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第二部第二十二話:荒野の狂刃、母の残照

第二部第二十二話:荒野の狂刃、母の残照


乾いた砂塵が舞うミレトーの南方の荒野。地平線を目指して静かに行軍していたレイたちの一行の前に、突如として空間を切り裂くような鋭い斬撃が襲いかかった。

風を切る凄まじい風切り音。

レイは超人的な反射神経で上体を僅かに反らし、すんでのところでその凶刃を躱した。

砂を巻き上げて着地した襲撃者を見据え、レイの漆黒の瞳が鋭く細められる。

「見つけたぞ……! この裏切り者めが……!」

双剣を交差させ、鬼気迫る形相で叫んだのはミュロンだった。

返り血と土埃にまみれた前髪の間から覗く彼女の瞳は、嫉妬と憎悪で完全に血走っている。

女性としての気高さは消え失せ、いまや裏切られた愛への執念だけが彼女を突き動かしていた。

「おいおい、待ちねえ。俺は何も裏切っちゃいないぜ!」

レイは両手を軽く挙げ、宥めるように手のひらを振ってみせた。

かつての部下であり、共に戦場を潜り抜けたミュロンと無駄な血を流したくはなかった。

「問答無用だーーっ!」

しかし、ミュロンの耳にはもう届かない。地を蹴り、弾丸のような速度で肉薄する彼女の猛攻に対し、レイはやむを得ず腰の漆黒の剣を抜刀し、その一撃を受け止めた。

キィィィンと高い金属音が荒野に木霊する。

ミュロンは狂ったように双剣を叩きつけてくるが、レイはそのすべてを最小限の動きで、文字通り「軽く」受け流していく。

二人の剣技の実力差は誰の目にも明らかだった。

愛馬アクセルの手綱を握る半冥王族のブルドは、レイの圧倒的な優位を確信し、冷徹にも傍観に徹していた。


「やめてください! お願いです、二人とも!」

剣戟の嵐の中、衰弱していたはずのリーヴィスが、レイの背中から身を乗り出すようにして仲裁に入ろうとした。

その凛とした声に、ミュロンはピクリと眉を跳ね上げ、剣を交えたまま視線をリーヴィスへと向けた。

「元はと言えば……テメェがすべての元凶だろうがよ! レイを私たちの世界から連れ去った、泥棒猫が……っ!」

ミュロンの口から呪詛のような罵倒が吐き出される。

リーヴィスはその憎悪の視線を正面から受け止めながらも、自らの両手でお腹を愛おしげに包み込み、神聖な輝きを放ちながら毅然と言い放った。

「私が気に入らないというのなら、私をお切りなさい! 恨みはすべて私が受けます! ……でも、今はダメです。私のお腹には、レイの新しい命が……子が宿っていますから!」

「おいおい……リーヴィス、今それを言っちゃぁ……」

唐突な告白に、剣を構えたままのレイが困惑の声を漏らす。

だが、その言葉はミュロンにとって、魂を粉々に打ち砕く致命的な一撃となった。

レイとあの女の間に、子供が。

自分がどれだけ焦がれても手に入らなかったレイのすべてを、あの女が手に入れている。

「――この、売女め……! 殺してやる、絶対に殺してやるァァァッ!」

ミュロンの怒りが限界を突破して頂点に達した瞬間、彼女の衣服を突き破るようにして、どす黒い「狂気の瘴気」が爆発的に吹き荒れた。

それは人間が放つ闘気などではない。底知れぬ魔の深淵――魔王母メルフェレーンの残照が、ミュロンの嫉妬心を触媒にして顕現した禍々しい力だった。

周囲の空気が一瞬で腐食するように澱む。ただ事ではない気配に、ブルドが即座に懐から冥王玉を掲げた。

「くっ、この気配は……!」

冥王玉から放たれた冷涼な気が、ミュロンから溢れ出る瘴気を中和していくが、それでも彼女の狂気は止まらない。


「死ねぇぇぇッ!」

超常的な速度へと跳ね上がったミュロンが、レイを無視し、標的をリーヴィスの首元へと絞って突進する。

その速度はもはや、常人の目で追えるものではなかった。

このままではリーヴィスが、そしてお腹の子が殺される。

(――チッ、やむを得ねえ……!)

レイの瞳から一瞬にして情が消え失せ、冷酷な戦士の「殺意」が宿った。

彼はミュロンを確実に一撃で仕留める――すなわち「殺す」つもりで、漆黒の刃の切っ先を彼女の心臓へと真っ直ぐに向け、踏み込んだ。

ミュロンの身体がレイのブレードに貫かれ、確実に絶命すると思われたその刹那。

ドガァァァンッ!!

二人の間に、凄まじい轟音と共に巨大な「戦斧」が頭上から投げ込まれた。

大地が激しく割れ、土砂が跳ね上がる。

その強烈な衝撃波によって、レイの刺突とミュロンの突進が力ずくで引き離された。

「お頭ぁぁー! お久しぶりでやんす! 今日のところは、ここいらで失礼いたしやすぜぇ!」

豪快な地鳴りのような大声と共に、荒々しく馬を駆って乱入してきたのは、巨漢バルトだった。

バルトは巧みな手綱さばきで馬を横付けすると、地面に突き刺さっていた戦斧を引っこ抜き、同時に、狂気で我を失って泡を吹いているミュロンの細い身体を、太い腕で丸ごと小脇に抱え上げた。

「そんじゃ、またっ!」

バルトはそれだけ叫ぶと、追撃の手が及ぶ前に、砂煙を激しく巻き上げながらそそくさとその場から逃げ出していった。

「……ふう。何だってんだ、一体」

遠ざかる砂煙を見つめながら、レイは大きくため息をつき、漆黒の剣を静かに鞘へと収めた。その横顔には、かつての部下の変わり果てた姿への困惑が滲んでいる。

「ふっ……レイさん、なかなかにモテますな」

緊迫した空気が解けたのを見計らい、ブルドが少し口元を緩め、からかうように茶化した。

「冗談はやめてくれ、ブルド。笑えねえよ」

「冗談ではありませんよ。……『情恋』というものは、時として純粋な悪意や憎悪よりも恐ろしい怪物を作り出しますからね」

ブルドの言葉に、レイは眉をひそめた。

確かに、あの瞬間のミュロンから放たれていた邪気と狂気は、ただの嫉妬に狂った人間のそれとしては、あまりにも異質で、只事ではなかった。

まさかミュロンの背後に、あの魔王母メルフェレーンが取り憑き、その魂を操っているとは――この時のレイも、博識なブルドでさえも知る由はなかった。

ただ、かつての仲間が放った、世界の理を歪めるほどの底知れぬ狂気に、二人はかすかな、言葉にできない恐怖の破片を抱くのだった。

「行きましょう、レイ。私たちの目的地は、すぐそこです」

リーヴィスが優しくレイの手を握る。

その手の温もりに、レイは小さく頷き、不穏な影が蠢くミレトーの南方の荒野を、再び歩み始めるのだった。

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