第2話 婚約者の秘密
「……怖い」
エラは一歩後ろに下がって、ルイスと距離を取った。ルイスはニコニコとした笑みを浮かべながら、こちらを見ている。
「エラ、どうしたの?」
「……あなたが怖いの」
「エラ……」
ルイスはこちらに手を伸ばそうとする。
「近づかないで!」
目の前にいるのは誰だ。ルイスの皮を被った化け物にしか見えない。
また一歩下がる。このまま逃げてしまおうとしているのが伝わったのか、ルイスはエラの手首を掴んだ。
「逃げないで、エラ。僕は君に嫌われたくない」
「やめて、手を放して!」
恐ろしさのあまり、息が荒れる。浅くなる。
「私の記憶だって、消すんでしょ!?」
「消さないよ」
「嘘、信じられない……!」
「……消せないよ。落ち着いて、エラ。過呼吸になってる。息を吸って」
「放して、お願い……っ」
息が苦しい。上手く息ができない。ルイスから逃れようと手を大きく振り回す。だが、ルイスの手は力強く、離れてくれない。
「手を放すから。逃げないで。大きく息を吸って」
ルイスは落ち着いた声で言う。その声は妙に優しくて、エラはわけが分からないまま、大きく息を吸った。
「そう、息を吐いて」
ゆっくり息を吸ったり、吐いたりしていると、気持ちが落ち着いてきた。顔を上げると、ルイスが心配した面持ちでこちらを見ている。でも、胸の奥にある恐怖は消えない。
「何もしないよ。何もしないから……寮まで送っていい?」
静かにうなずくと、ルイスはゆっくりと手を放した。彼はエラの前を歩き出した。
無言で歩くルイスのあとをついていく。彼はエラがちゃんとついてきているか、何度も振り返って確認する。けれど、何も喋らない。こんなに静かなルイスは初めてだった。
「僕はね」
ルイスがぽつりと話しはじめる。
「僕は自分の意志で人間の国に来たわけじゃない。連れてこられたんだ。養父になった人間の父親は跡継ぎの僕に対して厳しくて、この国に来たことを何回も後悔した」
ルイスの父親は厳しい人であることをエラは知っていた。そんな養父に対して、ルイスが我慢強く応えていたのも知っていた。
だから、ルイスを応援したいとも思っていた。
「でもね、君に出会えたから。今は、この国に来れてよかったと思ってるよ」
ルイスがこちらを振り向く。緑色の瞳には灯りが反射して煌めいているように見えた。
彼はにっこり微笑むと手を振った。
「おやすみ、エラ。良い夢を」
気づけば、寮の前にいた。エラは何て答えたらいいかわからないまま、彼に背を向ける。寮に入る前にもう一度、彼の方を見る。彼は優しい笑顔のまま、ずっと手を振っていてくれていた。
寮の玄関に入ると、エラは扉に背をもたれて息を吐いた。
「どうして……」
ルイスが魔族だった。ずっと信じていたのに。
裏切られたような気持ちが消えない。明日からどのように接すればいいだろうか。できるなら、会うのは避けたい。
その場でしゃがみこみ、大きく息を吐く。今日のことが夢であればいいのに。そう願わずにはいられなかった。
神話の話では、神は人間と魔族を同時に創り出したと言われている。だが、神は二つの種族を二つの国に分けた。きっと、上手くやっていけないと思ったのだろう。
エラは神の判断にとても感謝していた。魔族は危険で、恐ろしいもの。近づいてはいけない。神の判断の通り、人間と魔族は離れて暮らすべきなのだ。……そう思っていたのに。
夜は眠れなかった。ルイスのことを考えていたからだ。
どうしてルイスが魔族なのか。本当にあれはルイスだったのか。叶うなら、夢であってほしい。そんなことばかり考えていた。
眠い目をこすりながらいつものように寮を出ると、ルイスとアルフが寮の前で待っていた。
「エラ、おはよう」
ルイスが普段と変わらない様子で挨拶をしてくる。
「………っ」
昨日の恐ろしさが押し寄せてくる。何も言えずに立ち尽くしていると、アルフが顔を覗き込んだ。
「エラ、どうしたの?」
ルイスが見えなくなって、ふっと息がしやすくなる。できるだけ、ルイスの方を見ないように、アルフの方だけを見た。
「アルフ、行こうか」
「え、あ、うん」
アルフは不思議そうな顔をしながらもうなずいてくれた。
登校している間、話しているのはルイスとアルフだけだった。エラは二人の会話を笑顔でうなずきながら聞いているだけ。
「エラはどう思う?」
「へ?」
ルイスに声をかけられ、目を向ける。いつも通りのルイスだ。それなのに、恐ろしさと不安が胸を占める。
「私は……」
エラは思わずアルフの陰に隠れてしまう。
「……ごめん。話、聞いてなかった」
ルイスは黙り込む。
「何で、アルフばっかり……」
小さくそう呟くと、彼は話を変えた。
「…………」
アルフが気にしたようにこちらの様子を窺っている。気づいていたが、いつも通りに振る舞えなかった。
「じゃあ、またお昼休みね」
二人はエラを教室まで送り届けると、自分たちの教室に向かっていく。二人に手を振ると、エラは席に座った。
「はぁ」
朝の登校時間だけで、すごく疲れたような感じがした。体が重く、ため息ばかり出てしまう。
机の上でうつぶせになり、目を閉じる。瞼の裏側に映るのはルイスの姿だった。
今朝のルイスはいつも通りだった。異常なほどに普通だった。それがまた怖かった。ルイスだけだったら、彼を避ければいい。だが、アルフもいる。彼にルイスとの関係性を疑われないようにするには、どうしたらよいだろうか。それとも、ルイスとぎくしゃくしていることを伝えた方がいいだろうか。
「……きっと、アルフは話を聞いてくれるよね」
優しいアルフは、きっとエラの話を聞いて、気を遣ってくれるだろう。だが、気を遣わせていいものだろうか。
……どうしたらいいか、わからなかった。
エラはもう一度、大きく息を吐く。そして、体を起こして一限目の準備をしようとした。
「エラ」
目を前に向けると、そこにいるのはアルフだった。
「アルフ? どうしたの?」
カバンを持っていないので、一度は教室に行ったのだろう。それなのにまたエラの元に戻ってきた。
「ルイスと喧嘩した?」
「うっ……」
アルフはにっこり微笑むと、前の席に座る。
「正解だった?」
「喧嘩、ではないけど……。ちょっとね」
「話は聞かせてくれないの?」
アルフはまっすぐこちらを見ている。彼に全部話してしまいたい気持ちになった。だが、彼を巻き込むわけにはいかない。どう伝えたら良いだろうか。
「……ルイスが隠し事をしててね。それが、私には受け入れられないことで……どうしたらいいかわからないの」
抽象的なことしか伝えられなかった。だが、アルフはそれ以上聞こうとせず、腕を組んで考えてくれる。
「なるほどね。受け入れられないことか……」
「そうなの。隠してたことがショックで……」
「だからルイスの様子がおかしかったのか」
「え?」
「気づかなかった? ずっとエラのことを窺っていたよ」
「そうなの?」
「そう。チラチラとエラのことを見てた。飼い主のご機嫌を窺う子犬のように」
気が付かなかった。今後、彼をどう避けたらいいか考えていたからだ。
「俺はルイスの気持ちがわかる気がするな。エラに拒絶されたら、落ち込むからね」
その言葉を聞いて、昨日のことを思い出す。ルイスが魔族だと知って、思いっきり拒絶してしまった。彼も傷ついているのだろうか。
「どんな内容かわからないから、何とも言えないけれど……。受け入れられなくても、理解できなくても、仕方ないんじゃないかな」
アルフはゆったりとした口調で言う。
「ルイスと距離を取りたいなら、そうしてもいい。俺は二人が仲良くしているのを見るのが好きだから、一緒にいてほしいと思うけどね。強要はしないよ」
アルフはそう言って立ち上がる。そして、ポンポンとエラの頭を撫でた。
「ゆっくり考えてみて。俺はエラの味方だから」
彼はそう言うと、手を振って教室を出ていった。エラは撫でられた頭を触れる。
……ルイスは魔族だ。とてもじゃないが、今までと同じように仲良くできると思えない。けれど、心配した面持ちでこちらを見ていたルイスを思い出す。
人を襲うのが魔族だ。だが、ルイスはエラを心配してくれていた。
「……どっちが本当のルイスなんだろう」
……ルイスとどう接したらよいか、わからなくなった。
お昼休み、食堂へ行こうか悩んだ。食堂に行けば、ルイスと会うことになるだろう。アルフも一緒にいる。彼らの前で普通にしていられる自信がない。
「でも、ずっと避けてなんかいられない……」
意を決して立ち上がると、クラスメイトに話しかけられた。
「エラさん」
見覚えのある生徒だ。彼は確か、ルイスと仲が良かったはずだ。
「今からお昼?」
「うん、そうだけど」
「じゃあ、これをルイスに渡しておいて」
渡されたのは紙の束だった。
「これは?」
「ルイスに言われて、調べてたんだ。少し前から起きている失踪事件のことだよ」
失踪事件と聞いて、エラには思い当たることがあった。それは最近騒がせている事件のことで、人間の国の人がいなくなってしまうといったものだ。いなくなった人は基本的には戻ってこないが、たまに魔族の国で見つかることがある。彼らが言うには、誘拐されて連れて来られたということだ。だが、証拠が見つかっていない。魔族の国はこのことを不法侵入だと騒いでいる。人間側としては頭が痛いことだ。
……もしかして、ルイスはこのことに関わっている?
昨日、遭遇した魔族の集会では『任務』という言葉が出てきていた。それに関連することなのだろうか。
「じゃあ、渡しておいてね」
クラスメイトは手を振って教室を出ていく。エラはその紙の束をじっと見つめると、そっとカバンの中にしまいこんだ。
食堂に行くと、アルフが入り口で待ってくれていた。だが、いつもいるはずのルイスの姿がそこにはない。
「ルイスは?」
「今日は用事があるって言っていたよ」
その言葉を聞いて、ホッとしてしまう。できればルイスとは顔を合わせたくなかった。
「ホッとした?」
「ちょっとだけね」
学園の食堂は使う生徒が多いため、とても広い。エラたちのように自分で料理をしたことがない商家の坊ちゃん、お嬢様がいるからだ。それにお弁当を持参していても、食堂で食べる生徒もいる。
カウンターで食事を受け取り、空いている席に座る。
「そういえば、アルフ」
「何?」
アルフは食事を口に運びながら返事をする。
「最近起きてる失踪事件のことって、何か知ってる?」
アルフはピクリと体を揺らした。
「どうして?」
「ルイスが調べてるみたいなんだ」
「ルイスが? どうしてまた、そんなことを」
「わからないの。私もその理由が知りたくて」
アルフは何か考えるように下を見る。だが、すぐに食事を続けた。
「ごめん。俺も詳しく知らないんだ」
その態度が素っ気なく感じた。いつもなら、もっと真剣に話を聞いてくれるはずだ。だが、話題を避けた。まるで何かを隠すように。
「そっか」
深入りせず、そう返事をして話を終わらせる。
エラは食事を取りながら、そっとアルフの方を見る。彼と目が合わない。彼もまた、ルイスのように何かを隠しているのだろうか。……けど、それを暴くのが怖い。
「アルフ」
「ん?」
アルフが顔を上げる。彼は何でもないように、柔らかく笑う。
「今日、用事があるから、先に帰って」
「わかった。ルイスにも伝えておく」
それ以上の会話をしないまま、二人は食事を終えた。
放課後、エラは一人、教室に残った。誰もいなくなった教室で、クラスメイトから受け取った紙の束を覗いてみる。そこには失踪事件のことが書かれていた。
失踪事件がはじまったのは一年前。そのころから魔族の関与が疑われていた。
数年前から、魔族が人間の国に入り込む事件が起きていた。エラが幼いころ、誘拐されかけたのもそうだ。
だが、魔族がどのように国に入り込んだのかがわかっていない。人間の国と魔族の国の境界には門がある。魔族も人間もそこを経由してしか、互いの国に入ることができない。そもそも、魔族はあまり人間の国に入りたがらない。そのため、もし、人間の国に魔族が入るようなことがあったら、門番たちが把握しているはずだ。だが、人間の国で捕まる魔族たちは門番たちが把握していなかった。
魔族が人間の国に入り込んだ方法がわからないということは、魔族たちが人間を連れていくことも簡単だということだ。
一番有り得えるのは、輸出品に紛れるというもの。その資料にはそう書かれていた。
「輸出品ってことは……荷物の中?」
人間の国と魔族の国は表面上、仲良く交易をしている。人の行き来は頻繁じゃないが、物の行き来は盛んだ。人が紛れ込むのであれば、商品の入っている箱に入り込んでしまえばいい。
「でも、そんなこと可能なのかな」
エラは商人の子だが、魔族の国とは取引をしていない。ルイスの家も同様だ。国境の門でどのような検閲が行なわれているのか、エラは把握していなかった。
「こういうのはアルフが詳しそうね」
……でも、聞いてもいいものだろうか。アルフは何か隠しごとをしているように見えた。それが何かわからない。ルイスのように恐ろしいことを隠しているかもしれない。
「……それでも」
何か悩んでいるのなら、力になりたい。自分はアルフの婚約者なのだから。怖い気持ちを消して、なんとか気持ちを奮い立たせる。
アルフの家は魔族の国から商品を仕入れている。彼も跡継ぎだ。きっと詳しいだろう。
紙の束をカバンの中にしまう。明日、ルイスに渡せばいいだろう。
エラは立ち上がると、教室を後にした。
男子寮に来ると、寮母に声をかけた。アルフを呼んでほしいと頼めば、すぐに呼んできてくれる。
「エラ、どうしたの?」
「アルフに聞きたいことがあるの。ちょっといい?」
アルフを連れて、寮の近くにある庭まで歩く。この庭は学園の生徒たちがよく使っている。主に互いの寮に入れない男女が会うために使われることが多い。エラもルイスやアルフと話すとき、よく使っていた。
寮母が育てている花壇を背にするようにベンチが設置されている。エラはそのベンチに座ると、隣にアルフが座った。
「どうしたの? 用事は終わった?」
「ううん。用事の途中」
「聞きたいことって、用事に関係すること?」
「そう。……アルフ、何か抱えているのなら、教えてほしい」
「どうしたの、急に」
エラはカバンから紙の束を取り出した。その紙に目を向けながら口を開く。
「お昼に話した失踪事件について。その紙に詳しく書いてあったの」
「……そうなんだ」
アルフの声が強張った。
「失踪した人たちは魔族の国で見つかっている。でも、どうやって魔族の国に行ったかわからない。荷物に紛れていくのが怪しいって意見があって」
アルフは何も喋らない。エラはそのことを気になりながらも、言葉を続ける。
「人間の国から魔族の国へ向かう荷物といえば、輸入品。そう考えると、魔族の国と商売している商家が怪しい。だからね、アルフに聞きたくて。どうやったら、荷物に人を入れることが……」
「エラはさ、自分が違う家に生まれたら、どうなってたかって考えたことがある?」
「え?」
突然、話を変えられて戸惑う。顔を上げるとアルフがまっすぐこちらを見ていた。
「俺はさ、自分が違う家に生まれたらってよく考えるんだ。商家の跡継ぎじゃない自分。跡継ぎだからっていっぱい勉強させられたけど、もし違ってたら、もっと自由だったんじゃないかなって思うんだ」
日が暮れはじめた。アルフの黒い髪が赤色を反射する。
「でもね、そのことを考えるたびに思うんだ。違う家に生まれてたら、エラと婚約できなかったって」
アルフは何を伝えようとしているのかわからなかった。目を瞬かせるエラを見て、彼は優しく笑う。
「エラ。俺は君が好き。人に優しくて、甘い君が好き。行動力があって、自分の思うように進んでいく君が好き。俺は君に出会えて、幸せだったんだ」
「アルフ、どうしたの?」
エラの言葉に応えない。アルフは隣にあるエラの手を取った。
「俺が君の幸せを願ってること、君のことを大切に思っている人がここにいること……覚えておいて」
アルフはそう言うと、エラの指先に唇を落とした。その唇はそっとエラから離れていく。
「愛してるよ、エラ。これからも、ずっと」
アルフはエラの手を放すと立ち上がった。その目はもうエラを見ていなかった。
「君の質問には答えられないよ。ごめんね」
それだけ言って、彼はその場を立ち去ってしまう。
「アルフ……!」
声をかけても、アルフはもう振り返らなかった。
アルフに何かあったんだろうか。
朝、アルフは寮に顔を出さなかった。だアルフはルイスが来ない日もいつも必ず迎えに来ていた。欠かさず、毎日。
一人で学園まで登校する。一人で登校するのは慣れていなかった。
「あれって……」
その日は妙に周りの目が気になった。……みんながこっちを見ているような気がした。
「ねぇ、聞いた?」
女生徒の話し声が聞こえる。
「――アルフの両親、捕まったらしいよ」




