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第二部第二十七話:愛憎の結末、有限城に散る偽王

第二部第二十七話:愛憎の結末、有限城に散る偽王


重厚な鉄の扉を密かに押し開け、ロシェの手引きによって宰相官邸へと侵入したレイとブルド。

しかし、冷え切った大理石のエントランスホールに足を踏み入れた瞬間、天井の巨大な水晶のシャンデリアが一斉に眩い光を放ち、二人を白日の下に晒した。

いや――潜入が露見したのではない。

最初から「待ち伏せ」されていたのだ。

「来ると思っていましたよ。……まあ、私とミレース王女の婚礼を祝福しに来てくれた風には見えませんがね」

中央の重厚な螺旋階段の上。

手すりに優雅に手をかけ、二人を傲慢に見下ろしていたのは宰相ガーヴィであった。

完璧に整えられた衣服、貴族的な笑みを浮かべる端正な顔立ち。

しかし、その琥珀色の瞳は完全に魔王ガルブのそれへと変貌しており、その肉体の輪郭からは、大気をじわじわと腐食させるような紫黒の瘴気が陽炎のように立ち昇っている。

「――ロシェ! あんたはここまでだ、早く引き上げろ! 足手まといだ!」

レイは漆黒の剣の柄に手をかけ、鋭い敵意を剥き出しにしながら背後の宿将に命じた。

「うむ……っ! 殿下、どうかご無事で!」

ロシェは己の拳を固く握りしめ、無念さに唇を噛んだ。

かつて魔王を討ったはずの彼であったが、眼前に君臨するガーヴィの、世界の理を歪めるほどの圧倒的な魔王力の圧力を前に、今の自分では足手まといにしかならないことを痛感していた。

宿将は翻るようにしてその場から退散していった。

静まり返ったホールに、ガーヴィは低く、愉悦に満ちた笑い声を響かせる。

彼の背後の闇から、蹄の音を鳴らして這い出てきたのは、八頭の異形であった。

頭部は一見、おとなしい羊のそれに見えるが、その湾曲した角の隙間から覗く顎は裂けんばかりに大きく、びっしりと生え揃った鋭利な牙からはドロリとした青い涎が滴っている。

紛れもない、人間の肉を好む凶悪な肉食の魔獣であった。

「雑魚の掃除は任せるぞ、ブルド!」

「――承知!」

レイが吼え、抜刀すると同時に、背後でブルドが手にした紫金の錫杖を大理石の床へと力強く突き立てた。シャン、と金属音が響き、ブルドの青白い唇が高速で冥界の呪文を紡ぎ出す。

「目覚めよ、永き眠りの底より――」

床の影が墨汁のように広がり、そこからボロボロの甲冑を纏い、錆びついた大剣を握った三体の骸骨騎士スケルトンナイトが、骨の軋む音を立てて這い上がってきた。


「死ねッ、偽物野郎!」

レイは地を蹴り、弾丸のごとき速度で垂直に近い階段を駆け上がった。

一瞬で間合いを詰め、ガーヴィの首筋を目掛けて鋭い袈裟斬りを放つ。

しかし、ガーヴィは身を屈めることすらなく、まるで重力から解放されたかのようにひらりと宙へ舞い、衣服の裾を美しく翻してその一撃を完全に回避した。

「おやおや、手荒いですね。私はできれば、話し合いで解決したいのですがね? 望むなら、世界の何でも、どんな富でも力でも叶えてあげますよ。この私と、新たな『契約』を交わしてくれさえすれば」

着地したガーヴィが、狂気を孕んだ笑顔で妖しく囁く。

「反吐が出るぜ! 誰がお前のような化け物の操り人形になるものか!」

息をもつかせぬ乱戦が始まった。

下層では、ブルドの骸骨騎士たちが異形の羊魔獣と激しく噛み合い、骨の砕ける音と肉を裂く獣の咆哮が入り乱れている。

ブルドは戦況を見極めながら、左の袖口から黒い手裏剣を指の隙間に挟み、ガーヴィの死角へと目にも留まらぬ速さで投擲した。

キィィィンッ!

だが、放たれた手裏剣はガーヴィの肉体に届く直前、虚空に現れた半透明の「見えない魔力の壁」に衝突し、火花を散らして弾き飛ばされた。

「チッ、目障りな虫が」

ガーヴィが視線を向けた瞬間、一体の魔獣がブルドの首元へと飛びかかる。ブルドは冷静に錫杖の柄を捻り、仕込まれていた鋭利な細身の刀を抜刀。

一閃の元に羊の首を鮮烈に斬り落とし、黒い血を浴びながらも冷徹な視線を崩さなかった。

一方、上層のレイは焦燥に駆られていた。

地王玉の力を引き出しているにもかかわらず、ガーヴィの人間離れした空間転移に近い身のこなしに、自らの剣技が僅かに捉えきれない。

「くっ――」

「よそ見はいけませんね、義兄様!」

死角からのガーヴィの強烈な突進。

大気を圧縮したような不可視の衝撃がレイの胸元を直撃した。

凄まじい衝撃波と共にレイの身体は宙を飛び、エントランスの奥にある、豪奢なダンスホールの頑丈な木製の扉を派手に突き破った。

ドガァァァンッ!!

激しい粉塵と共に、鏡張りの壁へと背中から激突する。

背骨がきしむ痛みに耐えながら、レイは床に膝を突き、口内に溜まった血をペッと吐き捨てた。

「……野郎……よくもやってくれたな……」

レイの漆黒の瞳に、真の「死神」の灯火が宿る。

その瞬間、彼の胸元に提げた地王玉が狂ったように明滅を始め、ホール全体の床、そして大気から、底知れぬ地王力が砂嵐のように立ち昇ってレイの全身を包み込んだ。

レイの身体能力が限界を超えて跳ね上がる。

彼の踏み込みの一歩でダンスホールの床板が粉々に爆砕し、その姿は完全に視界から消えた。

「何っ……!?」

ガーヴィの余裕の笑みが初めて引きつった。

残像を残しながら肉薄するレイの剣撃は、今やガーヴィの防御壁をズタズタに引き裂き、その肉体に浅からぬ微細な傷を次々と刻んでいく。

限界を超えたスピードの応酬。激戦の末、ガーヴィが着地の瞬間に生じさせたわずか一瞬の隙。

「――これで、トドメだァァッ!!」

レイは勝利を確信し、渾身の力を込めた突きを放った。漆黒の刃は狂いなく、ガーヴィの心臓を一直線に捉えていた。


勝負が決する、まさにその刹那。

「――だめえぇぇぇっ!!」

ホールの闇から、狂ったような悲鳴と共に、白いドレスを大きく翻した影が割り込んできた。

金髪を振り乱し、両腕を広げてガーヴィの前へと立ちはだかったのは、妹である王女ミレースであった。

(しまっ――!?)

レイの目が見開かれる。

しかし、限界まで加速し、地王力を極限まで乗せた自らの突きを、今更途中で止めることなど神業を以てしても不可能であった。

漆黒の刃は、確実にミレースの胸を貫く――。

誰もがその最悪の結末を覚悟した瞬間。

視界が、反転した。

背後にいたはずのガーヴィが、信じられないほどの力でミレースの細い肩を掴み、その身体を強引に引き剥がすようにして自らの背後へと「庇った」のだ。

ズブシュゥゥゥッッ!!!

重苦しい、肉を、そして骨を肉薄して貫く音がホールに響き渡った。

レイの漆黒の剣は、ミレースの身代わりとなったガーヴィの胸の真ん中――その心臓を、深々と貫通していた。

「ガ、ガーヴィ……? テメェ、何をして……っ」

レイは剣を握ったまま、愕然として声を漏らした。

何が起こったのか、理解が追いつかなかった。

魔王族の契約に縛り、この国を裏から操っていたはずの冷酷な黒幕が、なぜ、自らの命を投げ出してまで、ただの人間の娘を庇うような真似をしたのか。

剣を引き抜くと、ガーヴィの膝がガクガクと崩れ、大理石の床へと倒れ込んだ。

その傷口から溢れ出たのは、魔王の禍々しい黒い血ではなく、どこまでも赤く、温かい、純粋な「人間の血」であった。

「あ……あぁ……ガーヴィ様……! ガーヴィ様ぁっ!!」

ミレースは床に倒れ伏したガーヴィの身体にすがりつき、その胸元に顔を埋めて激しく号泣した。

彼女の瞳からは、これまで見せていた冷徹な女王の仮面は完全に剥がれ落ち、ただ愛する者を失った十四歳の少女の、生々しい絶望の涙が溢れていた。

「愛していたのに……! あなたと共に、この世界を……私は、あなたを……っ!」

ミレースの白いドレスが、ガーヴィから流れ出る赤い血でみるみる染まっていく。

ガーヴィは激しく血を吐きながら、微かに残る最後の力で、ミレースの涙に濡れた頬へと細い手を伸ばした。

その琥珀色の瞳には、もう世界を呪う魔王の陰険さは微塵もなかった。

ただ、一人の少女を愛おしげに見つめる、人間の若者の眼差しそのものであった。

「……ミ、レース……あなた、との……有限城……美し、かった……」

その言葉を最後に、ガーヴィの手が力なく床へと落ちた。

彼は最後まで魔王の真の姿を現すことなく、人間の「若き宰相ガーヴィ」の肉体のまま、静かに息を引き取った。

「う、嘘よ……目を開けて……ガーヴィ様ぁぁーーっ!!」

がらんとしたダンスホールに、ミレースの悲痛な叫びだけが虚しく木霊する。

遅れて入ってきたブルドも、静かに仕込み刀を収め、その凄惨な光景を前にして言葉を失っていた。

(……もしかして、コイツは……)

レイは血に濡れた自らの剣を見つめ、立ち尽くした。

魔王ガルブとしての契約や謀略がどこまで本物だったのかは分からない。

だが、最期の瞬間に彼が示したあの行動、あの眼差しは、決して偽装などではなかった。

彼は、一国の支配権や魔王族の復興などではなく、ただ純粋に、ミレースを心から愛していたのではないか。

静まり返った有限城の奥底で、泣き叫ぶ実の妹の姿を前に、レイはただ、何も言えずに立ち尽くすことしかできなかった。

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