第17話 願い
その場にいる全員が扉の向こうに釘付けだった。
青い鱗を持った長い体に二つの手。顔からは長い髭が流れ、黄色の瞳が鋭く光る。龍の形をした生き物が扉の奥に鎮座していた。
「あなたが……神?」
エラが問いかける。龍は口を開かずに答える。
『いかにも』
口から言葉を発さずとも、その声は聞こえた。教会全体に低く響く声に、無意識に体が震える。
「神だ……神がいるぞ……!」
一人だけ、興奮したように頬を赤らめ、輝いた瞳を神に向けている。バートはエラから手を離し、一歩、また一歩と神に近づいていく。
『止まれ。魔族。扉の向こうは神の世界。入れば、塵にするぞ』
神の言葉を受け、バートは足を止めて、その場に膝を付いた。
「おお、神よ。私の願いを聞いてはくれませんか」
「なりません! なりませんよ、神よ! その者の願いを叶えてはいけません!」
騎士の団長は慌てた様子で神にそう言う。だが、神は騎士の方を見なかった。
バートは顔を輝かせる。そして、意気揚々と願いを伝えた。
「この世界にいる人間をすべて消してほしいのです!」
神はすぐに言葉を発さなかった。じっとバートを見つめ、何かを考えている。バートの期待した表情を見て、神は言葉を発した。
『……それがそなたの願いか』
「はい!」
『そうか。……それは残念だ』
「へ?」
『われは人間と魔族は仲良くなってほしかった』
神はバートに向かって指が三本しかない手を向ける。その手のひらは光を帯びた。それを天へと向ける。
『われの願いが叶わぬのであれば……両方を消すまでだ』
天に光が放たれると同時に地響きがした。
「何だ!」
地面が揺れる。大きな揺れだった。とても立っていることができず、みなが地面に膝を付ける。
「団長、あれ……!」
教会の外では空が厚い真っ黒な雲に覆われ、風が強く吹き荒れている。それは竜巻となり、木々を折り、巻き込んでいた。
「何だ、これは……」
「神の災いか……!?」
「全員中に入れ! 扉を閉めろ!」
「扉を複数人でおさえるんだ!」
魔族たちは圧倒的な災害に身を守ろうと動いていた。
神の手がまた光を帯びる。その手のひらはバートに向けられていた。
……バートが狙われているっ!
「危ない!」
光線が龍の手から飛び出る。エラは思わず、バートを押した。光線はエラの右胸を貫く。
「ぐ……っう……」
服は焼かれ、焼けただれた肌が露出している。撃ち抜かれた右胸からは大量の血があふれ出る。エラはその場に崩れ落ちた。
「エラ!」
ルイスがエラの方に駆け寄ってくる。バートは神の御力に怯えたようにエラを見ていた。
「どうして、僕を庇って……」
「死なせるわけに、いかないから……」
「え?」
「魔族は怖い。でも、死なせたら、だめだから」
バートがこのまま死ねば、エラは助かるかもしれなかった。だが、ルイスを大切にしたいと思った。ならば、魔族を怖がってばかりではいられない。
「魔族にちゃんと向き合おうと、思ったから……っ」
エラはうずくまりながらニッと笑う。
「あなたの思い通りになんて、ならない」
「…………」
バートが黙っていると、ルイスが彼を押しのけ、そばに来てしゃがんだ。来ていた上着をエラの肩にかけ、問いかける。
「エラ、大丈夫? 痛いよね?」
「痛い、痛いよ……」
エラがそう言うと、ルイスは一度目を閉じ、そして、目を開いた。その瞳は緑色に怪しく揺らめいた。
「……殺してやる」
「ルイス?」
「あいつを殺してやる」
ルイスの手が光る。そして、神に向かって炎を発した。だが、その炎は扉をすり抜ける前に弾かれて消えた。どうやら、神に攻撃は届かないようだ。
「ルイス様! 何をなされるのです!」
団長がルイスに言う。だが、その言葉を無視して、ルイスはエラの方を向いた。エラの腕に必死に治癒の魔術をかける。
「ルイス、だめだよ……神に攻撃しちゃ……。世界が消されたら、どうするの……?」
ルイスは暗く淀んだ目で微笑んだ。
「関係ないよ。エラがいないこの世界なんて、滅べばいい」
エラは焼かれていない方の手を伸ばし、ルイスの髪を撫でた。
「私がいなくても……あなたのいる世界だから……なくなってはいけないのよ」
治癒の魔術を使ってくれてはいるが、空いた穴は塞がらない。少し痛みがマシになるだけだ。痛みが和らぐと意識が遠のきそうになる。
「ダメだ、エラ。目を閉じてはダメ……!」
ルイスは必死にエラを揺すり起こす。その間、神は何も攻撃をして来なかった。
『人間よ』
神が言葉を発する。
『なぜ、魔族を助ける』
エラは目を神に向けた。そしてその目を細めた。
「魔族は、怖い存在。……でも、怖がってばかりではいけないの。私はルイスのことを知っているつもりで、何も知らなかった。……だから、相手のことをもっと知りたい。……できるなら仲良くなりたいの」
神は一度黙った。そして、言葉を発する。
『そなたが扉を開いた者だな。そなたの願いを申せ』
「鍵を使って扉が開かれても……もう、誰の願いも叶えないで」
エラは荒い息を吐きながら、胸元で両手を組む。
「いなくなってもいい種族なんてない。理解できなくても、分かり合えることはある。人間だって、魔族だって、一人は寂しい。誰かといたい。そうやって愛を求める生き物なんだから。……ともに生きていくことはできるわ」
ルイスがそうだったように、ほかの魔族もいろいろなことを考えて生きている。何が正義だなんて、人によって違う。完全に否定することはできない。
「私は、人間も魔族も、幸せになる世界を作りたい」
『…………』
神は手を挙げる。エラの体が浮かび上がった。
「エラ……!」
神の手から光の粒子があふれ出た。その粒子はエラを包み込む。温かかった。光の粒子が肌に触れると、痛みがなくなっていく。エラは自分の肌を見て、思わず目を大きく開いた。
「怪我が……」
光の粒子が触れたところは、怪我が治っていた。空いた穴は塞がり、焼けた肌は元に戻っていく。まるで魔法だった。
光の粒子が消えると、エラはゆっくりと地面に足をつけた。どこも痛くない。不思議な感覚だった。ルイスがエラに近づいて、大切なものを扱うように抱き寄せる。
『人間よ』
神がエラに問いかける。
『それがそなたの望みか』
エラはルイスの手を取り、握り締めた。
「そうよ。……私は大切な人と一緒にいたい」
神は目を閉じる。
『われは人間と魔族を創った。二つの種はそれぞれにないものを持ち、互いに協力し合い生きていた。そして、一組の夫婦が現れた。……二人はとても幸せそうだった』
神は目を開け、エラとルイスを見る。
『……そなたたちは、その夫婦のようだ』
片手をあげると、光の粒子が飛び出した。その粒子は教会内を埋め尽くし、外へとあふれ出る。
神の姿は光の粒子に包まれ消えた。
人間の国から魔族がいなくなった。
「人間の国に魔族がたくさん入り込んでいたらしいよ。怖いよね」
「でも、国を挙げて調査をして、入り込んでいた魔族を国に返したんでしょ?」
「その中に隣のクラスのやつらもいたとか……」
「え、それはたしかに怖い」
エラは無事、教会から帰ることができ、いつも通りの生活に戻った。
授業後の教室で、女子生徒たちが先日起きた事件について話している。彼女たちだけではなく、ほかの生徒たちもその話題を口にしている。
教会に入り込んだ魔族が人間を消すことを目論んでいた。だが、それは魔族の騎士たちによって制圧された。それを機会に今の魔族の王であるリンネルが人間の国に入り込んだ魔族たちの回収を行なったのだ。新たな王の試みを人間の王も支持した。そのため、戸籍の登録方法が怪しいものを洗い出し、魔族の国の戸籍と照合したという。
「新しい魔族の王様って優しい人みたいだよ。前の王様は怖い人だったみたいだけど」
「前の王様はどうして死んだの?」
「……噂によると、暗殺された、とか」
魔族の国の王の突然の代替わりは人間の国の中でも動揺が走った。だが、新しい王は人間のために魔族の回収をし、国の境界の門での検閲を厳しくした。これで魔族が人間の国に入り込むことはなくなっただろう。
新しい魔族の王は少しずつ人間の信頼を得ているようだ。
女子生徒の一人がエラに目を向ける。
「それにしても、ルイス、最近見ないね。どうしたんだろう」
人間の国にいたほとんどの魔族が国に帰された。それはルイスも同じだった。
「――エラ」
教会での騒ぎが落ち着いたあと、教会の人間側の入り口から人間の騎士たちが現れた。魔族の騎士たちによって、今回のことが知らされたという。
人間の騎士、そして魔族の騎士たちに取り押さえられ、バートたちは捕まった。
「きっと、両国は力を合わせて人間の国にいる魔族を国に帰らせることになるだろう。そうなれば、僕も人間の国にはいられない」
ルイスはエラの手を取った。優しくエラの手の甲を撫でる。
「僕は魔族の国に帰るよ」
目元が熱くなった。涙が出そうになった。だが、堪えた。
「ルイス、あのね。私……ルイスが……」
「僕はエラのことを愛しているよ」
ルイスはエラの手を持ち上げると、その指に指輪を通す。それは以前、ルイスがエラのために用意してくれた指輪だった。
「これは君にあげるよ。……僕のこと、忘れないでね」
ルイスの手が離れる。エラはルイスの方に手を伸ばそうとしたが、ルイスを掴むことなく下ろした。胸元でぎゅっと両手を握りしめる。
「ルイス。好きだよ」
エラが涙をこらえて言うと、ルイスは微笑んだ。
ルイスはエラの瞼に唇を落とす。こうやって触れられるのは最後だろう。
「僕も。エラのことが好きだよ」
こうしてエラとルイスは別れた。もう会うことができないだろう。
教室に残っていた生徒たちは帰っていった。エラは一人、教室に残っていた。静かな教室では、窓から風が入りカーテンが揺れた。エラはその風を感じながら目を閉じる。
こうして待っていれば、いつもルイスが迎えに来てくれた。
――エラ、帰ろう?
ふにゃりと笑いながら、彼は手を差し出してくれる。エラも微笑んでその手を取り、一緒に帰る。そんな幸せが、かつてはあった。……けれど待っていても、もう誰も迎えには来ない。
一人になってしまった教室でエラは呟く。
「ルイス、また会いたいよ」
自分の薬指についている指輪を指でなぞる。ルイスの瞳と同じ緑色をした石がついた指輪。ルイスが別れ際にくれたもの。これは約束のような気がした。また会うという約束。それが叶わないことくらいエラにはわかっていた。
けれど、信じるのは自由だ。いつかルイスに会えると、信じていたい。
エラは荷物を手に取ると、一人で教室を出た。
空気は暖かい。学園の花壇には花が咲いている。空は青く、雲ひとつない。エラはすっかり緩んだ空気を吸いながら、寮へと歩いた。
ルイスがいなくなってから、三か月が経った。エラの周りにはもう誰もいなくなった。アルフもルイスも。一人になっても、エラは独りぼっちだとは思わなかった。きっと薬指に着いている指輪のおかげだろう。
しばらくしたら、実家に帰省する予定が入っている。きっと婚約者の話だろう。ルイスのことを大切に思っているから、すぐには受け入れられないかもしれない。断ったら、父親を困らせてしまうだろうか。
……けれど、ルイスを待っていたいと思うから。
遠くに金色の髪の人がいた。綺麗な金髪を見ると、ルイスを思い出す。ふと目に入った髪色に小さく笑う。
……また、ルイスが帰ってきたのかと思っちゃった。
彼が帰ってくることはないとわかっているのに。こうして彼を思う日々はいつまで続くだろうか。
指輪を見ながら歩いていると、声をかけられた。
「エラ」
聞き覚えのある声。エラは思わず足を止めた。
「久しぶりだね、エラ」
金色の短い髪に、緑色の瞳。優しく目が細められる。
「ルイス……? ルイスなの……?」
「会えて嬉しいよ、エラ」
エラはルイスに駆け寄った。そして、その胸に飛びつく。温かかった。ふわりとルイスの匂いがした。ここにいることを感じられて、目元が熱くなる。
「ルイス! ルイス……!」
「ただいま、エラ」
涙が零れた。別れのときは何とか我慢できたのに、今回は我慢ができなかった。ボロボロと涙が頬を撫でる。ルイスは体を離し、エラの顔を見てふにゃりと笑う。
「泣き虫だね」
「だってぇ……」
「待たせてごめんね」
ルイスはトントンと背中を叩いてくれる。その優しさに、エラは涙が止まらなかった。
泣き止んでから、エラたちは寮の近くにある庭へ向かった。ベンチに腰を下ろすと、ほっと息を吐いた。
「ルイス、どうやって帰ってきたの? どうして帰ってこれたの?」
「教会での一件、僕が騎士に進言しただろう? そのことがね、今の王であるリンネルに伝わったんだ」
それを聞いて思い出す。バートは第三王子であるリンネルが次の王になったと聞いたとき、すぐにルイスの関与を疑った。リンネルとルイスは親密な関係だったのだろうか。
「リンネルは同母の兄弟なんだ」
エラの心を読みすかしたのか、ルイスはそう答えた。母親が同じということは、ほかの兄弟よりも交流があったのだろう。
「それでね、リンネルが言ったんだ。『神の世界に繋がる扉を開けた者が、ルイスと一緒にいたいと願ったと聞いた。ならば、神はルイスとその人が一緒にいることを望むだろう』って」
「それって……」
「今の僕には人間としての戸籍がある。これがどういう意味かわかるかい?」
ルイスは立ち上がると、エラの前で膝を付いた。
「エラ。僕と一緒に生きてくれる?」
エラの左手を手に取る。
「実はもう、カルロおじさんに挨拶してきたんだ」
「お父さんに?」
「……そう。エラをお嫁さんにしたいって」
ルイスはそう言いながら、緑色の石がついた指輪を指先で撫でる。
「エド父さんは説得済みだよ」
「エドさんに会ったの?」
「会った。怖かったけど、カルロおじさんと仲がいいから、特に反対されなかったから、拍子抜けしたよ」
「そっか」
ルイスは養父と上手くいっていない。それなのに、ちゃんと向き合った。……私のために。
「けれど、カルロおじさんには、エラの気持ち次第だって言われちゃった。だから、エラ」
ルイスの熱い視線がこちらをまっすぐ見る。
「……君の気持ちを聞かせて?」
エラは頬が熱くなるのを感じた。ぽろり、ぽろりと涙が零れでる。
「もう、また先回りして……ルイスは抜け目ないんだから」
また涙を流しながら、ルイスの手を取る。
「私も……私もルイスと一緒にいたい!」
ルイスは立ち上がる。そして、エラの顔に唇を寄せた。エラの唇とルイスの唇が触れる。柔らかい感触。二人で顔を見合わせて笑った。
「おかえり、ルイス!」
「ただいま、エラ」
ルイスはエラを抱きしめる。そして、彼はふにゃりと笑うと、眉を指で触った。
次が最終話です!
よろしくお願いします!!




