているその『特別徴収令状』。書式が古すぎます。先月の法改正で、第三項のインデント(字下げ)と、決裁印の押印箇所が変更されているはずですが? ……ああ、もしかして、部下に丸投げしていて、最新のフォーマットすら確認していなかったのですか?」

「き、貴様ぁ……ッ!」

 周囲の村人たちが、ざわめき始める。

 絶対的な権力者だと思っていた男が、村の地味な出張所職員に、言葉だけで手も足も出ず追い詰められているのだ。

「さらに申し上げます。昨晩のうちに、私はこのポポロ村の『自治独立採算申請書』を内務省に提出し、受理されております」

 織姫が最後に取り出したのは、内務省の正式な『受理印』が燦然と輝く、完璧にフォーマットされた決裁書類だった。

「この書類が受理された時点で、ポポロ村の税収と特産品の管理権限は、100%この村に帰属します。つまり、あなたが今ここで『太陽芋』を一つでも持ち出せば、それは公務執行ではなく、ただの【強盗罪】に該当します」

「ごちゃごちゃと……ッ! 辺境の小娘が、書類の束でこの私に勝てると思うなよ!」

 完璧な論理の壁に追い詰められ、プライドをズタズタにされたバシリウスは、ついに理性を失った。

 顔を真っ赤に茹で上がらせ、太い指で織姫を指差す。

「やれ! その生意気な女を捕縛し、その書類を燃やせ! 村の物は根こそぎ奪い尽くせ!」

「はっ!」

 護衛の兵士たちが、一斉に剣を抜き放ち、織姫へと襲いかかろうとした。

 スアイが斧を構え、キャルルが安全靴に雷を纏わせる。

 武力衝突は避けられない――誰もがそう思った、その瞬間だった。

『――私の大切な部下と、愛する村に、何をしている?』

 突然、広場の空気が、物理的に凍りついた。

 スアイの氷魔法ではない。それは、一人の人間が放つ、絶対的な『権力』と『怒り』が具現化したような、背筋が凍るほどの冷気だった。

 兵士たちの動きが、まるで時を止められたかのようにピタリと止まる。

 バシリウスが、ギギギ……と錆びた機械のように首を後ろへ向けた。

「な……なぜ……」

 広場の入り口。

 護衛も連れず、単騎で馬を飛ばしてきたであろう、漆黒の外套を羽織った長身の男が立っていた。

 銀色の髪を風に揺らし、サファイアのように冷徹な双眸で、バシリウスを――いや、路傍のゴミを見るような目で、見下ろしている。

「ゆ、ユリウス内務大臣閣下……ッ!?」

 帝国全土の政務を取り仕切る『氷の宰相』ユリウス・フォン・グランツ公爵が、週末の視察(という名目のポポロ・コーヒー巡礼)に、予定より早く到着した瞬間であった。

読んでいただきありがとうございます。

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