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第二部第十四話:満月の鉄鎖、地に満ちる泉

第二部第十四話:満月の鉄鎖、地に満ちる泉


満月の冷徹な銀光が、どこまでも続く赤土の荒野を白々と照らし出していた。

ねじ曲がった枯死の大木。

その忌むべき祭壇へと再び連れてこられたレイとリーヴィスは、頑強な木製の檻の中に押し込められ、幾重もの太い縄で縛り上げられていた。

夜が更け、大気が不自然なほど凍りついたその時。

地響きと共に荒野の闇を裂いて現れたのは、通常の二倍はあろうかという巨躯を誇る、異形の上級魔王族――巨大ラクダの魔獣であった。

その皮膚は岩盤のように硬質で、爛々と飢えに輝く三つの赤い瞳が、檻の中の二人を品定めするように見下ろしている。

口元からはドロリとした不浄な唾液が滴り、周囲の土を黒く腐食させていた。

「こりゃまいったね。これじゃあ、ただの引き締まった極上肉の盛り合わせだ」

身動きの取れない檻の中で、レイは不敵な笑みを浮かべてうそぶいた。

隣のリーヴィスは、恐怖に震えながらも、静かに自らの内なる天王力を練り上げ、その時を待っていた。

魔王ガメルが二人を檻ごと噛み砕こうと、巨大な顎を開いて肉薄したその刹那――。

「――ナメるなよ、家畜風情が」

レイの眼光が鋭く昏い緑に染まった。

彼の体内から爆発的に噴出したのは、世界の底を揺るがす「地王力」。

その圧倒的な波動が一瞬で二人の縄を木端微塵に解き放ち、頑強な木製の檻を内側から爆音と共に弾き飛ばした。

空間が歪み、レイの手の中に、転移の術で呼び寄せた相棒――漆黒の愛剣が収まる。

レイは弾丸のように跳躍すると、魔獣の分厚い毛皮を貫き、その太い首筋へと深く剣を突き刺した。

「グガァァァッ!?」

凄まじい悲鳴を上げ、魔王ガメルは狂ったように巨体を震わせた。

その圧倒的な遠心力でレイの身体は引き剥がされ、激しく地面へと吹き飛ばされる。

「おのれ! 下等な人間め! 我が加護を失い、飢え死にするしかなき虫ケラどもが、この我に逆らおうというのか!」

魔獣の裂けた口から、地を這うような邪悪な言葉が響き渡る。

「ここいらの魔王族は、残らず俺が狩り取ってやる。……新しい『地王』の門出の血肉になってもらうぜ」

レイは口元の血を親指で拭い、獰猛に笑った。

「身の程知らずが。その四肢、引き裂いて狂い死ね!」

魔獣が三つの瞳を血色に染め、呪詛に満ちた紫黒の魔王力を解放した。不可視の重圧がレイの四肢を掴み、肉を引きちぎろうと襲いかかる。

しかし、レイの体内から湧き上がる深緑の障壁――「地王力」がそれを完全に阻み、魔獣の呪いを霧散させていく。

「――いまです、レイ!」

背後からリーヴィスの凛とした声が響く。彼女の白く美しい掌から放たれたのは、幾筋もの白銀の光の矢。

聖なる天王族の光は、魔王族の肉体を焼く絶対的な特効薬だ。

光の矢が次々とガメルの巨体に突き刺さり、肉を焦がしていく。

だが、魔王もさるもの、溢れ出る魔王力で瞬時にその傷を中和し、強制的に肉体を再生させていく。

「小賢しい聖女め! 骨まで溶けよ!」

魔獣の三つの顎が大きく開き、その奥から、すべてを焼き尽くす「燃える黒い水」が激しい濁流となって吐き出された。

腐食の炎を纏った液体が周囲を海のように満たし、レイはそれ以上の接近を阻まれてしまう。


その時だった。

ヒュオオオオッ!!

静寂の荒野に、無数の風切り音が鳴り響いた。

夜空を埋め尽くした鉄の矢が、雨あられと魔獣の巨体に突き刺さる。

「な、何だと……!?」

ガメルが三つの瞳を見開いた。

荒野の稜線を見上げれば、そこには松明を掲げた無数のラクダ人たちの姿があった。

レイたちを売ったはずの集落の民。

あの生贄の少女が涙ながらに長老を説得し、我が子を救われた両親たちが、そして虐げられていた若きラクダ人たちが、ついに奴隷の平穏を捨てて奮起したのだ。

「俺たちの未来は、魔王の施しの中にはない! 闘うぞ!」

フタコブ族だけでなく、いがみ合っていたヒトコブ族の戦士たちも現れ、雄叫びを上げながら長い槍を魔獣の足元へと突き刺していく。

「ウジ虫どもが、反逆かァッ!」

魔獣が激昂し、ラクダ人たちを一撃で消し去ろうと最大の魔王力を練り上げる。

しかし、その足元はすでに、レイの放つ「地王力」の絶対的な支配下にあった。大地の底から伸びる緑の鎖が魔王力の循環を完全に中和し、魔獣の術を不発へと追い込む。

「これで……終いだ!」

ラクダ人たちが道を拓き、リーヴィスの光の矢が魔獣の視界を奪う。

その完璧な刹那の隙を、レイは見逃さなかった。

大地を爆発的に踏み締め、レイの身体が漆黒の閃光と化す。

地王力を限界まで込めた愛剣が、満月の光を反射して美しく、そして冷酷な軌跡を描いた。

ズバァァァンッ!!

激しい肉の断絶音と共に、魔獣の巨大な首が宙を舞い、赤土の地面へと激しく転がった。


静寂が戻った荒野。

魔獣の巨体から溢れ出したのは、先ほどの不浄な黒い水ではなかった。

それは、月の光を浴びてキラキラと輝く、どこまでも澄み切った大地の清水だった。

ボコボコと湧き出る水は、乾ききった荒野を潤し、見るみるうちに美しい巨大な泉へと姿を変えていく。

やがて夜空からは恵みの雨が降り注ぎ、ラクダ人たちの肌を濡らした。

この魔王族は、彼らを支配し自らに依存させるために、この土地の水源を魔王力で封印し、意図的に干からびさせていたのだ。

「おお……水だ……! 本当の、大地の恵みだ……!」

長老が杖を投げ出し、泉の水を手で掬って号泣した。

民たちは歓喜の声を上げ、そして、その奇跡をもたらした一人の人間に向かって、一斉に膝を突いた。

「地王グランバード・レイ! バンザイ! 我らの真なる王、レイ様バンザイ!!」

地を揺るがすような歓声の中、昼間救われたフタコブ族の少女が、泥まみれのレイの胸に飛び込んできた。

彼女は大きな瞳を潤ませると、レイの頬に、熱烈で深い感謝のキスを捧げた。

「お、おいおい……まいったね、こりゃ。傭兵時代もこんなにモテたことはないんだが」

レイは頭を掻きながら、柄にもなくおどけて見せた。

だが、その視線の先――少し離れた場所で泥を払っていたリーヴィスは、フンと鼻を鳴らすと、あからさまにプイッとそっぽを向いてしまった。

その翠玉の瞳には、ほんの微かな、本人すら気付いていない嫉妬の炎が揺らめいている。

翌朝、水と緑の兆しを取り戻し始めた村の入り口で、レイは長老や若い戦士たちと固い握手を交わした。

「レイ様。我らラクダ人一統、これより魔王を廃し、あなたの築く『地王界』の最初の盾となることを誓います」

「ああ、頼りにしてるぜ。……行くぞ、リーヴィス」

「……はい、レイ」

少しだけ不機嫌そうな、しかし確かな信頼をその背中に宿したリーヴィスを伴い、レイは再び荒野の先へと歩み出した。

魔王族の支配を一本断ち切った。

しかし、これは世界を巻き込む大戦乱の、ほんの序章に過ぎないことを、新しき地王は誰よりも理解していた。

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