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第二部第十九話:冥王界の僧侶、ミレトーへの歩み

第二部第十九話:冥王界の僧侶、ミレトーへの歩み


激動の戦場を離れ、人跡未踏の荒涼とした岩座の陰で――レイは、いつ以来かも分からぬほどに深い眠りについていた。

先の戦いからこの方、彼はまるで自らの存在証明を刻みつけるかのように、遭遇する魔王族を手当たり次第に、文字通り塵へと変えていった。

その圧倒的な戦闘の連続は、不死に近い彼の肉体と精神にすら、濃密な疲弊の澱を溜め込ませていたのだ。

死んだように眠るレイの、無防備な首筋から頬にかけて、不意に生温かい吐息と、優しく柔らかい毛並みの感触が触れた。

「――っ!?」

鋭敏な戦士の直感が覚醒し、レイは弾かれたように慌てて飛び起きた。同時に、その深緑の瞳が見開かれ、驚きと歓喜が混ざり合った声をあげる。

「アクセルじゃないか! よく見つけてくれたな、お前ーー!」

そこにいたのは、かつて生死を共にしたレイの最愛の相棒、愛馬アクセルだった。

漆黒の毛並みを誇る名馬は、主との再会を喜ぶように低く鼻を鳴らし、レイの胸元に大きな頭を擦りつけてくる。

「……本当に、探しましたよ。レイさん」

アクセルの背から、滑らかな動きで地上へと降り立つ影があった。

それはかつて無王ネヴェラードの無限城で出会った、半冥王族の少年――ブルドであった。

冥王族の血を引く彼の肌は青白く、どこか世俗を離れた冷徹な美しさを湛えていたが、その瞳には理知的で穏やかな光が宿っている。

「おお、お前は……あの時の小僧か」

レイは一瞬だけ身構えたが、ブルドの全身から発せられる空気に、害意や敵意が微塵もないことを即座に感じ取り、ふっと肩の力を抜いた。

「遭遇する魔王族を片っ端から屠っている『黒い死神』の噂は、あちこちで耳にしていますよ。レイさん、どうか僕も、あなたの仲間に加えてください」

ブルドは静かに歩み寄ると、半冥王族としての気高さを崩さぬまま、レイに向かって真っ着くに右手を差し出した。握手を求めるその手は細く、一見すれば戦士のそれには見えないが、内に秘めた冥王力は計り知れない。

「そりゃあ大歓迎だが……いいのかい? お前、冥王界の立場ってやつがあるだろう」

レイがブルドの手を力強く握り返しながら尋ねると、ブルドは薄い唇に微かな苦笑を浮かべ、首を横に振った。

「冥王玉のことなら、あちら側がわざわざ現世まで取りに来るその日まで、僕のものとして保持しておきますよ」

「おいおい、冥王族の揉め事にまでかかずらっている余裕は、今の俺たちにはないぜ?」

「心配ご無用。いざという時は、大人しくその冥王玉をあちらに引き渡せばいいだけのことですから。僕には、この玉よりも大切な目的があります」

「……そういうもんかね。まあ、お前ほどの腕利きが味方になってくれるってんなら、こちらとしてはこれ以上なく助かるがね」

レイは肩をすくめ、ブルドの底知れない、だが奇妙に信頼できる佇まいを受け入れることにした。


しかし、再会の喜びも束の間、レイの視線はすぐに足元へと落とされた。

岩陰の外套の上で、リーヴィスがひどく苦しげに横たわっていたからだ。

かつて純粋無垢な光を放っていた彼女の頬は青白く、激しい吐き気と目まいに耐えるように、お腹のあたりを庇いながら小さく身を震わせている。これまでの過酷な旅の疲弊、そして聖王力と邪王力が混ざり合うこの肉体に訪れた激しい「異変」は、彼女の細い肉体を内側から激しく揺さぶっていた。

「……具合が悪くてね。このまま野宿を続けるわけにはいかない。どこか落ち着ける、身体を休められる場所を探したいんだが……」

レイが、これまでの人生で見せたこともないような痛切に心配そうな眼差しで、リーヴィスを抱き起こす。

「それならば」と、ブルドが即座に言葉を継いだ。

「ここから一番近い国――ミレトー王国がいいでしょう。あそこなら、今のタルカ軍や魔王軍の直接的な大戦火からは外れています」

無限城で高度な学問を修め、特に医学や薬学に深く精通しているブルドは、静かな手つきでリーヴィスの手首を取り、その脈拍を測り、彼女の肉体の気の流れを診察していった。

彼の指先から、微かに冷涼な冥王力が流れ込み、リーヴィスの神秘的な胎内へと触れていく。

次の瞬間、ブルドの知的な 暗灰色の瞳が、驚きに大きく見開かれた。

「……これは、病ではありませんね。レイさん、彼女の身体には今、新しい命が宿っています。――妊娠ですよ」

「何だと……!?」

レイは雷に打たれたように硬直した。

かつて血と闇の中を孤独に生きてきた彼にとって、自分とリーヴィスの間に新しい命が、この混沌とした世界に生まれようとしているという事実は、魂を激しく揺さぶる衝撃だった。

「聖王力と邪王力、その二つの相克する血が混ざり合った彼女の母体は、いま非常にデリケートな状態です。レイさん、ここから術で『転移』を試みるのは絶対にやめましょう。今の脆弱な彼女と、お腹の子供に空間転移の負荷をかけるのはあまりに危険です。地道に、歩いて向かいましょう」

「わかった。お前が言うなら、そうしよう」

レイは固く頷き、少しでも負担を減らすためにリーヴィスを愛馬アクセルの背に乗せようと、その細い身体を壊れ物を扱うかのように優しく横抱きにした。

しかし、それを弱々しい、だが断固とした手つきで制したのは、リーヴィス本人だった。

「……いいえ、レイ。私なら大丈夫です。私の中に宿ったこの子と一緒に、自分の足で歩かせてください……。いきましょう」

リーヴィスは青白い唇に、どこか母性を帯びた愛おしげな微笑を浮かべ、レイの支えを借りて地面に立ち上がった。

その瞳の奥には、弱り果てた肉体とは裏腹に、我が子を守り抜くという決して折れることのない強い意志の火が灯っていた。


レイは、お腹の命を労わるように一歩を踏み出したリーヴィスの歩調に合わせ、その小さな肩を包み込むように隣に並んだ。

そしてブルドは、名馬アクセルの手綱を引きながら、物静かに二人の後ろに従う。

不穏な影が世界を包み込もうとする中、世界の運命と新たなる希望を宿した一行は、覇王の待つミレトー王国を目指し、静かに、一歩一歩、確実に行軍を開始するのだった。

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