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54.白来路花の行方(10)



「ローゼ、申し訳ないが、この後の予定が詰まっている」


 しんみりとしていた私にエリック様が近づいてきた。竜王様は僅かに眉を顰めると、エリック様にそこで止まるよう手で制した。


「人の王の子よ。我とローゼリアの話はまだ終わっておらぬ」


 エリック様が『ちっ』と小さく呟いて、しぶしぶ私から10歩くらい離れたところで止まった。竜王様は、エリック様が止まるのを確認すると、私の方に向き直った。


「ローゼリア、シーフの宿る白来路花を見つけくれて、礼をいう」

「……シーフウィル様の木とは知りませんでした。ただ、ただ、黒い竜が可哀そうで無我夢中で……」


 ドラゴネット様とリアのことを思いだし、目元にじわっと涙が浮かんでくる。竜王様がそっと指で涙をぬぐった。


「誰からも隠れた場所にあったはずの精霊の里が、人間に穢され、精霊の宿る植物はほとんど枯れてしまった。唯一残った白来路花も竜の呪いでほとんど枯れて虫の息。あのままでは、シーフが消えるのも時間の問題だっただろう」


 精霊の住処だと思った場所は、精霊の里という名があったのね。確かにそこに行くには『精霊のかぎ針』が必要。守りの魔法と秘匿の魔法で守られていた場所。でも……。

 茶色い葉が僅かに残った薫衣草(ラベンダー)。茶色く枯れてしまった薔薇の花。枯草になってしまった加密列(カモミール)。私は、精霊の里の枯れ果てた植物の姿を思いだし、身体を震わせた。精霊の宿る植物は枯れ、宿り木を失った精霊たちは宵の杜から消えてしまった……。


「しかし、ローゼリア、お前のおかげでシーフを失わずに済んだ。お前が、弱っているシーフに鈴蘭のクロッシェを与え、闇落ちした竜の呪いを解呪し、我を呼び浄化の雨を降らせた」


 竜王様の首飾りに願ったのは、黒い竜を助けることだったはず。私は僅かに首をかしげた。


「残念ながら、首飾りだけでは闇落ちした竜を元に戻すには魔力が足りなかった。……我が着いたときにはもう、お前の体はリアに乗っ取られていた。ローゼリア、お前には大変な思いをさせてしまった。悪かった」


 竜王様が頭を下げる。


「いいえ。竜王様、頭を上げてください。私の方こそ……」

「そうだな。これが最善だったと、我が言ったのだ」


 竜王様が顔を上げて微かに笑った。


「白来路花は強い植物だ。若芽をだし、元のように大きく育つ。綿埃シーフも、宿り木が大きくなり魔力を回復すれば、元の大きさに戻る。シーフがいれば、精霊は生まれる」


 よかった。私はシーフウィル様が元に戻れると聞いて少し心が穏やかになる。


「それで、今、白来路花は?」

「ファニールが温室で面倒を見ている」


 あの温室でファニール様が育てれば、きっと大丈夫。


「ローゼリア、お前も我の世界に戻ろう。我の目的は、精霊王と助けること。そのために、ローゼリアとガルをこの地に送った。結果的に火竜の長を失ったが我の目的は達せられた。ならばもう、この地に用はない」


 竜王様が一層笑みを深めた。そっと私の手を握る。


「帰ろう。そして、また温室の薔薇でクロッシェを作ってよ。ボクの大好物の白薔薇のクロッシェ。思いだしただけでもうきうきするよ! あ、……シーフにもなんか作ってあげてもいいよ。そうしたら、はやく大きくなるかもしれないしぃ?」


 おとなしく竜王様の隣に立っていたガルデオン様の群青色の瞳が私を捉える。世界が群青色に染まりそうになる。


 ―― 帰る……


 私はふるっと震えた。群青色の世界の中に温室が浮かび上がる。白薔薇のクロッシェを作るのはすごく楽しいことだわ。楽しいこと、…………私は、ガルデオン様の群青色の目に引き寄せられるように、ガルデオン様の言葉に頷こうとした。


 突然、ダンと足を鳴らす音。私はびっくりして、身を震わすと目をぎゅっと閉じた。

「それは!」と叫ぶエリック様の声が耳に届いた。目を開けてみると、エリック様が乱暴に竜王様の手を払いのけて、私と竜王様の間に立っていた。さっきの大きな音はエリック様が床を足で叩いたんだわ。


「それは、認められない!」

「ほお、なぜだ?」


 竜王様が、氷のように冷たい顔をしてエリック様を見る。エリック様がたじろいで下を向きそうになったけれど、すぐに竜王様をにらみ返した。


「……俺……俺達にはローゼリアが必要だ」

「笑止。人の王の子よ。ローゼリアはお前との婚約を取り消すために家を出たと聞いている」

「そ……それは……」

「今のローゼリアの居場所は、ガルの屋敷だ」

「ボクの屋敷には、ここよりもずっと広いローゼの部屋があるよ! 温室だって、図書館だってローゼの自由に使っていい。な!侍女? 何もローゼを脅かすものはないよ!」


 ガルデオン様がにっこり笑って、アンに同意を求める。アンは「それはそうなんですけれども……」と曖昧に頷いた。


 私はどうしたいのだろう? 竜王様は、帰ろうと言ってくれた。私の居場所は竜王国にあるとも。でも……と迷う。本当のことを言えばこの場所にいたい。アレクが私のために用意してくれた家だもの。でも、この家にいていいのだろうかという不安が押し寄せてくる。私の心がやじろべえのように揺れる。


「ウラヌヘイム皇国としては、宵の杜の魔女までは失えない」


 ルーカス様の声が耳に届く。いつのまにか、ルーカス様も傍に寄ってきて、エリック様の隣に並んだ。


「それは人間の傲慢だ。この地の番人は精霊の里を守り切れなかった。精霊王の宿り木である白来路花がない宵の杜が精霊の加護を失うのは当然だろう」

「領主も俺も、その点については昨日から何度も謝罪をしている。知らなかったのだ」

「無知をいばるとはいい気なものだ。人の王の子よ。そして、今度は精霊の加護を失ったから魔女に頼るのか?」


 竜王様がうんざりするように、短く鼻で笑った。


「それは違う!」


 エリック様が目を大きくして大きな声で否定する。


「しかし、今日の精霊祭で宵の杜の魔女を祭り上げるつもりだろう?」


 えっ? そうなの? このドレスを精霊祭で着て欲しいということは、そういうことなの? 私の心がざわざわする。エリック様達も宵の杜の魔女が必要なの?


「それは、領主の考えだ。あいつは、ウラヌヘイム皇国の安泰のためならなんだってする。しかし、俺、俺達は違う!」

「ほお?」


 竜王様が目を細くする。ガルデオン様の目も細くなっている。エリック様達のことを疑っているのだわ。


「俺は、……確かに以前の俺は、ローゼリアを知らなかった。しかし、今は大切な友人の一人だ」

「私にとってもかけがいのない友人だ」


 ルーカス様も大きく頷く。友人だと言ってくれてとても嬉しい。でも……。私はそっと自分の手を見た。


「竜王国がローゼリアの居場所と言うならば、この魔女の家もローゼリアの居場所だ」


 竜王様の目がすうっとさらに細くなる。そして、ガルデオン様を抱き上げた。


「しかし、まわりはそれだけでは許さぬ」

「昨日の祭壇での出来事を多くのものが目撃した。竜王の加護を持つ娘として人の口に上るだろう。手に入れたいと思う輩も出てくる」


 竜王の加護を持つ娘って、祭壇で何があったの? アンの方を見たが、小さく首を振っている。


「ここの地の者たちにとって、精霊と宵の杜の魔女は特別な存在だ。だから、領主の提案にのる」

「ほう」


 竜王様が小ばかにしたように相槌を入れる。ガルデオン様が竜王様の腕の中でがるるっと小さく唸り声をあげている。


「竜王国とは違って、ここは危険だらけだ。精霊の加護を失い、恐らくウラヌヘイム皇国とカシュール共和国の間で争いが始まる。ローゼの味方は一人でも多い方がいい。俺だけでは足りないことくらいわかっている」


 エリック様が拳をぎゅっと握っている。


「それでも、俺は、この家で楽しそうにしているローゼと共にありたい」


 えっ? エリック様の強い言葉が私の心にずんと刺さる。ここは私の居場所だと言ってくれて、友人だと言ってくれて嬉しかった。その上、一緒にいたいだなんて……。まるで愛の告白じゃない? でも、大切な友人だって言っていたわ。誤解しては駄目よ。相手は皇太子。どきどきする胸に『落ち着け、落ち着け』と心の中で呪文のように唱える。


 竜王様が眉を微かに上げてため息をついた。


「だそうだ。ガル。ここは、一つローゼリアに聞いてみよう。ローゼリア、ガルの屋敷か、ここか、どちらを選ぶ?」

「私は……」


 ガルデオン様とエリック様達が息を飲むのがわかる。私は大きく息を吸った。ドキドキする気持ちを押えようと胸に手をあてた。

 

 ―― 今の私の気持ちに正直になろう。


 私は一度目を閉じると、ゆっくりと目を開けて少し笑って見せた。


「私は、ここを選びますわ」

「ボクじゃないんだ……」


 ガルデオン様の尾がしょんぼりと垂れるのがわかった。泣きそうな顔をしている。私は、ガルデオン様の方に手を伸ばした。ガルデオン様がパタパタっと私の方に飛んできたので、腕の中に抱きかかえた。そして、ゆっくりと翼を撫ぜた。


「ガル様とエリック様のどちらかを選んだわけではありませんよ。ガル様も私にとっては大切な大切なお友達です。ガル様の居場所もここにはあるじゃありませんか?」

「……?」

「アレクに認めてもらう必要がありますが、この家はガル様にとっても家ですよ?」

「そう?! そう! ここもボクの家かぁ!」

「そうですよ」


 ガルデオン様が嬉しそうに、私から離れてパタパタとみんなのまわりを飛び回った。


「確かに、ガル様のお屋敷に行けば、安全でのんびり暮らすことができると思います。好きなクロッシェを作ったり、花を育てたり、私の思い描く生活ですわ。でも、それではきっと後悔します。エリック様やルーカス様、お友達になった方々のことを考えて、悩むと思うのです。それならば、ここにいて、皆様と一緒にいたいのです。それに、この家は、アレクが私のために用意してくれた家ですもの。争いがあるならなおさら私が守らなくてはいけませんわ」


「そうか。それがローゼリアの選ぶ未来か。ならば、我はガルを連れて戻るしかあるまい。ローゼリア、困ったら我のところに来るがよい。我ら竜の加護はお前と共にある」

「ありがとうございます」


 私はドレスを摘まんで深く礼をする。エリック様とルーカス様も黙って騎士の礼をとる。竜王様が笑みを深くした。


「ガル!」


 竜王様がガルデオン様を呼ぶ。ガルデオン様が空中で嫌々と首をふる。


「えー、ボク、ローゼといる!」

「今は戻るのだ。来い!」


 竜王様がガルデオン様にむかって手を出す。


「ぶぅ」


 ガルデオン様はしぶしぶ降りてきて、竜王様の腕の中に入った。竜王様は赤い魔石の入ったバスケットを手に持つと歩き出した。ガルデオン様が「ボクのバスケットも!」と言うので、アンが机の上にあったガルデオン様用のバスケットを渡した。


「中には、ガルデオン様のためのお菓子も入っています。食べてください」

「え? なになに? 気になる」

「後にしろ」


 竜王様はバスケットに手を出そうとしたガルデオン様を諫めた。あれこれ言いながら歩き出した竜王様達の背中を見る。私の選択は間違っていないと胸を張って言えるよう努力しよう。そっと心の中で誓う。


 扉に向かって歩き出した竜王様がふと足をとめて、振り返った。優しくて深い愛情があふれた顔をしている。ふっと小さく笑うと、バスケットとガルデオン様を下に置いた。そして、大きく両手を広げた。鈴蘭の香りと魔力が何処からか漂ってきた。


「『皆に幸あれ』――シーフからの伝言だ。この地の番人とシーフを愛するものに伝えるがよい」





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