二部第二十六話:血脈の再会、冷徹なる暗殺令
第二部第二十六話:血脈の再会、冷徹なる暗殺令
新月の夜を切り裂いた六つの王力の残光が、まだ夜空に微かに揺らめいていた頃。
儀式を終え、張り詰めた空気を吐き出したばかりのレイの元へ、影から滑り込むようにして現れたのはロシェであった。
その精悍な顔はかつてないほど強張っており、額には大粒の汗がにじんでいる。
「殿下……! 父王の元へご案内いたします。他の者たち――特にあの宰相の耳目に気づかれぬうちに、急ぎ、私に付いてきてくだされ!」
ロシェの低く、しかし有無を言わせぬ凄まじい気迫に押され、レイは言葉を挟むことなく静かに頷いた。
ロシェの手引きで潜り込んだのは、教会の礼拝堂の裏手に隠されていた、苔生した石造りの地下道であった。
ひんやりとした死臭の漂う暗闇の中、松明の灯りだけを頼りに黙々と進む。
数々の罠が仕掛けられた迷宮のような隠し通路を抜けた先は、ミレトー王宮の最深部、厳重に閉ざされた一室へと繋がっていた。
扉が静かに開かれ、部屋へと足を踏み入れたレイを待っていたのは、二人の先客であった。
一人は、かつて西の戦場を恐怖で支配した覇王アレクサンダー。
いまや呪紋の毒に侵され、かつての全盛期に比べれば肉体は衰えを見せていたが、その眼光だけは未だに王としての圧倒的な王気を放っている。
そしてその傍らに寄り添うのは、絶世の美貌を持つ王妃レイミア。
彼女の哀愁を帯びた、しかし気品に満ちた瞳には、狂おしいほどの情愛が宿っていた。
レイは、己の内に流れる血が激しく脈打つのを感じながらも、あえて他人行儀に一歩退き、片膝を突いてうやうやしく臣下の礼をとってみせた。
傭兵として、そして「黒い死神」として生きてきた彼なりの、突然の事態に対する戸惑いの表れでもあった。
「――レイスよ。よくぞ、よくぞ無事で生きていてくれた……!」
アレクサンダーは低く震える声でそう言うと、自ら歩み寄ってレイの逞しい肩を掴み、強引に立ち上がらせた。
そしてそのまま、最愛の妻レイミアの元へと導いた。
レイミアは溢れ出る涙を隠そうともせず、細く白い腕を伸ばすと、返り血と泥に塗れた「黒い死神」の身体を、壊れ物を労わるように優しく、しかし引き裂かれんばかりの力で強く抱きしめた。
「私の、愛しいレイス……本当に、よく生き延びてくれました……」
母親の温もりというものを知らずに育ったレイは、その柔らかな抱擁と衣服から香る清廉な香りに、一瞬だけ身体を強張らせた。
あだが、その胸の奥底が不思議と温かい何かに満たされていくのを自覚していた。
「陛下ぁぁっ! アレクサンダー陛下ぁぁーっ!!」
感動の再会に水を差すように、ロシェの背後から転がり込んできたのは、涙と鼻水で顔をグシャグシャにした老兵ハボンであった。
ハボンは床に五体投地するかのように激しく平伏し、大理石の床に何度も額を打ち付けながら号泣した。
「このハボン……! 陥落の夜に殿下を抱いて逃げ延びてより、いつの日かアンクールの再興を、アレクサンダー様との再会を夢見て生きてまいりました……! 夢が、夢が叶いましたぞぉぉっ!」
その姿は、生き別れた親にようやく巡り会えた子供そのものであった。
ハボンのあまりの乱れっぷりに、当の本人であるレイは完全に泣きそびれたというか、首を掻きながら苦笑するしかなかった。
だが、自分を育ててくれたこの頑固な老兵が、長年の呪縛から解き放たれ、本来の君主と再会できたことについては、胸の奥で深く喜ばしく思っていた。
ひとしきり涙が収まった後、アレクサンダーは重い口を開き、これまでの経緯を語り出した。
「お前が生きていると信じ、あらゆる地へ捜索隊を出した。だが、お前の行方はどうしても掴めなかったのだ。特に……魔王界においては、我が捜索隊は悉く異形の魔物に襲われ、生きて戻る者は殆どいなかった……」
覇王としての無念を滲ませるアレクサンダー。
一通りの話を終え、室内に重苦しい沈黙が流れた頃、彼はゆっくりとレイの瞳を見据え、本題を切り出した。その表情には、父親としての情ではなく、冷徹な君主としての血が滾っていた。
「レイスよ。お前が手にしたその『地王玉』の力を以て……我がミレトーを、我が娘ミレースを裏から支配せんとする、あの忌々しき宰相ガーヴィの首を討ち取ってほしい」
その言葉に、レイはふっと息を漏らし、自嘲気味に独りごちた。
「何と……生き別れの再会の涙も冷めやらぬうちに、実の息子への依頼が『暗殺』とはね。恐れ入るお方だ、我が親父殿は」
まあ、最初から甘い親子の団欒など期待していなかった。
とはいえ、こうして自らの生みの父母に会えたこと、その血の繋がりを確かめ合えたことは、彼の荒んだ魂にとって純粋に喜ばしい出来事であったのは間違いない。
それに、あの美しくも不気味な妹ミレースを、魔王族の魔手から奪還することについても、兄として、そして戦士としていささかもやぶさかではなかった。
「話は分かった。……おい、親父。あんたのその身体、不気味な呪紋で蝕まれてるな。俺の地王玉の力で、今すぐその呪いを吹き飛ばしてやるよ」
レイが地王玉に手をかけ、アレクサンダーの胸元に走る漆黒の契約の呪紋を解こうとしたその時、アレクサンダーは鋭い手つきでそれを制した。
「待て、レイス。焦るな……。今ここでこの呪紋が解かれれば、その因果の揺らぎを、魔王ガルブであるガーヴィの奴に一瞬で気取られる懸念がある。奴を討ち取るその瞬間まで、この呪いは我が肉体で耐えてみせる」
王としての誇りと執念を燃やすアレクサンダーの視線を受け止め、レイは小さく唇を吊り上げた。
「――お任せください、陛下」
あえて再び他人行儀な笑みを浮かべ、レイは漆黒の剣の柄を握り直した。
「案内しろ、ロシェ。そのガーヴィって男の元へ」
「ハッ! 宰相官邸までお送りいたします!」
ロシェは深く一礼すると、再び身を翻して部屋の出口へと歩き出した。
レイがその後に続こうとした時、部屋の隅の暗がりに音もなく佇んでいた半冥王族のブルドが、フッと楽しげな笑みを漏らしながら足音もなく後に続いた。
「フフ、面白くなってきましたね、レイさん。王位継承者の初仕事が、実の妹を救うための魔王暗殺ですか。実にお似合いの役回りだ」
「うるせえよ、ブルド。ついてくるなら静かにしてな」
冷たい石廊下を進むレイの胸中には、いささかの不安もなかった。
新月の夜の儀式を経て、このミレトーの地は完全に「地王界」の中軸として固定されている。
レイの胸元に宿る地王玉は、周囲から果てしないほどのエネルギーを吸い上げ、かつてないほどにドクドクと力強く脈動していた。
この領域において、彼の地王力は天王族の加護すら凌駕する、絶大にして絶対的な効力を発揮するのだ。
(魔王ガルブだかガーヴィだか知らねえが……俺たちの世界を、俺の家族を舐めたことを後悔させてやる)
漆黒の外套を翻し、黒い死神は確実なる死を届けるため、偽りの宰相が待つ深奥へと足を進めるのだった。




