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第二部第四話:昏き情念、背徳の決断

第二部第四話:昏き情念、背徳の決断


「……私を、魔族の生贄に捧げるのですか?」

天幕の中に、張り詰めた弦が切れたような、震える声が響いた。

毅然としていたリーヴィスの表情が、初めて絶望に歪む。

大天使セレシオンの神官として、魂を光に捧げることを誓った彼女にとって、魔なる存在の「苗床」となり、その尊厳を永劫に汚されることは、死よりも恐ろしい屈辱であった。

その動揺を、ミュロンは見逃さなかった。

「そうさ! 泣き言を言っても遅いんだよ! とびきり邪悪で、とびきり飢えた魔王に捧げてやる。あんたのその綺麗な身体が、内側から泥に染まっていくのが楽しみだねぇ!」

ミュロンは嘲笑を浮かべ、リーヴィスの腹部を容赦なく蹴り倒した。

拘束されたまま地面に転がるリーヴィス。

ミュロンはさらにその豊かな金髪を掴み上げようと手を伸ばしたが、その手首が鋼のような握力で制止された。

「よせ! ミュロン! 何もそこまで怖がらせる必要はないだろ」

レイの低い、だが拒絶を許さない声が響く。

彼は熱り立つミュロンを力任せに引き離し、彼女の前に立ちはだかった。

「……生贄は困ります。……お願い、いっそ今この場で殺してください」

泥に汚れた頬を震わせ、リーヴィスは絞り出すような声で哀願した。

その翠玉の瞳には、かつての知性的な輝きはなく、ただ深い闇の底に沈むような恐怖だけが湛えられている。

レイはその場に膝をつき、倒れ込んだ彼女の肩にそっと手を置いた。

「安心しろ。君ほどの美しさだ、魔王族も無体な扱いはせんだろう。君を心底気に入り、慈しんでくれるような『王』を俺が探してやる。……それは死よりも贅沢な余生になるはずだ」

レイは酷く穏やかに、まるで迷子をなだめる父親のような優しさで告げた。

しかし、その言葉はリーヴィスにとって、どんな拷問よりも冷酷な宣告だった。

彼女の意識は遠のき、レイの手の温もりさえも、蛇が這うような悪寒となって背筋を駆け抜けた。


「……何が『慈しんでくれる』だい。反吐が出るね」

ミュロンの吐き捨てるような声に、レイは眉をひそめて立ち上がった。

彼は興奮の収まらないミュロンの肩を掴み、半ば強引に天幕の外へと連れ出した。

夜の湿った空気が、火照った二人の肌をなでる。

ミュロンは乱暴にレイの腕を振り解くと、燃え盛る焚き火の光を背に、激しい怒りを露わにした。

「何だい、あのアバズレ! 縛られてるくせに、これみよがしに弱ったふりをして色目使いやがって! あんたもあんただよ、レイ! あんな見え透いた誘惑に引っかかるなんて、情けないったらありゃしない!」

「……何だお前。まさか、やきもちでも焼いているのか?」

レイが呆れたように問うと、ミュロンの顔が一瞬で林檎のように真っ赤に染まった。

「誰が! 自惚れるのも大概にしなよ! 私はただ、あんたが骨抜きになって、傭兵団の規律が緩むのが我慢ならないだけさ!」

ミュロンは肩で息をしながら、湯気を立てんばかりの形相でくるりと背を向けた。

「勝手にしなよ! 鼻の下を伸ばして魔王に殺されちまえ!」

罵声を残し、彼女は地面を強く踏み鳴らしながら闇の向こうへと去っていった。


一人残されたレイは、遠くで爆ぜる焚き火の音を聞きながら、自らの天幕へと歩を進めた。

草を踏みしめる音、夜鳥の鳴き声。

静寂の中で、リーヴィスの語った言葉が脳裏を回る。

(魔王族を滅ぼす光……天王玉、か……)

もし、彼女の言葉が真実なら。

もしあの閃光が再現され、魔王族という「種の頂点」が崩れ去る日が来るのだとしたら。

帝国という後ろ盾を失い、魔神の加護すら消えた荒野で、自分たち傭兵はどう生きるべきか。

冷徹な算段を立てようとするものの、いつの間にか思考の端々には、あの金髪の女神官の震える唇が入り込んでくる。

「魔王族にくれてやるには、あまりに惜しいな……」

ふと、自分の口から漏れた言葉に、レイは足を止めた。

生贄に捧げれば、確かに一時的な「力」は手に入るだろう。

だが、それは使い捨ての道具に過ぎない。

もし、この先魔王族の時代が終わるのだとしたら、魔王力などという不確かなものに頼るより、もっと価値のあるものを手元に置くべきではないか。

あの清冽な美しさ。

自分に刃を向けられてなお失われなかった、あの気高い意志。

あれを他者に差し出すなど、正気の沙汰とは思えない。

(……そうだ。生贄など、馬鹿げている)

魔王族に捧げるのではなく、自分の手で飼い慣らし、自分のものとして堕としていく。

その光を塗り潰し、己の色に染め上げた時、彼女は魔王族以上の価値を自分にもたらすのではないか。

レイの唇に、残酷で、それでいて熱を帯びた笑みが浮かんだ。

「ああ……決めたよ、リーヴィス」

自らの天幕に足を踏み入れるレイの瞳には、傭兵団の長としての冷静な計算と、一人の男としての昏い独占欲が、分かち難く混ざり合って燃えていた。

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