第二部第二十三話:喧騒のミレトー、暴かれる王統
第二部第二十三話:喧騒のミレトー、暴かれる王統
ミレトー王国の王都へ足を踏み入れたハボンとゴブリンのゴビンゴを待ち受けていたのは、彼らの想像を絶する驚きと混沌の連続であった。
街の巨大な城門をくぐった瞬間、耳を聾するほどの喧騒と、嗅いだこともない異国情緒に満ちた香辛料の匂いが二人を包み込む。
広大な大通りを彷徨いているのは、人間だけではなかった。
毛むくじゃらの大きな身体を揺らすバグベアの行商人、鋭い眼光を鋭く光らせるリザードマンの戦士、小柄だが強欲そうな顔つきをしたドワーフの細工師。
様々な種族の亜人たちが、互いに肩をぶつけ合いながら平然と行き交っているのだ。
ここは東西の経済と物流の結界点、大陸の中心。
商店の軒先には、絹のように滑らかな東方の織物、妖しい光を放つ魔導具の鉱石、南洋の珍味たる極彩色の果実など、これまでの凄惨な戦場では見たこともない品々が山と積まれていた。
「おいおい……親父、こいつは本当に人間の国なのかい?」
ゴビンゴは褐色の肌を戦慄かせ、荷馬車の列を避けながら呟いた。
ひとまず情報収集の足がかりを得るため、二人は王都の一角に築かれた、ゴブリン族の居住地――通称「ゴブリン街」を目指すことにした。
入り込んだゴブリン街は、決して美しい場所ではなかった。
生魚の生臭い臭いが立ち込め、泥に塗れた木造の家々がひしめき合って酷く荒れている。
しかし、それでもネヴェルの魔王力に汚染されたテルセイの同胞や、リディアの結界に怯えるイスキスのゴブリンたちに比べれば、彼らは天と地ほどの「まともな暮らし」を享受していた。
「――ん? 見ねえ顔だな。そこの、西の方から流れてきた口かい?」
露店で魚のハラワタを捌いていた、隻眼の老ゴブリンが鱗塗れの包丁を止めて話しかけてきた。
ゴビンゴが適当に戦場から命からがら逃げてきたと告げると、老ゴブリンはふん、と鼻を鳴らして笑った。
「ここいらのゴブリンやコボルトは、みんな昔、あの偉大なる『地獄王』に力ずくで服従させられた連中さ。……でもよ、おかげで不毛な種族争いはすっかり無くなっちまった。今じゃみんな、狩猟だの漁業だので生計を立てて、こうして市場で人間相手に商売をしてる。すっかり人間臭くなっちまったよ」
街のゴブリンたちの多くは、魚を獲り、獣を狩り、時には王国の兵士として雇われて給金を得ていた。
概ねミレトーは平和であり、命を使い潰されるような戦は滅多にない。
「なんてこった……」
ゴブリンが人間と同じように働き、平穏に明日を待つ暮らしがある。ゴビンゴはあまりの衝撃に、驚くべきか呆れるべきか分からず、ただ口を半開きにするしかなかった。
「一体、その『グランバード王』ってのは、何者なんだ? どんな怪物なんだよ」
ゴビンゴが何気なく老ゴブリンに問いかけた。
その横で、これまでずっと気もそぞろに王宮の方角を睨んでいた老兵ハボンが、わずかに耳をピクリと動かす。
「さあな、俺たち一兵卒に詳しいことは分からねえが……噂にゃ、十四年前に西の果てから大軍を率いてやってきた、元は人間の奴隷剣士だったらしいぜ。その前はどっかの国の王で...その頃の名は、確か……アレクサン……」
「――ダー、じゃと……っ!?」
老ゴブリンの言葉を遮るように、ハボンが絶叫した。その老いた目玉が文字通り飛び出るのではないかと思うほど見開かれ、顔面はみるみる土気色へと変わっていく。
「まさか……まさか、あの西の覇王が、かつて我がアンクール王国で『最強』と謳われた、あのアレクサンダーだというのか!?」
「おいおい、急にどうしちまったんだよ親父!」
慌てるゴビンゴを他所に、ハボンの全身は激しい震えに襲われていた。彼にとってアンクール王国とは、かつてすべてを捧げて仕えた絶対の祖国。
そして、その国を滅ぼした因縁の歴史の登場人物たちが、このミレトーの地で奇妙に繋がったのだ。
「えらいこっちゃ……! これは何という天の悪戯か! すぐさま陛下に御目通りを願い、殿下の健在をお伝えせねば……! ――いや、いかん! 駄目じゃ、そんなことをしてはあわせる顔がない!」
ハボンは髪を自らむしり取り、一人でブツブツと狂ったように慌てふためき始めた。
「その前に、何としても……何としても『レイス殿下』をお探し申し上げねば、ワシはアレクサンダー様にも、何とお詫びをすればよいか分からん……!」
「待てよ親父、さっきから言ってるその『レイス殿下』ってのは……一体誰のことだ? もしかして、レイのことなのか?」
ゴビンゴが褐色の顔を寄せて鋭く問い詰めると、ハボンは涙と鼻水に塗れた顔をガバッと跳ね上げ、その細い肩を強く掴んだ。
「そうじゃ! お頭などという安っぽい名ではない! あのお方こそ、アンクール王国陥落の血の夜、この老骨が命に代えて抱き上げ、密かに匿ってお育てもうした正統なる王位継承者、レイス殿下その人なのじゃ! ワシは、いつの日にかアンクール王国を再興する……その時のために、殿下を盛り立て、裏で密かに軍備を整えてきたのじゃ!!」
ハボンはそれだけを一気に捲し立てると、ゴビンゴが引き止める間もなく、繋いでいた馬の手綱を乱暴にひったくった。
「ワシは行く! 殿下は南にいらっしゃるのじゃな!? ミュロンの後を追い、必ずや殿下をお連れする!」
狂気にも似た忠義の炎を瞳に宿した老兵は、老体に鞭打って馬の腹を激しく蹴り、砂塵を巻き上げて王都の南門へと全速力で駆け去っていった。
「――は? おい、ちょっと待てって……! クソッ!」
あまりに唐突で衝撃的な告白の連続に、ゴビンゴは完全に呆気にとられ、異臭の立ち込めるゴブリン街の片隅にぽつんと一人、取り残されてしまった。
「……レイス、殿下ねえ。あのお頭が、まさか王様の一族だったとはな」
一人になったゴビンゴは、ぽりぽりと褐色の頭を掻きながら、仕方がなく単独での情報収集を続けることにした。幸い、ゴブリンの姿をしている彼はこのミレトーにおいて不自然に目立つことはない。
彼は人間の兵士たちが集まる酒場の裏口や、亜人たちの闇市をうろつき、尖った耳を澄ませて街の噂を拾い集めていった。
そこで浮上してきたのは、近日中にこの王都で執り行われるという、国家規模の、いや世界規模の「大々的な儀式」の噂だった。
「聞いたか? 王女様のおねだりで建てられた、あの街を取り囲む六つの巨塔……。あれがいよいよ、数日後の新月の夜に一斉に稼働するらしいぜ」
「ああ、世界を分断するほどの巨大な『結界』を張るって話だ。天王族も魔王族、竜王族も、俺たちの国には干渉できなくなるらしい」
人間の密偵たちが声を潜めて交わす言葉は、一兵卒であるゴビンゴの理解を遥かに超えていた。六つの塔、結界、世界の分断。
複雑な理屈は彼には分からなかった。
しかし、ふと街の中心からそびえ立つ漆黒の巨塔群を見上げたとき、ゴビンゴの肉体が、ゾクリと粟立った。
彼の体内の奥底に眠る、リーヴィスから授かった「癒しの天王力」。
それが、街全体を満たしつつある不気味な魔力の脈動に対し、本能的な拒絶反応を示してジリジリと熱く疼いていたのだ。
(理由は分からねえが……何かがおかしい。世界が、とんでもねえ形に変わろうとしてるのだけは、この肌がビリビリ言っていやがる)
相棒のミュロンは狂気に囚われて南へ走り、忠義のハボン親父もレイの出生の秘密を抱えてそれを追った。
そして王都ミレトーには、間もなく世界を揺るがす儀式の時が迫っている。
ゴビンゴは迫り来る世界の崩壊の予感を肌で感じながら、一人、不穏な影が蠢く王都の闇の中へと深く潜り込んでいくのだった。




