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第8話 気づかなかった感情

 この感情は何だろう。


 エラは自分の感情に名前を付けることができなかった。

 寮の部屋で机の前に座っていた。机の上には魔族についての本が置かれている。学園の図書館で借りたものだ。

 図書館にはいろいろな本が置かれているが、魔族についての本は少ない。エラが見つけた本も、頑張って見つけた本だった。

 魔族の国は人間の国と表面上は仲良くしていても、実際はあまり良くない。その影響で図書館には魔族の本があまり置かれていないのだ。

 エラは魔族が嫌いだ。幼いころに襲われたからだ。だが、怖がっているだけで、魔族のことをあまり知らないように感じた。

 ルイスは魔族だ。突然、彼が知らない人になったように感じられたが、実際には彼は昔から魔族だ。昔から、何も変わらない。


「魔族が怖いのは、私が魔族のことをよく知らないからだ」


 エラは本を開き、文字に目を落とす。


 魔族とは、この地に神によって生み出された生物の一つである。言葉を喋れる生き物として、人間と魔族が生まれた。

 生まれた当初は人間と魔族は同じ土地に交じって生きていた。

 だが、人間と魔族は仲たがいをした。人間と魔族はそれぞれ、神に願った。人間と魔族は別々で生きたい、と。

 神はその願いを聞き入れ、二つの国を作った。それが人間の国と魔族の国である。

 魔族の特徴として、ツノが生えており、魔術を使えるというものがある。

 ツノの色は魔力量によって異なる。魔力量が多ければ多いほど、黒く染まっている。


 そこまで読んで、エラは気が付いた。ルイスのツノは真っ黒だ。つまり、魔力量が多いということだ。だから、あの誘拐犯の魔族の男たちはルイスに怯えていたのだろうか。

 黒いツノが魔族たちの間で何を表しているのかわからない。力の象徴? 強いから、魔族の間でも恐れられ、敬われているのだろうか。

 本の内容から想像することしかできない。……ルイスに聞いたら、教えてくれるだろうか。

 もう一度、本に目を落とす。そして、ある文章を読んで、手が震えた。


 魔術とは魔力のある者しか使えない。人間には魔力が流れていない。そのため、人間と魔族が交わった場合、人間に魔力が流れ込んでしまう。魔力耐性のない人間は魔力を受け入れることができず、死んでしまう。

 そのため、両国では人間と魔族の結婚は法律で禁止されている。


「そうだったんだ」


 人間と魔族の結婚は法律で禁止されている。それは知っていた。だが、その理由までは知らなかった。

 ……人間と魔族が交われば、人間は死んでしまう。

 それを知っていて、ルイスは気持ちを伝えてきたのだろうか。……知っていても、気持ちを伝えたかったのだろうか。

 胸の前でぎゅっと手を握る。

 もし、自分の気持ちが動いてルイスに気持ちを傾けたとしても……結婚をすることもできず、子をなすこともできない。

 そう考えて、首を横に振る。

 何を考えているの。どうして、ルイスとの未来を考えてるの!

 胸に手を当てると、胸が高鳴っているのを感じる。それでも違うと否定した。

 もし、たとえ、自分がルイスのことを好きだったとしても、彼との未来はない。彼は魔族なのだから。

 そんな当たり前のことを考えて、気持ちがしぼんでいくのを感じた。

 ルイスのことで感情が振り回されているのが気に入らなかった。


 エラは立ち上がり、出かける準備をする。近くを散歩しようと思った。

 服を着替え、鏡を前にして胸元にネックレスを着ける。緑色の石が着いたネックレスだ。

 そういえば、このネックレスはルイスからもらったものだ。

 幼いころ、ルイスはプロポーズのようなことをエラにした。そのときに渡されたものだ。少し大人びたネックレスがエラには嬉しかった。お守りのように毎日身に着けていた。……ルイスが魔族だとわかった今でも。

 ネックレスを指先で触れる。

 このネックレスをくれたきっかけは何だっただろうか。どうして、ルイスはプロポーズをしてくれたのだろうか。思い出そうとしても思い出せない。

 ……その頃から、ルイスは自分のことを好いてくれてたのだろうか。

 胸がぎゅっと締め付けられる。気持ちを落ち付かせるために深呼吸をした。目を閉じると、瞼にある景色が浮かんだ。

 ……そういえば、ルイスと一緒にここに行ったんだ。

 エラは一枚上着を羽織ると、部屋を出た。少し遠出をしよう。

 街に出て一人で列車に乗り、息を吐く。座席に背を預けて、流れていく街並み眺めていた。


「二人は本当に仲良しねぇ」


 声のする方へ目を向ける。そこには小さな子どもと保護者がいた。顔は似ていないので、兄妹ではないのだろう。小さな男の子と女の子が楽しそうに遊んでいる。


「だってぼくたち、けっこんするんだもんね」


 その様子を見て、懐かしく感じる。

 ……昔はルイスともこんな感じだったな。お互いに特別に思っていた。今では大きく変わってしまったが。

 外の景色に緑が増えていく。エラはぎゅっと胸元のネックレスを握り締めた。

 着いたのは森の中にある綺麗な教会だった。


「わぁ……」


 そこでは結婚式が行われていた。森の中にある教会は神秘的な雰囲気がした。

 華やかなドレスに身を包み、綺麗に化粧をした新婦と、髪をまとめ、きっちりとした恰好をした新郎。その周りには彼らを祝福する人たちがいた。


「そうだ。私たちは前もこの光景を見た」


 子どものころ、近くの商店の人が結婚式を行うと聞いて、親に連れられて行ったのだ。そこではよく見知ったお姉さんが綺麗な恰好をしていた。

 みんなに祝福されて、嬉しそうな顔をしていた彼女に憧れたのだ。


『私も、綺麗なお嫁さんになりたい』


 子どもの言った他愛無い一言だった。けれど、ルイスはその言葉を拾ってくれた。

 景色の綺麗なところに連れていくと、彼はエラにプロポーズをしてくれたのだ。このネックレスを持ちながら。


『僕はエラのことが好きだよ。だから、将来結婚しよう。今は婚約指輪を準備できないけれど……その代わりにこのネックレスをあげる』


 ルイスの瞳の色をした石がついたネックレス。エラはルイスの気持ちが嬉しかった。

 ありがとう、とだけ彼に伝えた。エラは自分の結婚相手を決めることができないとわかっていた。ルイスもきっとわかっていただろう。だから、はっきりとした返事ができなかった。

 思い出のネックレスを、エラは今でも身に着けている。そばにあるのが当たり前すぎて、ルイスの悪行が明らかになった後も、身に着けるのをやめることが思いつかなかったほどだった。

 ルイスはあの頃と全く違う人に変わってしまったと思っていた。だが、この前の里帰りでそうではないとわかった。

 ルイスはルイスのまま。自分にプロポーズしたルイスのままだ。

 アルフに対してしたことは許せない。でも――もしかすると、彼とうまく付き合っていけるかもしれない。

 魔族だと知って、アルフの家を陥れて……信じられないこともするけれど、それはすべてエラに関わることだ。もし、ルイスがそういうことをしないように誘導することができれば……それができるのは自分だけかもしれない。

 そうしたらまた、ルイスと仲良くできるだろうか。

 結婚式が終わろうとしている。エラは背向けて歩き出そうとした。


「エラ」


 聞き覚えのある声に呼び止められる。そこに立っていたのはルイスだった。


「ルイス、なんでここに……」

「ここに来るの、久しぶりだね」


 ルイスがふにゃりと笑う。そして、隣に立った。


「懐かしいな。エミリーお姉さんが結婚したときに、ここに来たよね」


 ルイスもあの日のことを覚えているようだ。エラの胸元にあるネックレスを見て、にこりと微笑む。


「そのネックレス。まだ身に着けていてくれて嬉しいよ」

「これは……ルイスとの思い出のものだから」

「そうだね。大切な思い出だ。……じゃあ、約束のことも覚えてる?」

「約束……?」


 何か約束をしただろうか。エラは結婚相手を自分で決められないとわかっていた。だから、ルイスのプロポーズに返事をしていない。何かを約束した記憶もなかった。


「覚えてないかな。……今はまだ婚約指輪を用意できないから、いつか必ず準備するって」

「……あ」


 その言葉を聞いて思い出す。たしかにルイスはそう約束してくれた。けれど、それはおままごとのようなものだと思っていた。叶わない約束だと思っていた。


「エラとの約束を果たしたくて……準備したんだ」


 ルイスはポケットに手を入れると、小さな箱を取り出した。蓋を開けると、そこには指輪が入っていた。ネックレスと同じ色をした石がついている指輪。

 ……本当に、用意してくれたんだ。

 エラはルイスを警戒している。良く思っていないことくらいわかっていただろう。けれど、指輪を用意してくれた。……約束を守るために。


「僕は魔族だ」


 その言葉にエラは顔を上げる。


「僕の父様は厳しくてね。僕の周りには僕を見張る者がたくさんいた。……自由なんて、なかったんだ」


 ルイスは懐かしそうに目を細める。


「人間の振りをして、人間の国に来てからも同じだった。僕は商家の跡取りとして養子に入った。エド父さんが厳しかった。跡取りだからって、できないことがあれば鞭で打って……。服で見えないけれど、僕の体にはいくつもの痕が残ってる。僕には母親という存在がいなかったから、止める人もいなかった。だから、僕は周りの人たちを警戒しながら生きてたんだ」


 エラは両手で口を覆う。ルイスの父親が厳しいことは知っていた。けれど、鞭で打つような体罰をしていたことは知らなかった。……昔からルイスと一緒にいたのに。


「子どもたちのことも、信用できなかった。だから、はじめてエラに会ったときも……本当は少し、警戒してたんだ」

「そうなの?」

「そう。友達になんてなるもんか、って思ってた。でも、エラはいっぱい僕に話しかけてくれた。仲良くしようとしてくれた。僕にそうやって構ってくれる人がいなかったから、少し嬉しかったんだ」


 そう言われて思い出す。そういえば、昔、ルイスは少し素っ気なかった気がする。大人びた子だなと思っていた。警戒されていたことまでは気が付かなかったけれど。


「僕もエラに会いたいと思うようになったころ、エラが姿を現さなくなった。だから、探しに行ったんだ。そうしたら、エラは一人で泣いてたんだ」


 それがいつの話なのかわかった。……エラの母親が亡くなったときだ。


「カルロおじさんにも涙を見せなかったエラは、誰も来ない場所で泣いていた。それを見てね、僕は君を大切にしたいと思ったんだ。僕がずっと一緒にいてあげたいと思ったんだ。笑っているときも、泣いているときも、そばにいたいって」


 その日のことはエラにとっても特別な思い出だった。彼は何も言わず、泣いているエラの背中をポンポンと優しく叩いてくれた。そのときからルイスのことは大切な幼なじみになった。

 ルイスも同じようにあの日のことを大切に思ってくれていた。それが嬉しくて、胸が温かくなる。

 ルイスを見ると、彼は真剣な目でこちらを見ている。


「僕はエラが好きだ。愛してる。だから、僕と結婚して欲しい……って、そう思ってたんだ」


 ……思ってた?


 エラが不思議そうな顔をすると、ルイスは眉を下げる。


「……わかってたんだ。僕は魔族で、エラは人間。結婚することができないことくらい、わかってたんだ」


 人間と魔族の結婚は法律で禁止されている。ルイスは魔族だ。子どものころから、この事実に直面していた。結婚できないことを、エラが意識する前から理解していたのだろう。


「じゃあ、どうしてプロポーズをしたの?」

「エラが好きだから……君に僕の気持ちを知ってほしかったんだ」


 ルイスは指輪に目を落とす。日の光を浴びて、石は綺麗にきらめいていた。


「僕が用意した指輪を、エラが身に着けてくれたら、どれだけ嬉しいだろうって思ってた。僕の気持ちに応えてくれるのを期待した。……でも、それは無理だってわかったから」


 ルイスは指輪の箱の蓋を閉じる。カタンと音を立てて、蓋は閉まった。


「僕の気持ちを押し付けてごめんね」

「…………」


 どうしてだろう、と思った。

 どうしてルイスは魔族なんだろう。どうして、自分は人間なんだろう。

 もし、同じ種族に生まれていたら、こんなことにはならなかったんじゃないだろうか。

 もし、同じ種族に生まれていたら、自分はルイスの気持ちに応えることができたんじゃないだろうか。

 そこまで考えて、理解する。


 ……ああ、そうか、私はルイスのことが好きなんだ。幼なじみとしてではなく、彼に恋をしていたんだ。自覚してすぐに、自分の恋は叶わないと理解するなんて。


 エラはスカートをぎゅっと握り締めた。

 気づけば、結婚式は終わっており、教会にいた人たちはいなくなっていた。


「エラ、帰ろう?」


 ルイスがこちらに手を差し出す。エラはその手を取ろうか悩んだ。けれど、ルイスが手を伸ばして、エラの手を取る。


「手を繋ぐくらい、いいよね?」


 彼は目を細める。目元が熱くなる。

 ルイスのことが好きだと言ってしまいたかった。けれど、彼はエラのことを諦めた。そんな彼を振り回すようなことを言いたくない。

 そうか。ルイスはこの気持ちをずっと抱えていたんだ。

 誰かのことを好きになるのは、嬉しくて、寂しい。

 ルイスが手を引いてくれる。その手は温かかった。

 こうやって彼と手を繋げるのは、あと何回あるだろうか。

 ……絶対に、この気持ちを気づかれてはいけない。

 エラはそう思いながら、ルイスの手をぎゅっと握り締めた。

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