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第一章 限界社畜の終わりと、最低な婚約破棄

限界社畜の午前二時と、最低な婚約破棄からの解放宣言

「――よし、終わった……っ!」

 深夜二時。ルナミス帝国の中央市役所近くにある24時間営業のファミレス『ルナミスキング』――通称『ルナキン』の片隅で、私は歓喜の小さいため息を吐き出した。

 テーブルの上に山積みになっていたのは、都市開発の予算案から市民生活相談の対応記録、果ては他部署の稟議書まで、およそ一人の地方公務員が抱え込むべきではない膨大な書類の山。

 それを、私は完璧なデータ整理と手書きの補足付箋を添えて、一つのファイルにまとめ上げたのだ。

 私の名前は天原織姫あまはら おりひめ、二十五歳。

 約百年前に転生勇者・佐藤太郎が築き上げたこのルナミス帝国は、魔法と近代文明が融合した非常に便利な国だ。魔導車が走り、魔導通信石で遠くの相手とも通話ができる。

 だが、文明が発達すればするほど、お役所の事務手続きは煩雑化する。佐藤太郎が持ち込んだ「お役所仕事」の概念まで見事に定着してしまった結果、私は日々、終わりの見えない書類仕事とクレーム対応に追われる限界社畜となっていた。

 しかも、今目の前にある書類の九割は、私の仕事ではない。

 私の上司であり、婚約者でもあるカーライル子爵の仕事だ。

『織姫、君は優秀だから頼むよ。これも君の成長のためだ。俺の右腕として、しっかり経験を積んでくれ』

 甘いマスクと耳触りの良い言葉で、彼はいつも私に仕事を押し付ける。婚約者である彼を支えるのが私の役目なのだと、自分に言い聞かせてきた。

 冷めきったドリンクバーのコーヒーを飲み干し、私は重い瞼を擦る。

「明日の朝一番の会議には、これで完璧に間に合うはず……。少しでも彼が楽になればいいな」

 睡眠時間三時間のフラフラな足取りで、私は店を後にした。

 ――しかし。その数時間後、私を待っていたのは「感謝」ではなく、どん底への突き落としだった。

     * * *

「天原織姫。君との婚約は破棄させてもらう。それと、君は今日付けでこの中央市役所から左遷だ」

 翌朝。市役所の執務室で、カーライルは私が昨夜徹夜で仕上げた完璧なファイルを片手に、冷酷な声でそう告げた。

 頭が真っ白になる。

「え……? 婚約破棄……? それに、左遷って……どういうことですか、カーライル様?」

「言葉の通りだよ。君は地味で華がないし、いつも疲れた顔をしている。俺のような将来を嘱望されたエリートの隣に立つには、あまりにも不釣り合いだ」

 カーライルが指を鳴らすと、執務室の奥から派手なドレスを着た美しい女性が現れた。市長の娘、リリアーナだ。彼女はカーライルの腕にねっとりと絡みつき、私を小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「そういうことよ、冴えない平民上がりの織姫さん。カーライル様を支えるのは、市長の娘である私のほうがふさわしいわ。あなたみたいな暗い女、側にいるだけで運気が下がるもの」

「っ……」

 カーライルはリリアーナの腰を引き寄せながら、勝ち誇ったように私を見下ろす。

「君の左遷先は、辺境のポポロ村出張所だ。あそこの特産品でも数えて、一生土いじりでもしているといい」

「お待ちください! 私はこれまで、あなたのために必死に……!」

 昨夜の徹夜だけじゃない。彼の手柄になっている過去の企画書も、トラブル対応も、全て私が裏で処理してきたのだ。

「恩を着せる気か?」

 カーライルは鼻で笑った。

「勘違いするなよ。お前がここまでやれるようになったのは、俺の『指導』のおかげだろう? 俺という優秀な上司が方向性を示してやったからこそ、お前はただの作業員として書類をまとめられただけだ。この完璧なファイルは、俺の指導力の賜物なんだよ」

 呆気にとられた。

 この男は本気で言っているのだ。他人の時間と労力を搾取し、あまつさえ「自分が育ててやった」と信じ込んでいる。

 怒りや悲しみよりも先に、強烈な虚無感が押し寄せてきた。

 私は、こんな中身のない泥棒のために、毎日睡眠時間を削り、美容に気を使う余裕すらなくして、ボロボロになっていたというのか?

「……わかりました」

「ん? 泣きついてこないのか? まあいい、少しは自分の無能さを自覚したようだな。さっさと荷物をまとめて出ていけ」

 彼らから背を向け、私は執務室を後にする。

 廊下を歩きながら、ふと窓の外を見た。よく晴れた青空が広がっている。

 ドクン、と胸が鳴った。

 ――あれ? 私、もうカーライルの仕事をやんなくていいの?

 ――ルナキンで徹夜して、誰かの手柄のためにサービス残業しなくていいの?

 左遷。田舎のポポロ村。

 それはつまり、これからは「自分のペースで、本当に困っている目の前の人のためだけに仕事ができる」ということではないだろうか。

 沈んでいた心が、ふっと軽くなるのを感じた。

「……上等じゃない。やってやろうじゃないの」

 私は小さく、けれど力強く呟いた。

「自分の時間は、自分のためだけに使ってやるんだから!」

     * * *

 ゴトゴトと揺れるロックバイソン(牛型魔獣)の定期バスに揺られること数時間。

 私はルナミス帝国の外れ、自然豊かなポポロ村の出張所に到着していた。

 木造の古い建物。埃を被った机。静かな風の音しか聞こえない、のどかな場所。

 帝都の喧騒や、カーライルの嫌味な声はもうここには届かない。

「よしっ、まずは大掃除からね!」

 腕まくりをして、箒と雑巾を手に取ったその瞬間だった。

『ピコーン!』

 突然、脳内に軽快な電子音が鳴り響いた。

『――条件をクリアしました。天原織姫の【善行ポイント】が規定値に達したため、ユニークスキル【善行通販型ネット通販】を解放します』

「え? 何? 頭の中に声が……?」

『これまであなたが積んできた無償の善行(サービス残業、名もなきゴミ拾い、迷子探し、完璧な書類整理)は、神界の配信サイト【ゴッドチューブ】の隠れ優良枠として、神々から絶大な支持を得ていました』

『これより、貯まりに貯まった投げ銭(特別ポイント)を一括で付与します』

『現在の保有ポイント:10,000,000 Pt』

 目の前の空間に、半透明のウィンドウがふわりと浮かび上がった。

 そこには、見慣れた日本の地球のアイテムから、アナステシア世界の高級品まで、ズラリと商品が並んだカタログ画面が表示されていた。

「嘘……これって、通販サイト!?」

『神界リスナー【永遠の17歳女神L】からのメッセージ:

「マジでお疲れ! あのクソ上司にはいつか天罰下すから、とりあえず田舎でゆっくりしな! ポイントで美味しいもんでも食べなよ!」』

『神界リスナー【規律の天使V】からのメッセージ:

「あなたの誠実な労働姿勢には、いつも涙しておりました……。どうかご自愛ください。応援しています」』

 よくわからないけれど、どうやら私のボロボロだった社畜生活は、神様たちという熱心な視聴者に見守られ、正当に評価されていたらしい。

 信じられない桁のポイント数と、カタログに並ぶ「高級ふかふかベッド」や「特上コーヒー豆」の文字を見て、私は思わず口元を押さえた。

「……これがあれば、私、最強のスローライフが送れるんじゃない?」

 手柄を奪う婚約者も、理不尽な残業もない。

 あるのは大自然と、無限の可能性を秘めたチート通販スキル。

 限界社畜だった私の、私だけの本当の人生が、今ここから始まろうとしていた。

読んでいただきありがとうございます。

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