53.白来路花の行方(9)
「ロ……ゼ……」
遠くで私の名前を呼ぶ声がする。
――邪魔しないで。私はじっと隠れているのだから。
真っ暗な世界で小さく小さく丸くなりながら、私はまどろむ。ふと、誰かに呼ばれたような気がして目をうっすらとあける。
――ほんの少し薄明かりが差し込んでいるような……。
まわりがぼんやり見える灰色の世界。どうしたのかしら? 私は首をかしげながら目を擦る。敵意ばかりの真っ暗な闇の中にいたはずなのだけど……。 ふわっと鼻をくすぐる白来路花の香り。香りが私を優しく包む。ふふふっと微かに柔らかい笑い声が聞こえてきた。私は慌ててまわりを見回す。私のまわりを白い影が囲んでいた。影の一つがふわっと色濃くなって、ふるるっと震える。
「…… ローゼリア」
この優しい声はおばあさまの声。その影はおばあさまなの? 私は思わず立ち上がり、色が濃くなった影に向かって声をかけた。
「おばあさま! おばあさまの形見の『精霊のかぎ針』のことを、アンにもエリック様にもルーカス様にも話してしまいましたの。でも、後悔しておりませんわ。……そうそう、『精霊のかぎ針』で編むものをクロッシェというんですって。知っていらした? 竜の方たちが教えてくださいました。私、鈴蘭も桜も編めるようになりましたのよ? 私、おばあさまにお話したいことがたくさんありますの。だから、そっちに行ってもいいでしょうか?」
その影はいやいやをするように首のあたりをふると、ふるるっと震えて消えてしまった。
「おばあさま!」
思わず伸ばした手が空を切る。何もつかめなかった拳を握りしめる。悲しくなって、座りなおして、小さく小さくなろうとした。ふわっとさっきより強い白来路花の香りが私を包んだ。今度は、加密列や茉莉花の香りも混ざっている。他には万年朗? 香水薄荷もあるわ。自分の鼻に届く香りの種類を考えていると気分がはれてきて、私は再び顔を上げた。向こうから、大剣を担いでやってくる人影を見つけた。光を背負ってこちらにやってくるから、まぶしくて誰かわからない。私はうずくまったまま、顔を上げて目を細めた。
「お嬢、そろそろ起きる時間だぜ。寝坊助にはヨーグルトはないってアンが言っていたぜ」
「??アレク??」
目を瞬かせた。逆光で顔は見えないけれど、アレク?
「はやくいかないと俺の分もなくなっちまう。一人で起きられるか?」
「ええ。問題ないわ」
「じゃ、急げよ」
「わかったわ」
立ち上がってスカートの裾を直した。そして、アレクに声をかけようとしたら、光が押し寄せてきて…………。
******
「お嬢様! お嬢様!」とアンの声が聞こえる。私は自分が誰かに手を繋がれていることに気づいた。温かい。それにここは来路花と加密列の香りがする。
「お嬢様! 目が覚めましたか?」
私はゆっくりと目を開けた。まぶしい光が目に飛び込んでくる。アンの茶色の髪や、毛布の薄桃色。窓の外は青い空。加密列の白い小さな花が風に揺れている。壁にかかっている紫色の薫衣草のドライフラワー。私はやっと息ができるような気がして、思いっきり胸に空気を吸い込んだ。
――私、あの真っ暗な世界から戻ってきたんだわ。
「ええ。アン。また心配をかけてしまったわ。倒れたんでしょ? ドラゴネット様達はどうしたの?」
「ええ。ここに連れてこられた竜は、竜王国から迎えが来ましたから安心してください。あとのことは……、皆様からお聞きください」
私はアンに支えられながら起き上がった。アンが回復薬のはいった薬湯を渡してくれる。私は、それを受け取ると、そっと、香りを嗅いだ。来路花に万年朗、加密列も。あら、ちょっとだけ香水薄荷を入れたのね。黄緑色の薬湯を眺めて、私はほおっと息を吐く。
「私、どのくらい寝ていたの?」
「昨日倒れて帰ってこられました。今日は精霊祭です。……その薬湯をお召し上がりになったら、着替えて大きな部屋に行きましょう。そちらで、皆様がお嬢様をお待ちです」
「わかったわ」
アンに支えられて、薬湯を飲む。気持ちがすっきりしてくる。アンが手際よく、服を用意してくれる。アンにされるがまま袖をとおしてみたけれど、薄紫色のドレスなんて持っていなかったような気がするわ。首周りにも袖まわりにもレースがたくさんついていて、公爵家で特別な時に来ていたような服。用意されている靴も踵の高い靴。まるで舞踏会に行くようだわ。
「アン。この服は見たことないわ。どうしたの?」
「領主様からです。お嬢様に今日の精霊祭でお召しになって欲しいとのことです」
「領主様が?」
「はい。お話はあとで。皆様お待ちかねですから」
髪の毛も綺麗に結われて、あちこちに加密列を編みこんでいる。さっき枕元にあった加密列はこのために用意されたものだったのかと今になって知る。これから、いったい何があるというの? アンに聞いても、『皆様に聞いてください』の一点張りで教えてくれない。とてももやもやした気持ちのまま、アンに着替えさせてもらって、大きな部屋に行くことになった。
部屋に入ると、エリック様、ルーカス様が立ちあがり、手を胸に添える。二人とも騎士団の正装をしている。今まで、椅子に座って手をあげるくらいだったからちょっとだけくすぐったい気持ちになる。いつもなら飛んでくるガルデオン様を探すと、部屋の隅でクロッシェを入れた籠を抱えてどんよりしていた。
ドラゴネット様の席でお茶を飲んでいた竜王様が、立ち上がって私のそばにやってきた。
「よく似合っている。この地の管理人もいいセンスをしている」
――この地の番人って領主様のことかしら? 不思議な呼び方をするのね。
竜王様が腕をそっと差し出す。アンが数歩下がる。私は竜王様に手を添えると部屋の中に入った。
「あの、ドラゴネット様は?」
「『楽しかったぞ。ローゼリア』だそうだ」
「?? あの……説明をお願いしたいのですが?」
私は困ってしまって、竜王様から手を離して竜王様の顔を見た。竜王様はわずかに眉を寄せると黙って私の手に魔石を一つ載せた。大きい赤いルビーのような魔石の中に柘榴のような深い紅色をした小さな魔石が入っている魔石。この魔石とドラゴネット様にどのような関係が? 私が首をかしげていると、部屋の隅でいじけていたガルデオン様が、ダンダンっと足を踏み鳴らしながら近づいてきた。竜王様にとても怒っている。
「レヴィも火竜もボクには何も相談しなかったんだ! なんで、チビのために自分まで浄化の炎で焼かれなくちゃいけなかったのさ! 知っていたら、こんな茶番!!!!」
ガルデオン様が手に持っていた籠を竜王様に投げつけた。バサバサっと中に入っていた加密列のクロッシェが竜王様にぶつかって落ちる。カシャーンと音を立てて金色の懐中時計が床に滑る。酢漿草と紫沈丁花の鎖が絡まっている。それって、ドラゴネット様の大切な懐中時計よね? 竜王様はやれやれといった風に肩をすくめると、落ちたクロッシェと懐中時計を拾い始めた。何かとても不安になる。ドラゴネット様の身に何かあったことはわかるけれど、いったい何があったの? 不安になり私は身を固くして竜王様とガルデオン様を見た。
「ガルは、知っていれば、シーフよりドーラを選ぶだろう?」
「当然だ!」
「……我はシーフを選んだ。ドーラはリアを選んだ」
「最初にボクに、ラーシュ以外の竜がいること、悪しき精霊の正体は精霊王の木に刺さったリアの心だということを教えてくれていれば、あんな展開にはしなかった!」
ガルデオン様が地団駄を踏んで怒っている。竜王様は誰にも気づかないように小さくため息をついた。
――まさか……。
「では、ローゼリアを犠牲にしたのか?」
――えっ?
「……それはできない」
ガルデオン様は地団駄を踏むのをやめて下を向いた。その濃い群青の目に涙が溜まっている。
「ならば、これが最善だ」
「……でも、ボクはいつも独り置いてきぼりなんだ。ひどいよ。ひどい」
竜王様は持っていた籠を脇に置くと、ガルデオン様を抱き上げた。ガルデオン様が『がるるるる』と唸り声を上げる。竜王様が小さな子どもをあやすようにガルデオン様の背中をさすった。
「ローゼリア。その魔石がドーラとリアだ。竜はその身が滅ぶと魔石になる」
―身が滅ぶ?
はっとなって、手の中の魔石を見た。これが、ドラゴネット様?
「リアという幼い火竜は完全に闇落ちしていた。浄化するしか方法がなくてな。ドーラはリアと共にあることを望んだのだ。だから、あまり悲しまないでやってほしい。すべてはドーラの望みなのだ。」
手の中の魔石を見ていると息が苦しくなった。キラキラしたものが好きだったドラゴネット様。星糖を大切に握りしめていたドラゴネット様。最初はとても怖かったけれど、本当は優しくていい竜だったドラゴネット様。ちょっとぶっきらぼうに話すけれど、それもこれも恥ずかしがり屋だから……。まだ、好きな花を聞いていない。まだ……。手の中の魔石にポトリと涙が落ちる。ふるるっと魔石が震えたような気がする。あわててアンが駆け寄ってきて、私の頬にそっとハンカチをあてる。
「アン、せっかく綺麗にしてもらったのに、ごめんなさいね。でも、私……」
手の中の赤い魔石をもう一度見た。涙が止まらない。私がしたこと、私が選んだことがこの結果を招いたの? 精霊の住処で後先も考えず竜をおろしたのがいけなかったの? ……後悔がどっと押し寄せる。喉がひりひりと乾く。私はごくりと唾を飲み込むと竜王様をみた。声が震えている。
「私が……私がもっとしっかりしていれば、リアもドラゴネット様も助けられたのではありませんか?」
「奢るではない。これが最善だ」
竜王様が静かに首をふる。そして、ガルデオン様ごと私を抱きしめた。ガルデオン様と目があう。
「世界を見守る者として火竜の長よりも精霊王を選んだ。だから、ローゼリアもガルも自分を責めるな。後悔しても過去は変わらぬ。それよりも未来をみろ」
竜王様がゆっくり笑って私の髪を触ると私から離れた。竜王様の言葉が優しく耳に届く。手の中にあった赤い魔石が一層輝いたような気がする。ドラゴネット様も、前を見て進めと言っているのかしら?
私は、そっと赤い魔石に口づけると竜王様に差し出した。竜王様はそっとガルデオン様をおろした。口角を僅かに上げて私から魔石を受け取ると、とても大事そうに籠の中にしまった。




