59:結婚のための最後の試練
ワルツの曲が流れるなか、ワイングラスのようなコップの下の部分をアイシアは持って、そのコップの硝子越しに話しだす。
「凄く楽しいパーティーで、一緒にデザートでも食べたいところだけど……、ほら、あそこのテーブルを見て、グレース様がいらっしゃるわ。戦いにいくのでしょう?」
来賓用と思われるテントの下に、薄い紫のドレスを着て、大きな花をあしらった帽子をかぶる妙齢の夫人の姿があった。
「ありがとう……アイシア、行って来るわ」
彼女はゆっくりとした動作で、手はアイシアとギリギリまでつなぐように、隣の席の女性と談笑をしているグレースを見ながら前へと進んで行く。
丁度、エルウィンもドルイドから話を聞いたところだったのか、ルルカが彼の腕に触れると、強い眼差しでうなずいた。
行き先に迷いがないように、人混みの中をスルスルと進んで行く。
そんな彼の後ろに隠れる様に、ルルカは彼のすぐ後ろを歩いて進む。
そんな彼らに会場中から、多くの視線が向けられていた。
視線の中、テントまで辿り着いたエルウィンは、机の奥へと回りこみ、グレースの対面側へとルルカと共に立った。
グレース夫人は、少しふくよかさはあるが、ブラウンの髪を編み込み、年老いた顔に皺は刻まれていても、それが彼女の歴史として自身の価値を高めている事を知っている女性。
そんな生き方をされただろうと、その瞳が彼女達に想像させる女性が、そこに座っている。
「あら……」
二人を見定め、そう呟くと、相手の女性に目くばせを送る。
「あら、長居し過ぎてしまったわ」
相手の女性は素早くそれを察知し、答えた。
「そうね。そうかもしれないわね。続きはまたの機会に話しましょうか」
「ええ、楽しみにしているわ。では、また」
「またね」
挨拶も早々に、女性は早々に立ち去っていく。
恋人たちは、そんな彼女の前に立つと、深々と礼をする。
「お久しぶりね、エルウィン。こんなに元気に育って、女の子がほっておかなかったでしょう? でも、貴方が選んだのはその子なのね」
「グレース様、お久しぶりです。夏の疲れが出る季節ですが、お元気そうな顔が見られて安心いたしました。グレース様の事だから知っておいででしょうが、俺の最愛の人、ヘンゼル家の伯爵令嬢、ルルカです」
「ルルカ ヘンゼルです。お目にかかれて、光栄ですわ」
「私も……、最近、噂によく聞く、貴方がたと、ここで出会えて光栄だわ。
あんなに可愛らしかった赤ちゃんが、逞しくなり、冒険譚を引っさげて、自分だけのお姫様を連れて来る。
まるで、子ども頃よく見たおとぎ話をみている様よ。
歳はとりたくないものだけど、月日を重ねると、貴方がたのようなふたりに会える楽しみも起こるわね」
ルルカとエルウィンは、彼女の情報の収集能力に驚き、どう答えていいものかと、顔を見合わせた。
そんな初々しい二人を見て、グレースは口もとを綻ばせる。
「ルルカさん、歳をとった女の利点をもう一つ教えるわね」
「そんなグレース様は、お若いですわ……」
「まだまだ、って付けないところが、初々しさであるわね。
そんな貴女には、まだまだ先の話だけれど、聞いてちょうだい。
若い男性を顎で使うのもいいものよ。
特に、騎士、彼らの騎士道精神は素晴らしいものだわ。
ふふふ、エルウィン、もうおばちゃんは歩くのに疲れたわ。
だから、私とお嬢さんと貴方の分のケーキを取り分けて貰って来て頂戴。
お願いできるかしら?」
女性は、王家の嫁ぎ、今なお名家と名高いノア家の大きな発言権をもつ、そんな目の前の偉大な女性には有無を言わせぬ貫禄があった。
そしてエルウィンには、ルルカに寄せる信頼と、どんな結果になっても彼女を手放さないという覚悟があった。
「グレース様、やっと口説きおとしたのです。いろいろ知っているからと言って、彼女に変なことを吹き込めば、グレース様でも許しませんよ」
「そんな事しないわよ。貴方が小さい頃は信じられない程、可愛らしいお顔だったって知ってるのでしょう? この子は」
「いえ、俺は普通の子どもでした。では、行ってきます」
「あら、可愛らしいかったわよね……。……あら、あの子、私を恨めし気な顔して歩いて行ったわ。ほんと、珍しい」
彼女は日頃、知る事のないノア家の様子に、目を見開いて見ていたが……。
グレースの視線が、彼女に移れば、自分が見定められていると、改めて思い知り背筋を伸ばす。
「どうぞ、ルルカさん」
そう、促されるまま、ルルカはグレース様の前に座る。
ルルカを、グレースは興味深げに見つめている。
「あの子、恋に浮かれてるわね。余程、貴方が好きみたい。
貴方は前のお相手とは、破談になったと聞いているわ。
そしてすぐにあの子と、恋仲になった。
その事について話して頂戴。ロマンには、目がないのよ」
ルルカはなんて話して良いか悩み、下を向く。
「許婚との関係が破談については、相手がいる事ですので……、そう考えためらうこと自体、貴族としては甘いのでしょうが……」
「どうかしらね? それは貴方次第、何を守りたいか明白にしておかなきゃ、すべて無くす事もあるかもね」
「そうですね……。そうは考えていますが……」
「結婚の約束を破棄した相手は、騎士でその名誉を守りたい? 甘いわね。きれいごとだわ。貴方とあの子はそこを突かれる事になるのよ。わかっている?」
「それはわかっています」
顔を下に向け、それだけが精一杯と体を小さくした。
そんな彼女の様子を、グレースは黙ってみていた。
「貴方は、そういう人生を送るの?
人と人のつながりを大切にして、時には手酷く裏切られながら、尚も人を信じて生きていく……。
これからの人生、身分や、地位に群がり、貴方の人生を食い物にしようとする人々が、数多く現れるわ。
……なら、割り切る方が楽よ。
彼らとはそういう関係なのだと……。すべてには心を許しはしないわと……」
うつむく彼女は、胸に手を置き、前を向いた。
「そうであったのなら、私は彼の前から身を引くべきだと思います。
彼が騎士であるのなら、きっと大切なものは私と同じで、彼も人を信じ上手くいかない事もあるはずです。
裏切られるのは、とても、心が痛いですわ……。けれど、彼の隣で笑っているためには、限られた人だけでも、信じなきゃ……。と、そう思うのです。
それに、私は、錬金術師です。人々の為を考えて、薬を作る。
その仕事に誇りを持っています。
一度だけの失敗で、くじけていたら何もなしえません。トライアンドエラーを繰り返し、彼の役に、いつかなってみせますわ」
そう、ルルカが言うと――。
「案外、貴女、根性論者なのね。錬金術師はみんなそんな傾向なのよね……。何故かしら?」
ルルカ自身も、エルウィンの将来の事なので、いつになく力説してしまった事に改めて気付いて、思わず顔が熱くなる。
そして少しぬるくなったアイスティーを、思わず口にした。
そんな彼女を見ながら、グレースが楽し気に微笑む。
「甘いわね。でも、若さには必要な甘さだわね。
それを食べて、夫、子供、そして貴族の屋敷をきりもりしていくのね、貴女は。
まぁ、先は誰にもわからない。
だから、困ったら、一族の誰かにちゃんと言うの。貴女をノア家に迎え入れるわ。
だって、そうしないと、エルウィンは待ちきれなくて、家を出て行っちゃいそうだもの」
「さすがに、そこまではしませんよ」
ルルカの後ろから声がした。
振り向けば、エルウィンがお皿を一皿持って、後ろに立っていた。
「ウェイターに止められてね。グレース様のケーキだけ持たせて貰いました」
そう言って、彼は机の上に、白いクリームが少しだけのったチーズケーキを置いた。
「全部のせて貰えば良かったのに……。そして貴方は座らなくていいわ。若いのだしふたりで食べたいでしょう?」
「ええ……、まぁ」
「まぁ、聞いた? ルルカ、実はこういう子なのよ? 突拍子もないし、本当に困ったものね……。本当にもう、ふふふ、では、楽しいんでらっしゃいな」
そう言われ、手で追い払われてしまった。
多くの人が行き交う中、ふたりはテントへ向かう途中でウェイターから、ケーキを受けとる。
それを持って、木陰に置かれたベンチへと座る。
木の間から木漏れ日が降り注ぎ、緊張して固まった心を溶かしてくれる。
ふたりは、無言でしばらく食べていた。
「安心しました」
「俺も、今までで何より嬉しい」
……大袈裟ですわ。そう言葉が浮かんだが、黙っていた。
そして「ふふふ」と、お腹の底から笑いが溢れ出て、二人でちょっとだけ、不気味さとして差しさわる程、……。それだけ緊張していたのかもしれない。
◇◇◇
甘いケーキを食べている間、心当たりのある人物は見つけられなかった。
両親は薬不足と、冬特有の病に備えるために来る事は叶わなかった。
後は、彼の両親と、人だかりを眺める。
「ノア家の待機所へ行こうか。ダンス会場を突っ切った方が早いし、数曲踊ってから行こう。妹たちと、アンドリューの顔を見て来なければ、何を言われるかわかったものじゃないしね」
「まぁ、それは大変。一曲踊ってから行きましょうか。妹さんも、師匠もお待たせするのはよくありませんわ。
「ン……、そうだね」
二人は立ち上がり、自然と腰を支えられ、輪の中へ入っていく。
ダンスの会場の外側は、グルグルと目まぐるしく男女が踊る、華やかな世界。
長身のエルウィンにリードされると、手は指先までのびやかに、足は大きな歩調、小さな繊細な歩調が自然とできている様に思えて、心まで躍るよう。
「一緒に練習した成果は、出ていますでしょうか?」
「十分出ているよ。だからこそ、君が誰かにダンスを申し込まれても、有無を君を連れ去りたくなってしまうのではないかと思うんだ。特に、今日は特にね」
「ハッ、今日だけなのか?」
そう言うだけ言って、アンドリューは凄い早さで、過ぎ去って行った。
「まずいなぁ……」
「ネイス将軍のお嬢様ですわね……」
ルルカと、エルウィンはしばらく通り過ぎた。
アンドリューに、しばらく目が釘付けになっていた。
彼と一緒に踊っているのは、カサブランカ三年のジュリアだった。
赤いウェーブのある髪を一つに纏め、細身のオレンジ色のドレスをそつなく着こなしている。
彼女は(攻)魔術部に所属していて……、確か副部長だったはず。
そうなら、魔法部の練習場をお借りした折に……。
『俺にまたもや弟子が出来たぞ! 数えられる程度しか、女性徒は居なかったが、見込みのありそうな奴だけ弟子にしてきたから……』
そうアンドリュー師匠は言ってたはず……。
たぶん、十中八九当たりなのだろう。部活に所属していないアンドリューと日常一緒にいる、エルウィンが驚きの表情で、ふたりを見つめているところをみると。
しかし、彼の向こうでもう一人、まるで、敗戦の将のような顔つきでアンドリューを見つめている方が……、ネイス将軍その人で、あの方は騎士となるエルウィンより遥か上の上官に当たる。
あはは……と、なんとも言い難い笑みをルルカがこぼせば、エルウィンは振り向いて肩をすくめた。
続く




