60.精霊祭(6)
―― この岩を超えれば、共和国?
私は、目の前にそびえたつ壁のような岩壁を見上げる。ところどころに木が植わっているけれど、大絶壁じゃない? 高さも50f以上あるのではないかしら? この岩壁の向こうに行ってしまったら、私はどうなるのだろう? 今までの暢気な気持ちが消えて不安がよぎる。青い釣鐘水仙が固まってあちこちで風に揺れている。香りも魔力もない不思議な花。昔、釣鐘水仙の花畑には絶対に行かないようにとお婆様に言われたことを思いだす。帰ってこれなくなるって言っていなかったっけ?
―― やはり、この岩壁を超えるわけにはいかない。アレクが来るまでここに踏みとどまらなくては!
心に誓うけれど、どうすればガッシュさんを立ち止まらせることが出来るかしら。私は岩壁をじっと見てもいい考えが浮かばない。
―― アレク! ぐずぐずしていないで早く来て!
強く強く念じるしか出来ない。
「大昔、魔女がこの杜を守るために建てた城壁が岩壁になったと言われている」
ガッシュさんが立ち止まって振り返ると、珍しく声をかけてきた。
「え?」
話しかけてきたことに驚いて、思わず聞き返してしまった。私の驚きの顔を別の解釈をしたのかガッシュさんの口角があがる。
「迷信だと思うか?」
探るようなそれでもって僅かにからかう様な顔で聞いてくる。からかわれたのかしら? それとも、私にも同じ能力をあるかと遠回しに聞かれたのかしら? 私は慎重に答えを探す。
「ガッシュさんは、私にそんな力があると思いますか?」
「ある。お前は『杜の魔女』だからな」
私はゆっくりと首をふって目を伏せる。私に城壁を作る魔力なんてない。期待されても困る。
「私には、そんな力はありません。魔力量は人並みで、レッドウルフに結界魔法を破られてしまいました」
「ふん。誤魔化すために手を抜いたのだろう」
「そんなことはありません。試してみますか?」
私はため息をついて、ガッシュさんを見た。
「そう言って、そこから出て逃げようというのか? 浅はかな奴だ」
ガッシュさんは、全く私の言うことに聞く耳を持ってくれない。
「お前には杜を支配する力がある。それで十分だ」
「だから、違いますってば!」
「同じだ。お前が頼めば、竜も精霊も動かすことができる。そうだろう?」
「……」
ガッシュさんは、昨日の出来事を知っているんだわ。
「……、昨日、ガッシュさんは見ていたのですか?」
「当然だ。お前のせいで計画が狂ったが、面白いものを見ることが出来た。お前さえ手に入れれば、竜も精霊も世界も手に入れられる。きっと義父上もお喜びになるだろう」
「……でも、私は昨日の記憶がないのです。何があったか教えてもらえませんか?」
「ふっ。見え透いた嘘をつくな」
鼻で笑うと、ガッシュさんは前を向いた。私に話してくれる気はないらしい。私はがっくりして、まわりをみた。
―― アレク! 早く来なさい!
私の心の中の怒りに呼応するように、目の前の岩の陰で何かがキラリと光ったような気がする。私はガッシュさんにばれないように目を瞑って五感を集中させる。すると、今度は微かに薔薇の香りがするような気がしてきた。ここへ来るまでの道では薔薇を見かけなかったし、ここには薔薇は咲いていない。ということは、エリック様?
―― どうすればいい?
必死に考える。でも、檻の中にいる私にはどうすることもできなかった。檻をぐいぐい押してみても、ふわわんとクッションを押し込んだ様なあいまいな反発が返ってくるだけ。うーん、これって、どうやっても逃げられない仕組みになっているようだわ。でも、出来るだけ、ガッシュさんから離れようと、後ろに重心を置いてみる。檻はピクリともしない。それでも背中で檻を押し続けてみる。
私が檻の中で一人悪戦苦闘してる中、ガッシュさんは、岩をペタペタと触ったり、蔦をどかしたりして何かを探している。「あった」と小さく呟いて、岩の隙間から何かを探し出した。
―― この岩を通り抜ける扉か通路があるのかしら?
幾重にも植物が重なっている岩を眺める。ぱっと見た感じでは、普通の岩にしか見えない。どこに入り口があるのだろう? 私が目を凝らして岩を眺めていると、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「ほう、そんなところに隠していたのか」
「??」
ガッシュさんが慌てて後ろを振り返った。私も声がする方を見る。少し離れた岩の陰から黒い髪の人物が現れた。アレクだ。そんなところにいたの? いつから? そこにいたのなら、もっと早く助けに来なさいと言いたいところだけど、ここはぐっと我慢する。
「なぜ、ここが?」
目を大きく開いたガッシュさんの声が上ずっている。今までのガッシュさんとは違ってひどく動揺している。
「お嬢が、ぐずぐずしていないで早く来い!って呼ぶからな」
アレクは抜き身の剣を肩に担ぎながら、悠々と近寄ってくる。
ガッシュさんが短く「ちっ」と呟くと、アレクに向かって走り出した。カキーン、カキーンと短剣とアレクの剣がぶつかる。私は手を握りしめてはらはらしながら見ているしか出来ない。
「仲間はすべて捕まえた」
「くそっ」
「あきらめろ」
「だれがぁぁぁ?」
ガッシュさんが短剣を押せばアレクがさっとかわす。アレクが剣を振り下ろせば、ガッシュさんが飛んで退く。でも、所詮短剣と剣の戦い。いくらガッシュさんが俊敏に動いても、少しずつ逃げ場を失いつつある。
「お嬢を閉じ込めている鍵を渡せ」
「はぁ? 何を寝ぼけたことを!」
「ならば力づくでも奪ってやる!」
「はぁ……はぁ…… やれるものならやってみろ! 杜の魔女も道連れにして死んでやる!」
「やめろ!」
アレクからすばやく離れると、ガッシュさんがポケットから何か取り出した。そしてぐいっと引っ張る。私が入っている檻に、がくんと衝撃が走る。まずい! ガッシュさんのところに引っ張られてしまう! 私はぎゅうとしゃがみこむ。無駄な抵抗だってしてみる! 抗って見せる!
…… あれ? 檻は思った以上に動かない。私の抵抗がうまくいった? やっぱりしゃがむのがよかったのかしら? そう思ったけれど、それが間違いだとすぐに分かった。薔薇の香りがする。後ろを振り向くと、杜から薔薇の蔓が伸びてきて、檻に絡みついていた。薔薇の香り、伸び続ける蔓。すぐにピンとひらめいた。これは、エリック様の薔薇の魔法!
「なんだぁ!!」
ガッシュさんがひどく驚いた声をあげて、私がはいっている檻を凝視した。その一瞬の隙をアレクが見過ごすはずもない。薔薇の蔓越しに、短剣は空に投げ出されガッシュさんが倒れるのが見えた。
薔薇の蔓はどんどん広がり…………、次第に蔓から葉が広がり、真っ赤な花を咲かせ始めた。ますます強い薔薇の香りが広がる。
サクサクっと地面を踏む音がするから音のする方を見る。杜の中からエリック様が優雅にゆっくりと現れた。手には、薔薇の蔓を持っている。エリック様は檻の前に立つと、独り言のように囁いた。
「この檻は急激な温度変化に弱くてね。ただし、加減が難しい。間違うと中にいる人間を殺してしまう」
―― こ、殺してしまう?
物騒な言葉が耳に入る。エリック様が、少し口角を上げてにっこりと微笑んでいる。絶対、ミザリさんにほいほいとついて行ったことを怒っている。だって、目が怖いもの! 私は思わず手を組んだ。
「ごめんなさい!!」と私が叫ぶのと、七竈のリングを握りしめてエリック様が氷魔法を唱えたのが重なった。
パリパリパリと音を立てて凍りつく薔薇。薔薇に絡まれた檻も凍りつき視界が真っ白になる。
―― ひゅあ。冷たい!!
冷気が檻の中にも入ってくる。このままだと私も凍ってしまうわ。どうしたらいいの? 私は思わず結界魔法を唱えるけれど、檻の中では無効化するらしく、魔方陣が出来る以前に霧散してしまう。
もう一度エリック様が魔法を唱える声が聞こえる。すると、パリンという音と一緒に薔薇と檻が砕け散った。私は座り込んだまま、すとんと地面に落ちた。私はがたがたと震えてうずくまってしまったけれど、悲鳴を上げなかっただけ褒めて欲しい。
「だから言っただろう? 俺は薔薇の魔法が得意だって。……それで、何が『ごめんなさい』なんだ?」
すごくいい笑顔のエリック様が手を差し出してくれた。私は、その手をとり、立ち上がった。なんだか、エリック様がとても大きく見える。
―― ここで、ぐずぐず言い訳をしたら負け! 言い訳をしたら負け!
優雅にスカートを摘まんで頭を下げる。とびきりの余所行きの笑顔を作って笑って見せる。私は妙な対抗心を燃やしてエリック様の前に立った。私を怖がらせるために絶対にわざと『殺してしまう』などと言ったんだわ。悔しい。
「ありがとうございました。おかげで助かりましたわ」
エリック様の方が、少し困った顔をする。私は首を少しかしげた。
「……かなり小さいような気がするが、何があった?」
確かに、私が顔をあげても、エリック様の胸くらいの高さしかなかった。
「檻に小さくなる魔法がかけられていたそうです」
「そうか。それで、ローゼも小さくなってしまったというわけか」
「はい」
「しかし、小さくなった割には、全然気にしていないようだが……」
「私には、偉大な魔法使いが味方についていますから問題ありません」
「偉大な魔法使いねぇ」
「はい」
私はにっこりと笑った。なぜかエリック様が少し照れている。ううん、ここは勘違いさせておこう。私の言う偉大な魔法使いはファニール様達竜なんだけどな。
「……、ところで、ローゼ、あいつは誰だ?」
ガッシュさんを縛り上げているアレクを指した。
「私の専属の元護衛です。一緒に家出をしてきた仲間で、あの魔女の家を用意してくれていた人物です」
「そうか。探している兄弟子というやつか」
「はい。共和国に仕事で行っていて、昨日戻ってきたと聞いています。エリック様はアレクと一緒にここに来たのでは?」
「いや。違う。俺は泉の奥で髪飾りを見つけて……薔薇の魔力を頼りにここに来た」
「薔薇の魔力?」
「ほら……」
エリック様が近づいて、とても優しく私の髪や耳を触る。そこは髪留めがあった場所。エリック様が触ると、ふわっと薔薇の魔力が集まってくる。薔薇のクロッシェの魔力が髪や耳についていたんだわ。
「手をだしてごらん」
私が手を出すと、そこに、集めた薔薇の魔力をそっと乗せてくれた。薔薇の魔力はすうっと空気中に溶けていった。私は、思わず両手を握りしめた。




