EP 2
初めての「善行通販」と、窓を破ってやってきた最強の親友
半透明のウィンドウに表示された【保有ポイント:10,000,000 Pt】の文字を前に、私はポポロ村の古びた出張所の中で呆然と立ち尽くしていた。
「いっせんまん……? これ、全部使っていいの?」
『ピコン!』
『神界リスナー【永遠の17歳女神L】からのメッセージ:
「全部あんたが身を粉にして稼いだ正当な対価だよ! 遠慮しないでガンガン使いな!」』
頭の中に直接響くポップな声に、私はビクッと肩を揺らした。どうやら、このスキルは本当に神様(?)たちの動画配信サイト『ゴッドチューブ』と繋がっているらしい。
画面をスクロールすると、ルナミス帝国で流通している日用品から、私が前世の記憶(というより地球の知識)で知っているような日本の家電、食品、家具までがズラリと並んでいた。
「……まずは、寝床ね」
ここ数ヶ月、ルナキン(ファミレス)の硬い椅子か、市役所の仮眠室のペラペラの毛布でしか寝ていない。私の体はすでに限界を超えていた。
検索窓に「ベッド」と打ち込むと、ピンからキリまで商品が出てくる。
私は迷わず、地球の高級ホテルで採用されているという「特級ポケットコイルマットレス・最高級羽毛布団セット(50,000 Pt)」をポチッと押した。
シュァァァァッ!
光の粒子が集まり、何もない板間の部屋に、純白のシーツに包まれたふかふかの巨大なベッドが錬成された。
恐る恐る手を伸ばし、マットレスを押してみる。
――ふんわり、もっちり。
「嘘……」
そのまま、私はベッドにダイブした。
体を優しく包み込む、雲のような寝心地。清潔なシーツの匂い。バキバキに凝り固まった背中と腰の筋肉が、じんわりと解れていくのがわかる。
『ピコン!』
『神界リスナー【規律の天使V】からのメッセージ:
「ああ……織姫さんがようやく横に……! ゆっくり休んでくださいね。明日の朝のアラームは、私が責任を持って全て解除しておきましたから(感涙)」』
「……神様、ありがとう」
アラームをかけなくていい夜。
他人のための企画書を書かなくていい夜。
明日、誰かに怒鳴られる心配をしないでいい夜。
「あ、ああ……っ」
気がつけば、私の目からボロボロと涙が溢れていた。
悲しいんじゃない。悔しいのでもない。ただただ、あまりにも安心したのだ。
シーツをぎゅっと握りしめ、私は子供のように泣きじゃくりながら、泥のような深い、けれどひたすらに温かい眠りへと落ちていった。
* * *
翌朝。
小鳥のさえずりと、窓から差し込む柔らかな日差しで私は目を覚ました。
「……よく寝たぁ……」
体を伸ばすと、驚くほど体が軽い。社畜特有の頭痛も胃もたれも、綺麗さっぱり消え去っている。
時刻は午前九時。いつもなら、とっくに市役所で電話対応に追われている時間だ。
「よし。せっかくの初日だし、優雅な朝ごはんにしよう!」
私は再び【善行通販】を開き、地球の「極上ドリップコーヒーセット」と「厚切りトーストセット」を取り寄せた。
お湯を沸かし、挽きたての豆にお湯を注ぐ。
コポコポという心地よい音と共に、部屋中に芳醇でほろ苦い、極上の香りが広がっていく。
「ん〜、いい匂い。これでバターたっぷりのトーストを……」
――ガッシャァァァァン!!
その時、突如として出張所の窓ガラスが粉々に砕け散った。
「ひゃあっ!?」
破片が飛び散る中、窓枠に片足をかけて悠然と侵入してきたのは、一人の女性だった。
透き通るような雪色の肌に、見とれるほど美しい顔立ち。
だが、その美貌に反して、彼女の服装はルナミス帝国のホームセンター『タローマン』で売っているようなガテン系のオーバーオールだった。おまけに、手には物騒な片手斧と、絶対に切れなさそうな太い鎖をジャラジャラと巻き付けている。
「あら、ごめんなさい。あまりにも素晴らしい香りがしたものですから、つい最短距離で入ってしまいましたわ」
「えっと……ドア、ありましたよね?」
「ドアを開けるという『世俗の動作』すらもどかしかったのですわ。初めまして、私はスアイ。この近くで開拓キャンプをしている、しがないDIYキャンパーですの」
しがないキャンパーは窓を割らない。
呆気にとられる私をよそに、スアイと名乗った美女は、テーブルの上のコーヒーポットをジッと見つめた。
「あの、一杯……飲みます?」
「ええ、いただきますわ! 遠慮という概念はアバロン魔皇国に置いてきましたので!」
スアイはズカズカと上がり込み、私が淹れたコーヒーを一口飲んだ。
途端、彼女の美しい瞳が見開かれる。
「……っ!! なんという深いコクと香り! 私が普段飲んでいる泥水のような野戦用コーヒーとは雲泥の差ですわ! あなた、只者ではありませんわね?」
「私はただの、昨日左遷されてきたばかりの元公務員ですよ。婚約者に手柄を奪われて、クビにされたんです」
私が苦笑いしながらトーストを差し出すと、スアイは豪快にかじりつきながら頷いた。
「なるほど、世俗の権力闘争に敗れたと。わかりますわ。私も元々は『氷魔将軍』などという堅苦しい役職に就いておりましたの」
「……え? ま、魔将軍!?」
「ええ。でも『寒いのにビキニアーマーを着ろ』だの『意味のない色気を出せ』だの、セクハラとパワハラのオンパレードに嫌気がさしましてね。『あぁ世俗が鬱陶しいですわ』と退職届を叩きつけて、最強の女帝に自分でクラスチェンジしたのです」
アバロン魔皇国の元幹部!?
とんでもない大物がポポロ村にいたものだ。だが、彼女の「理不尽な職場から逃げ出した」という境遇には、不思議と強い共感を覚えた。
「奇遇ですわね、織姫。私たち、似た者同士の『逃亡者』のようですわ」
「ふふっ、そうですね。私も、もう二度と他人のためには働かないって決めたんです」
「素晴らしい心構えです! 気に入りましたわ。今日から私たちは『マブダチ』ですの! さぁ、この極上の黒い水をもう一杯いただけます?」
まさか左遷初日に、元魔将軍の親友ができるなんて。
窓枠は壊されたけれど、彼女と飲むコーヒーは、信じられないくらい美味しかった。
* * *
一方その頃。
ルナミス帝国、中央市役所の執務室。
「おい、織姫! 例の第三区画の魔導下水道敷設に関するデータは……っ、あ」
カーライルは苛立ちながら声を上げ、ハッとして口を閉ざした。
自分の執務室の隅にあった、地味で小さなデスク。そこにはもう、彼女の姿はない。昨日、自分自身で追放したのだから当然だ。
「チッ……まあいい。あいつが置いていったファイルを見れば済む話だ」
カーライルは舌打ちをし、デスクの引き出しを乱暴に開けた。
そこには、各部署から上がってきた膨大な『生データ』の束が無造作に突っ込まれていた。
「な、なんだこれは……?」
カーライルの顔から、スッと血の気が引いた。
これまでは、この難解で膨大な資料を織姫が夜通し読み込み、要点をまとめた『付箋』を貼り、完璧なサマリー(要約)として彼の机に置いていたのだ。
彼はそれを読み上げ、自分の言葉として会議で発表するだけで、「優秀な若手」として評価されてきた。
だが今、目の前にあるのは、専門用語が羅列されたただの数字の羅列だ。
付箋はない。どこをどう見ればいいのか、見当もつかない。
「カーライル子爵! 例の予算案の件ですが、午後の御前会議までに詳細な修正案を出していただきたいのですが!」
「えっ!? あ、あぁ……わかっている! 今やっているところだ!」
部下からの急な催促に、カーライルは裏返った声で答えた。
額からタラリと冷や汗が流れる。
(嘘だろ……? あいつ、ただの作業員じゃなかったのか?)
自分が「指導してやっていた」はずの書類仕事。
それが、彼女の異常なまでの事務処理能力と気配りの上に成り立っていた砂上の楼閣だったことに、彼はまだ気づきたくなかった。
「くそっ、なんで引継ぎ資料くらい残していかないんだあの無能女は!」
カーライルは八つ当たりのように書類の山を蹴り飛ばしたが、散らばった紙切れは、彼に何の答えも与えてはくれなかった。
手柄泥棒のメッキが剥がれ落ちる音は、もうすぐそこまで迫っていた。
読んでいただきありがとうございます。
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