53:彼らの退場
少しだけ時は遡り、アルセス家の食堂だった場所。
多くの使用人が暮らし、働いていたこの場所だったが、今はもう数えるを程しかその姿を見る事はない。
しかしその僅かに残った使用人でさえも、アルセスの一族がこの屋敷を旅立つ二、三日中には、新たな場所へ旅立つ事になっている。それについて遺恨を残さない様に、特別の配慮があったようだ。
フレットは部屋から出て、ここへ来るまでに歴史のある家具たちが、白い大きな布で包装され、今にも運び出されるのを待つだけになっている。
彼が立ち止まったその場所の前には、数少ない包装されていない家具の一つ、ダイニングテーブルのセットが寒々しい、その部屋にドカーンと存在を主張していた。
彼の対岸の場所には、今やほどんど話す事がなくなっていた弟が、無言でパンを食べている。
彼らが挟むそのテーブルの上には、無造作に置かれた紙袋。
その口からは、幾つかのパンがのぞいている。
隣には、重ねられた木の皿が置かれている。
フレットは椅子に座り、袋を引き寄せるとパンを取りそのまま食べ始めた。
パンをちぎる兄と、何か言いたげに座っている弟。
そして両親は王室からのアルセル家の運命を伝える書簡が届いてから、父は酒を飲むことに明け暮れ、母はそんな父を見捨てた様に実家へと、帰郷の話しをつけきたようだ。
見る限り、あの父の言葉通り生きて来た母が、数少ない財産について有利に事を運んでいる。
母は、それしか生きるすべを知らなくて、父に従っていたのではなく、今までの生き方が母なりに息子を手駒にした生存戦略だったようだ。
そして今回――。
母の兄から送られて来た、手紙には『息子を寄越す様に』そう書かれていたそうだ。
それはそうだろ母は、同じ伯爵の称号を受けた家から嫁いで来たが、今や、婚家は称号を取り上げられ、行く当てのない状態。そんな理由で帰ってくる妹を、伯父は何と思うか、わかりきった事だろう。
不名誉な過去だけ持つ母を、向かい入れるその代わりに、働き手や、いろいろな思惑でフレットを呼び寄せて元を取る。もしかしたら、拒む父を見越しての、手がみなのかもしれないが。
フレットから見れば、父はこの世界から逃げようとしていて、母は婚家を離れても同じ事を繰り返しである様にしか見えない。
すでに、アルセル家の名はついえている。
なら、ここまで、守るに値しない家族にはつき合えない。
ただ――。
そして元伯爵家の嫡男だった彼は口を開いた。
「ガロット、行く当てはあるのか?」
最後に残る。血のつながった家族に声をかけた。
彼だけでも、助けることはできないだろうか……?
おこがましく、身分不相応の思いを、現実を生きる弟が打ち砕く。
「僕も、アルセス家から出て行くことにしたよ。もう婚約者がいて、兄が怒り狂った夜に、彼女の両親が望んだ、旧貴族派の遠い親戚の家との養子縁組の話に承諾する事を、心に決めた。
ルルカ様がいても、リスレイを認める兄さんを恨んだ事もあった……。
けれど……、今は感謝しかしてないよ。だから、今の家族らしいままでお別れをしよう。
僕に、兄さんのためにできることは、何にもないんだ。
それがきっと僕らのためになる。兄は才能を、僕は彼女を掴むために、……残念だけど、家族は邪魔だ。
だから、これでお別れだ兄さん、お元気で……」
フレットはパンをちぎる手を止め、幼い頃から一緒にいた弟を見つめた。
ガロットはフレットと違い、騎士を目指さず、違う校舎で学んでいた。
だが、ガロットが何を専攻していたのかさえ、フレットは知る事はなかった。
そういうことは、いつも、彼女が……。
「おめでとう。そうか……。言ってくれたら、もっと……できたことはあったかもしれない。……すまない、全ては、言い訳でしかないな」
彼はパンをテーブルに置き、そう伝えた。
彼の意地で、お別れであったから……。
「僕は伝えようとしたし、寂しくもあった。
兄さんはいつも、自分の事しか見てなかったね。もちろん、忙しいのは知ってたさ。
結局、フレット兄さんも両親と変わらないな、って思ってたけど、あの夜、兄さんでさえ、犠牲者と知れて嬉しかったよ。リスレイとお幸せに」
「お前も元気でやるといい、困った事があれば出来る事はする」
「もういいよ、僕はなんとかなる。もう自由になって……」
名残り惜しげにな表情が、最後にフレットの心に残り、扉は、ガタン!と乾いた音をたてて閉まった。
一人残されたフレットは、パンを全て食べ終えると、テーブルの上を手でさっと払う。
そして彼はパンを一つ、袋から取ると、その場を後にしたのだった。
◇◇◇
そして川の支流の流れは本流へ、時間は正しい時間軸へと戻り進み出す。
校庭から校門へ。
歩きなれたカサブランカの道を、フレットは一人歩く。
校庭の木々は、まだ青々と葉が覆い、花壇は秋の花が咲き誇る。
どこからともなくトンボがやって来て、ふたたびどこかへ飛んでいく。
彼が予想してた通り、兄の言葉を聞いても、ルルカはあの部室から出て来ることはなかった。
取り次いでくれたアッシュ様は、彼の前にふたたび姿を見せると、首を横に振っただけ。
こちらが勝手に、最後って理由だけで、彼女に気持ちをぶつけた。
彼女の兄には、罵、あざ笑う権利さえあったはずだ。
「元気でやれよ」
やはり、彼の口から出た言葉は、温かい言葉だけで、彼を憎む事さえも許されなかった。
フレットの背中に触れた手は温かく、気遣う気持ちさえ感じられた。
それは知っていた。あの兄妹の本質を……。
そして慣れ親しんだカサブランカを去る前、校門前で動く影は、その顔を上げた。
重い門、学校名の書かれたその台に、もたれ掛かりリスレイが待っていた。
彼女は、一人歩く彼の姿を確認すると、すっと自立するし、口元が緩む。
本当に、しょうがない奴で、仕方がない奴だった。
「ルルカお姉様との、お別れはすんだ?」
「あぁ、出て来てくれなかった。わかりきった事だ」
だが、そうやって終わりを迎えなければ、何も始められない。
そんな自分を憎んだ事もあった。
「へぇー」
そういう彼女は、フレットまわりを歩きまわり、彼の様子を観察していた。
「はぁ……、お前の喋り方が庶民のようだぞ?」
「私たちはもう庶民ですよ。でも、本当に私が付いていっていいの? 駄目と言われてもついていくけど……」
不貞腐れように言うリスレイ。そんな所が嫌いだ。
「うるさい。行くのは辺境だ。お前も、俺の死ぬ事になるからな、それは本当にわかっているのか?」
「死にたくなーい! だから、フレットも死なないで。でも、死ぬなら……優さ……」
「うん?…………」
「フレットは馬鹿だと思って……、自分を破滅させた女を連れて行くなんて、馬鹿の馬鹿よ!」
「馬鹿だから連れて行くと、結論が出ているなら、わざわざ言うな、お互い様なんだから。それでも……馬鹿で、無駄な物のために、俺の人生が壊されたと思いたくない。だから、行くぞ! もう黙れ!」
そう言って歩き出す彼の腕に、リスレイは絡みつく。
「離れろ」
「庶民の兄妹は、こんなものよ」
「…………」
フレットはリスレイを、疑わしく見つめていたが、ため息をつきそのまま歩き出した。
◇◇◇
フレットの家族は離散した。
――子どもの頃、ヘイゼル家の兄妹は羨ましかった。弟は母に甘やかされていたから、俺の気持ちを知る者は居なかった。
その前に現れたリスレイは、甘やかされ、メイドにも横暴な態度だった。
リスレイはとても、馬鹿な子どもだった。
焦燥感に駆られながら、全てを壊そうとしていた。
誰も信じない。そんな目をしていた。
そんな目を知っている。
綺麗に笑う……彼女の……心をどう抱きしめていいかわからない。
そんな日々の中で――。
緑の瞳が何が欲しいのか、自分の事の様にわかった。
欲しかったものを彼女のもとへ、降り注げばいつか、壊してしまいそうな、彼女の心へ触れられるような人間になれるかもしれない。
そう思ったが……。
結局、自分の事だけしか考えてはいなかった……。
だが、一度始めた事だ。
すべてが塵の様に霧散した今、その先を見てみたい。
ただ、それだけ。
◇
そして、フレットと、リスレイはそれぞれ鞄一つだけを持ち、辺境の地へと旅立った。
続く




